その晩、僕は無性に立ち食いソバが食べたくなった。
もう、どうしようもないくらい”ソバつゆ”が飲みたくなったのだ。
全ての仕事が終わり、職場を出たときには時計は夜の9時を指そうとしていた。
はたまた松屋のデミグラスハンバーグにしようか、天やの天丼にしようかとあれこれ思案していたのだが、
どうもしっくりこない。
基本、天丼なんだけど、無性にソバつゆが飲みたい。
結局お財布とも相談したところ、「かき揚げ丼+かけそばセット500円也」が一番今夜の僕にフィットしていることが判明
僕は駅前の立ち食い蕎麦屋に入っていた。
このソバ屋はチェーン店ではなく、初めて入る店だったので、当たりはずれがあるかもしれないが、
一度揚げたかき揚げをもう一度油にいれて温めなおしているところを見ると、意外に良心的なのかもしれない。
調理を担当するのは中国からの留学生「たん」君だ。
「イラシャイマセ」「アタタカイ オソバデ ヨロシーデスカ」
僕はたん君のカタコトの日本語に微笑みつつ、「ヨロシーです」と答えた。
親元を離れ、この日本の立ち食い蕎麦屋で働き、生活費を稼ぐたん君。
きっと親御さんもたん君の働く姿を見たら泣いてしまうだろう。
そんな勝手な想像をしつつ、かき揚げセットの到着を待った。
そしてかき揚げ丼とおそばの乗ったお盆を受け取り、さっそくそばをかっ込んだ。
「ズズズズーー」
立ち食いソバなので、そばの質はたかがしれている。
ま、こんなもんだ。
「うほっ!は、はつっ!」
僕はここでおもむろにそばつゆをジュルジュルと吸い込む
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、うまいぃぃぃぃ!!
そばつゆ、うめーーー!!
ぅあ~~~このために生きてるな!
ずずずずず~~~~~~~、おっほ~~~~、はぁ~~~~~うみゃい!
立ち食いソバのそばつゆごときで、こんなにも感動できる自分を少し恥じつつ、それでもそばつゆ旨く
僕は「そば」と「かき揚げ丼」と「そばつゆ」の協奏曲を、感情の赴くままに奏で続ける。
夜九時の立ち食いソバ屋は、それはそれは場末感漂う、哀しい雰囲気に包まれている。
ラジオの演歌がまた泣かせるのだ。
ここで飯を食っている、僕を含めた3人のサラリーマンが、いずれもえもいわれぬ哀愁を漂わせている。
みな、一緒に御飯を食べてくれる友だちも家族も恋人もいない集まりなのだ。
他人ながら親近感がわく。
そんな孤独とそばを噛み締めながら一人ほくそえんでいると、
おもむろに作業着姿の男が3人、店の中に入ってきた。
いかにも”ガテン系”のお兄さん達だ。
一瞬、店内に緊張が走る。
3人のうち、2人は茶髪、ずんぐりむっくり体形、工業高校卒(予想)のしがない感じだったが
リーダー格の男がまたヤバかった。
180センチの長身、
短めのパンチパーマ
年齢はまだ20代真ん中くらい?
顔も体形も細身
ついでにサングラスも眉毛も、口ひげの細身
ニッカポッカなんだけど、おしゃれに決まっている感じだった。
こういう奴が一番やばい。
同じパンチパーマでも40代、50代ぐらいだと、「育ちは悪いが職人気質」「勉強はできないが塗装は得意」「株は買わないが馬券は買う日雇い父ちゃん」という感じがして
スーツにネクタイ姿の僕はやや見下しながら「お、大将、毎日汗水たらして大変だね。がんばってよ」なんて上から声をかけたくなる。
が、20代のニッカポッカはやばいのだ。
僕のようなしがないサラリーマンは目を合わせたら狩られてしまうかもしれない・・・・。
3人はなかなか注文が決まらず、店内に張り出されたメニューなどを見ながら「何頼む?」と決めあぐねている。
正確には、リーダー格の男はすでに天丼に決めているようだが、あとの2人がセットにしてそばをつけるか、うどんにするかを迷っているようだった。
「まずい・・・」
僕は思った。
この立ち食いソバ屋は店内が割りと狭い。
で、3人が並んで食べられそうなのは僕の隣のスペースだけなのだ。
しかも、僕の隣りのスペースは2人半ぐらいスペースで、かなり密着しなければ3人は入れそうにないのだ。
心なしか、僕の心の同志(背広のサラリーマン)もそばをすする速度が速くなっている気がする。
なるべくかかわらないように早く店を出ようとしているのだ。
僕もできるだけ早くしようと思うのだが、天丼の御飯が結構腹にたまってしまって、なかなか飯が喉を通らない。
僕はニッカポッカに気づかれないようにお盆を少し右にずらして、なるべく彼らと距離をとれるように試みた。
するとリーダーのパンチが厨房のたん君に「御飯大盛りできますか?」と丁寧語で尋ねた。
僕はこの強面のリーダーの意外な言葉遣いに戸惑った。
たん君は「ハイ、デキマスヨ」と愛想よく注文を受け取った。
リーダー・パンチはそのまま僕の隣りにお行儀よくたたずんでいた。
残りのニッカポッカはうどんセットとそばセットを注文。
この2人は仲よさそうにはしゃいだりしているのだが、
リーダーパンチは2人の会話に入ることなく、おとなしくかき揚げ丼の到着を待っていた。
そしてリーダー・パンチのかき揚げ丼が先に出されると、パンチは箸立てからさっと割り箸を抜き取り
「いただきます」と、これまたお行儀よくシブい声であいさつし、一人先にかき揚げを豪快に頬張り始めた。
僕は唸ってしまった。
この兄ちゃん、できる・・・・
その一挙手一投足が全て堂に入っているのだ。
見かけはイケイケの鼠先輩のようでありながら、決して横柄な振る舞いを見せず、
かといって腰が低いわけでもなく、
背筋をピンと伸ばして立っている姿は、畏怖堂々とし、
自分の仕事、自分のファッション、そして自分の生き方に誇りと自信を持っている。
自分の学歴や仕事、給料、結婚、将来のことなど、常に他人と比べながら悔しがったり見栄を張ったり、勝手な優劣をつけてしまう背広を着たサラリーマンたち
しかしリーダー・パンチは僕らにコンプレックスを抱くこともなく、周りを威嚇するわけでもない
「自分は自分」と、ポリシーをもって自分のスタイルを貫いている。
う~~~~ん、困ったな~~~
僕は見下せる要素がないと、とたんに自信を失って弱気になってしまうのだ。
リーダー・パンチが丼をしっかりと手に持ち、背筋をピンと伸ばしてかき揚げ丼をかき込んでいる隣りで
僕は背中をまるめて、お盆の上の丼に口を近づけながら、そばをすすっている。
しがないな~~~、人生やり直せないかな・・・・・