毎度ばかばかしいお話を一席
「スープの冷めない距離」という言葉がありまして、そもそもは親世代と子世代の心理的・物理的な距離のことだそうです。核家族化が進む中、親世代と子世代の新しい居住形態はどうなっているのか。最近では「近からず、遠からず」というのがトレンドだそうでございます。
以前は田舎に親を残して子供は仕事を求めて上京、東京で家族を築き、盆と正月に田舎に帰省、なんてのが一般的だったんでございますが
最近は夫婦共働きが常識、女性も出産後、割と早く社会復帰する傾向がございます。するってーと、子供の世話をする人がほしい。晩飯を作っておいてくれる人が必要となる。
そうして槍玉にあげられたのが親世代でございます。
親世代にはできるだけ近所に住んでもらって、子供の世話をしてもらいたい。
幸い、定年まもない親は時間も体力ももてあましてる。一丁、息子たちのために人肌脱ごうじゃねえか、と第二の子育てに奔走する祖父母が増えているようでございます。
なかには、おじいちゃんを田舎に残し、おばあちゃんだけ上京させて、近くのアパートに住んでもらって、子供の世話をしに通ってもらう息子夫婦なんてのもいるそうで
「そんならいっそのこと、じいちゃんも田舎から呼んでやったらどうなんでい?なんなら一緒に住んじまったほうが早いんでないかい?」
なんて声が聞こえてきますが、嫁と姑の関係は古今東西変わらぬもの、同居だけは勘弁というのが嫁の本音でございましょう。
しかも最近では親世代のほうも同居を望んでいないんだそうでございます。
息子夫婦と親夫婦は「スープの冷めない距離」にいるのがお互いにとって一番いい、というお話です。
さて、場面は変わりまして、あるときのことでございます。私が知人に
私「おめえさん、”スープの冷めない距離”って知ってるかい?」と尋ねましたところ
知人「当たりめえよ。馬鹿にすんねえ」と答える。
そこで私が「おめえさんのとこはどうなのよ?」と聞きましたら
知人「うちはいつだって熱々よ。」と。
私「お前さんは馬鹿だね。本当にスープの話をしてるわけじゃないよ。」
知人「え?ああ、知ってる、知ってるよ。冗談だってば。スープの話じゃないんだろ?あの、その、近所にあるってことだろ?」
私「ある?」
知人「暖めてもらって、そのままうちに持って帰ってもまだ暖かいっていう・・・」
私「コンビニの話をしてるんじゃないんだよ。いいかい、”スープの冷めない距離”ってえのは家族との関係が近いかどうかってことを言ってるんだ」
知人「なんだ。最初からそう言ってくれりゃいいのに。だったらうちはいつだって近くにいるよ。」
私「ほう、そりゃ感心だね。で、どこにいるんだい?」
知人「隣の部屋にいらあね。」
私「へえ。いまどき同居かい。こりゃまた感心だ。うまくいってるのかい?」
知人「ああ、もちろんよ。メシも作ってくるし子供の世話もしてくれる。」
私「ああ、そりゃ助かるな。感謝しなきゃ」
知人「ああ、もちろんよ。寝るときに”いつもありがとね。おやすみ”って言ってお互いの部屋に入るんだ。」
私「そりゃいいことだ。大事にしなよ。」
知人「でもたまにゃ、同じ部屋で寝てえんだけど、部屋に入れてくれねえんだ。うちの嫁さんときたら」
私「嫁の話かい!おめえさんちのスープはとっくに”冷めてる”よ」
おあとがよろしいようで。
知人「ところで、あんたもそろそろ熱いスープを作ってくれる人を作ったほうがいいんでないかい?」
私「・・・あたしゃ味噌汁派でして・・・」