フジテレビ開局50周年記念
「記録よりも記憶に残るフジテレビの笑う50年~めちゃめちゃオボえてるッ!~」を見た。
「めちゃめちゃイケてる」のルーツを探すべく、過去にフジテレビで放送された番組を振り返る特番だったが、これがまた面白かった・・・。
秋の特番にはこういった過去の名作シーンを流すものは多いのだが、今回はその中でもかなり僕のツボにはまってしまった。
おそらくそれは、僕がめちゃイケメンバーと5歳くらいしか年齢が違わないため、見ていたテレビが大体一緒だったからだと思う。
主に’80、’90のバラエティーを振り返ったのだが、
あらためて、僕のバラエティの原点はとんねるずだってことに気づかされた。
「オールナイトフジ」
「夕焼けにゃんにゃん」
「ねるとん紅鯨団」
「みなさんのおかげです」etc
あの頃のとんねるずは「神」だった。
僕はむさぼるようにとんねるずの番組を見続けた。
テレビの規制が今よりも緩かったあの頃、
そしてまだまだ世の中が平和だったあの頃
とんねるず(の石橋)は、よく番組に参加した素人や、番組を観覧に来た若い男を罵倒し、蹴りを入れ、辱めていた。
が、やるほうも、やられるほうも、そして見ているほうも腹を抱えて笑っていた。
今ならすぐに局に苦情が寄せられ、人権侵害だ、子どものいじめにつながるだとクレームをつけられる。
特番司会の岡村らも言っていたが、昔の規制が緩かった時代のバラエティはすごかった。
芸人達も本当に体を張っていた。
あの時代に比べると、今のバラエティがいかに”ぬるい”かがわかる。
クレームを恐れ、思い切った冒険ができないバラエティ
今の若手芸人達がある意味可哀想でならない
そういえば、昔は女性の乳首もよくテレビに出ていた(ような気がする)
「ドリフ大爆笑」だったか、「バカ殿」だったか忘れたが、
志村が乳を出した女を使ってオセロをしたりして、家族で飯を食っていた僕らを凍りつかせていた。
話は変わるが、実は僕は子どもの頃、芸能人に憧れていた。
当時は近藤真彦(マッチ)に憧れていたから、ジャニーズに入るのが夢だった。
しかし、風の噂で「ジャニーズにはバック転が出来ないと入れない」と聞いたので、
学校が終わって家に帰ると家の裏の田んぼで、毎日バック転の練習をした。
刈り取った稲の根元の部分が結構固くて、よく頭に突き刺さったが、
それでもジャニーズに入るために、来る日も来る日もバック転の練習をしていた。
幸い、小学校六年生の頃にはバック転をマスターすることができたが、
中学に入った頃に自信を失って断念してしまったのだ。
そのきっかけになったのが『スターどっきり(秘)報告』である。
毎回、ドキドキしながら見ていたこの番組であるが、僕が一番印象的だったのが
「大川栄策のお色気どっきり」である。
大川栄策と言えば、当時「さざんかの宿」のヒットで普通にベストテンでジャニーズと肩を並べていたスターである。
その大川栄策が、お色気のどっきりを仕掛けると、いとも簡単に引っかかるのである。
それも一度ならず、二度三度ひっかかるのである。
一瞬、「この人はバカなのか?」と思ったが、
本当に大川さんは馬鹿みたいにお色気どっきりに引っかかるのである。
今の時代、絶対こういうどっきりは作れないと思うが、
大川栄作は、お色気たっぷりの仕掛け人が近寄ってくると、途端に鼻の下を伸ばし、
パンチラをガン見し、シャツの上から乳首を除き、そして擦り寄ってくる女の足を触り、
しまいには乳首までつまんでしまうのである。
なぜ、「どっきりじゃないのか?」と疑わないのだろう?
僕は大川さんの学習力のなさにあきれると同時に、
「でももし仮に、僕がお色気どっきりを仕掛けられたら・・・・どうなるだろう?」という不安に駆られたのである。
仕掛け人がわざとパンツが見えるように座ったら、僕は目を逸らすことができるだろうか?
いや、できっこない。
僕は真剣に悩んだ。
そして、「もし僕がジャニーズの一員としてデビューできたとしても、お色気どっきりに引っかかってしまうに違いない」という恐怖心から
僕は芸能人になることをあきらめたのである。
小学6年生のことだった・・・・。