9月19日より世界配信されるNetflixのオリジナルドラマシリーズ『極悪女王』が話題になっている。僕もYouTubeの予告動画を何度も観たり、改めてダンプ松本さんの生い立ちを調べたりしながら配信の日を今か今かと心待ちにしている。
ダンプさんは同期の中では落ちこぼれ、華のないレスラーで先輩からのいじめもひどかったそうだが、会社からアイドルレスラー・ユニット“クラッシュギャルズ”のライバルに指名されたときに「自分の存在感を示すために悪に徹する!」「徹底的に痛めつける」と心に決めたそうだ。
『極悪女王』予告編 - Netflix (youtube.com)
まだネットもSNSもない時代、国民の怒りと憎しみをリングの中でも外でも受け続け、嫌がらせや殺人未遂もあったそうだが、それでも悪役に徹し続けたダンプさん。
この話を聞いた時、ぼくはある別のレスラーの姿が目に浮かんだ。それは小林邦昭選手だ。
小林邦昭(あえて当時のように呼び捨てさせていただく)は1956年長野県で生まれ、高校を中退して1972年に新日本プロレスへ入門、翌年デビューした。メキシコやアメリカでの修業時代もバトルロイヤルで優勝したりベルトを巻いたりと実績があったそうだが、日本に帰ってくると空前のタイガーマスク・フィーバーが起きていて、小林邦昭はその日本人ライバルとしてあてがわれた。
タイガーマスクのライバルにはダイナマイト・キッドやブラックタイガーなど個性的な外国人選手がたくさんいたが、小林邦昭が自分の存在感を示すために取った戦略は“徹底的に悪役を演じること”。なんと“あの”超スーパーアイドル、タイガー・マスクの覆面を剥ぐという、世にも恐ろしい行為に出たのである。
1981年、僕は小学校2年生だった。毎週金曜日のゴールデンタイムに流れる新日本プロレス中継に映るタイガーマスクの姿を憧れと尊敬のまなざしで観ていた。タイガーマスクが攻撃をすれば歓声を上げ、相手に反撃されれば胸を締め付けられ、「がんばれタイガー!」なんていじらしく応援する純粋な少年であった。タイガーマスクは毎週勝ってくれたので、毎週ハッピーな気持ちで眠りにつくことができた。あいつと戦う日以外は。
タイガーマスクは正体不明のスーパーヒーロー。ネットもSNSもない時代、だれもタイガーマスクの正体を詮索しないし、暴露しようとする者などいなかった。梶原一騎原作の漫画『タイガーマスク』でも、孤児院出身の主人公・伊達直人はタイガーマスクとしてリングで戦い、自分がタイガーマスクであることを子供たちには明かさずにファイトマネーを児童養護施設に渡していた。ヒーローの正体を知るなんて言うのは野暮なことだと、僕も幼心に感じていた。当時の子供は本当に簡単に騙せたが、それは子供にとってもとても幸せな時代だった。だって口裂け女も川口浩探検隊も心霊写真も世界征服のために幼稚園バスを襲うショッカーも、誰にも何も否定されないまま存在し続けられたのだから。
そんな中、子供たちの、いや日本の国民的ヒーロー・タイガーマスクの覆面を剥ぐなんて言うのは、神への冒涜に近い行為であった。あってはならないことだった。
小林邦昭はタイガーを投げると後頭部にある覆面の紐に手をかけ、ほどきはじめる。なぜかあまり抵抗しないタイガーも不思議だったが、当時8歳の僕は「ダメダメ~!」と可愛らしく悲鳴を上げた。マスクばかり気にしていると、タイガーマスクのローリング・ソバットの“パクリ”、小林邦昭の後ろ回し蹴りやフィッシャーマンズ・スープレックスが決められてしまう。
カウントスリーを奪われまいとフォールを跳ね返すタイガーマスクに対し、今度は覆面の目の部分に指を入れ、引きちぎろうとする小林邦昭。またもや会場のプロレスファンならびにお茶の間の視聴者は悲鳴を上げ、「やめろ!」「反則だぞ!」と罵声を浴びせる。
あの頃、小林邦昭が本当に憎かった。許せなかった。「タイガーマスクに勝ってほしい、やっつけてほしい」という思いと、「対戦してほしくない」という気持ちが交錯していた。全国民の憎しみを一身に受けながら小林邦昭は戦い続けた。おそらくプライベートでも嫌がらせを受けることも多かっただろう。ご家族も辛かったと思う。初代タイガーマスク自体が短命だったので、ライバルだったのは1981年と82年の2年程だったが、その短い期間に一生分の罵詈雑言を浴びたかもしれない。もう一度言うが、ネットもSNSもない時代、「実はいい人」なんて情報は回らなかったし、「実は佐山サトル(初代タイガーマスク)と仲がいい」なんて情報も会社は流さなかった。プロレスのファンタジーに国民は純粋に酔いしれた。そんな時代、小林邦昭は“日本国民共通の敵”、“最も憎むべき日本人”だった。
初代タイガーマスクの引退後、新日本プロレス中継はゴールデンタイムの放送がなくなり、僕のプロレス熱も少し冷めた。大学生になった時、深夜放送で平成維新軍の一員として戦う小林邦昭選手を見たが、もうその時には嫌な感情は何もなく、「お!小林邦昭!」と懐かしむくらいの気持ちだった。実はその時にはすでに癌で何度も手術をしていたそうだ。
2000年に引退後、新日本道場の管理人などで会社に残っていて、TVやYouTube等で新日本の合宿所内が映ると意外に元気な(しかも鍛えている)姿を見せていた。そこには「国民共通の敵」「虎ハンター」の顔はなく、オールバックでばっちり決めた黒髪のシブい好々爺の姿があった。
https://www.youtube.com/watch?v=3GFAbAXNrdQ
2024年9月9日逝去。享年68歳。ご冥福をお祈り申し上げます。