俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

”けん”点回帰

この曜日にしては珍しく早く帰れたので、フジテレビ『志村けんのだいじょぶだぁスペシャル』を見た


おもしれ~

 

志村けん、おもしれ~

 

なんなんだろう、この面白さは。

 

これは、じいさんばあさんが毎回同じパターンの『水戸黄門』を楽しむ感覚に似ているかもしれない。

 

それは大いなる安心感

 

それは偉大なるワンパターン

 

That's 志村けん、なのである。


御歳36歳の僕は、かろうじてリアルタイムで『8時だよ!全員集合』を見ている。

 

しかし、小学校高学年になると兄貴の影響もあり、俄然、『俺達ひょうきん族』の方が好きになる。

 

思春期は「とんねるず」を笑いの神と仰ぎ

 

大学に入ると「ダウンタウン」が僕の笑いのスタンダードになった。

 

ちょうど『ボキャブラ天国』などもあって、より”新しい笑い””刺激的な笑い”を求めるようになった。

 

血気盛んな青年であった当時の僕は、志村けんの笑いを「子どもの笑い」「一世代前の笑い」「生ぬるい笑い」と嘲笑し、見向きもしなかった。

 

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しかし、今、改めて見ると

 

いやまあ、実に面白いのである。

 

しかも、ネタは全て先が読めるのに、

 

それでも笑えるのである。


例えば毛利元就の「三本の矢」のネタ

 

毛利元就が三人の息子達を集め、「一本の矢では折れやすいが、三本集めると折れない。だからお前達三人が協力してこの国を守らなければならない」というやつ

 

志村けんは「一本では折れやすいが、三本集めると・・・」と三本の矢を折ろうとすると、簡単に折れてしまう。

 

このネタ、以前、どこかで見たことがあるので、同じネタのリメイクだ。

 

「あ、これ、折れちゃうよ。3本でも、5本でも、10本でも折れちゃうよ。見てみ、見てみ・・・」

 

と思いながら見ている。

 

が、折れるとやっぱり笑っちゃうのだ。

 

「はははっ!ほらね!」って。

 

なんでだろう?

 

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新作コント「おくりびと

 

志村が映画「おくりびと」のモックンがやっていた納棺士の役になり、女性の遺体の着替えをさせる。

 

当然、「志村、絶対女にやらしいことするよ。見てみ、見てみ・・・」

 

と思いながら見ていると、

 

志村は遺体の女性のブラをとり、パンティをとってポケットに入れる。


が、やっぱり笑ってしまう。

 

期待通りで、思わず笑ってしまう。

 

「だははははっ!やっぱりな?な?な?」

 

なんなんだろう。この面白さは。


思うに、志村けん以外だったら、これは笑えないかもしれない。

 

志村けんという予備知識があるから笑える。

 

もはや使い古されたと思われた「変なおじさん」ですら、今や”待ってました!”状態である。

 

歌舞伎や落語の名人芸に通じるものがある。


ここまで、同じキャラクターや同じギャグを使い続けるには、かなりの根気がいるはずだ。

 

今の若手芸人で、今のキャラクターや芸を使い続けられる人がどれだけいるだろう?

 

ナインティナイン岡村隆史は「志村さんはいいすわぁ。変なおじさんもあるし、バカ殿もあるし・・・。僕はなんもないですもん」と愚痴るそうだが

 

それはお門違いである。

 

志村けんはこれまで何十年もコント作品を作り、キャラを使い続けてきたからである。

 

岡村が何も持っていないのは、続けてきてこなかったからだ。

 

今はバラエティ番組の司会ばかりで、ちゃんとしたネタ作りを続けていないからだ。

 

それは他の芸人さんにも言える。


あるある探検隊」や「ラララライ体操」で育った子供達は、大人になって何を誇れるだろう

 

今、「はんにゃ」や「しずる」「フルーツポンチ」を好きな子供達は、いつか結婚して子どもが出来たとき、

 

どんなことを語れるだろう・・・・

 

今の若い人にとって、志村けんの笑いは「生ぬるく」感じるかもしれない。

 

かつての僕がそうだったように。

 

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しかし、人はいつか、本物に戻る。

 

刺激や目新しさだけではなく

 

やすらぎのある、安定感のある、本物にたどり着く

 

僕にとって、それが志村けんだったということだ


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次世代に語れる芸人さんを持てることの、

 

なんとうれしきことかな