もうさすがに聞き飽きた感がある「マルハラ」問題。LINEなどのメッセージの最後に「。」を付けられると冷たく突き放された感じがして嫌がらせのように感じるというやつだ。50代の僕はこの言葉が最初に世に出てきたときから「なんじゃそりゃ」と思っていたし、気にせず「。」を使い続けようと思っていた。だがやはりというか何というか、実際のところどの調査でも「。」に威圧感を感じる(マルハラだと感じる)若者は3割くらいで、6割は「普通。何も感じない」という結果が出ているとか。
ノブコブ吉村 文末の「。」が威圧的とされる「マルハラ」に驚き「気にもしなかった」お笑い界の上下関係にも言及(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
この「~ハラ」は「ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ:何に対しても“ハラスメントだ”と訴えるのはもはや“嫌がらせだ”というもの)」で最終章だと思っている。もうおなかいっぱい。
でもここで僕はとてもバカなことを考えてしまう。
「今、思うと“セクハラ”ってかっこいいよな」

もちろん、セクハラをすること自体を肯定しているわけではない。「~ハラスメント(~ハラ)」という言葉の“元祖”という立場がCoolだと言いたいのだ。
「セクハラ」という言葉は1970年代にアメリカで生まれ、日本でも1989年頃に広がったらしい。もちろん社会問題として認知されたのだが、言葉のインパクトも素晴らしかった。「セクシャル」って絶妙にいやらしくない、でも何か惹かれる響きがある。そして「ハラスメント」という難しい英単語を日本に一気に定着させた功績、「セクハラ」って略称も響きも言いやすいし耳に残りやすい。単に最初だから認知されたというだけじゃなく、やはり言葉の魅力ってものがあったように思う。
その後、雨後の筍のように「~ハラ」という言葉が生まれた。「パワハラ」「モラハラ」「アルハラ」「マタハラ」「エイハラ」「ソーハラ」・・・。「パワハラ」は何とか残っているが、「エイハラ」「ソーハラ」に至っては「なんのこっちゃ」という感じだ。語感も悪いし、全然定着していない。二番煎じ、三番煎じでインパクトもないし、なんかサブい。二匹目のドジョウを狙って作ったけど見事にハマらずスベッた感じだ。なんかEAST END×YURIの「DA.YO.NE」の後に次々出てきたローカル版「SO.YA.NA」「SO.TA.I」「DA.CHA.NE」「DA.BE.SA」「DA.GA.NE」みたいな感じ。

それを思うと「セクハラ」はカッコいい。王者の風格というか、元祖の貫禄のようなものを感じる。流行りに流されず、チャラチャラした感じもない。不変的な価値観を感じるし、字面もカクカクしていてカッコいい。もちろん広辞苑にも載っているだろうし日本語の中でも確固たる地位を確立している。芸能人で言うと「セクハラ」がお笑いBIG3(タモリさん、たけしさん、さんまさん)、「エイハラ」「ソーハラ」がぽっと出のYoutuberとかインフルエンサーみたいな感じ。深みが違う。
セクハラは戦隊もので言えば「ゴレンジャー」、仮面ライダーで言えば藤岡弘。。
やはり元祖は偉大だ。歴史が違う。あの頃の甘酸っぱい記憶もあるし、いまだに現役で、いまだにかっこよく、素敵に年を重ねながらがんばっていることに当時少年だった僕たちは今も勇気づけられている。だからオジサン達は元祖が大好き。セクハラも大好き。