俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

『ハンサムスーツ』

*ネタバレです。
地上波初登場
映画『ハンサムスーツ』を観た。
それも夜9時から11時までちゃんとリアルタイムで。
これ、僕にとっては割と珍しいことだ。
というのは、僕は基本的にドラマや映画を観ない方だし、ましてやそれをリアルタイムで観るというのは「時間がもったいない」と思うタチだ。
ドラマはここ15年くらい観ていない。
映画はテレビで面白そうなのをやっていたらDVDに録画しておくのだが、そのうち観るのは半分。
半分は観るのが面倒になって消してしまう。
で、残りの半分も夜中に眠れなくなって観るとか、半分ずつ2日に分けて観るとか、パソコンを打ちながら横目で観るとか、結構雑に観ることが多い。
ま、テレビの前に2~3時間釘付けになるのはもったいないから。
そんな僕なのに、『ハンサムスーツ
がっちり観させていただきました。
いや~~面白かった!!

イメージ 1

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【あらすじ】

 

母親の残した定食屋を継いだ琢郎(ドランクドラゴン塚地武雅)は、ブサイクだが料理の腕前は天下一品の優しい男。これまで数々の女性に告白してはフラれ続けてきたが、心優しい美女、寛子がバイトに来るようになってから、琢郎の生活は変わった。しかし、寛子にもフラれた琢郎は、自分がモテないのはブサイクなルックスのせいだとひどく落ち込む。そんな時、立ち寄った洋品店で、着るとハンサムになれる“ハンサム・スーツ”を勧められる。

 

ハンサムスーツというマシュマロマンのような全身スーツを着て、掃除機で余分な空気を取り除くとあら不思議、天下のハンサム光山杏仁(谷原章介)に変身!

 

ハンサムスーツを着ると生活は一変。街では女性が振り返り、囲まれる。以前はブサイクというだけでぞんさいに扱われたり、不潔がられたり、陰口を叩かれたりしたのに、ハンサムになると街行く女性は振り返り、店員のサービスは増え、モテモテに。さらにはモデルとしてスカウトされ、美人モデルの恋人もできた。

 

しかしこれはあくまで借りの姿。
素顔の琢郎は女子高生に気味悪がられ、バスの中ではちょっと当たっただけで痴漢に間違われる。

 

そんな琢郎の唯一の理解者が、寛子の後にアルバイトに来たブサイク本江。
彼女は落ち込んだ琢郎を励まし、幸せの見つけ方を教える。
本江といると不思議と笑顔になる琢郎。

 

そんな折、ハンサムスーツを着た琢郎にファッションショーのチャンスが!
一方で、琢郎の携帯に「本江が事故に遭った」との連絡が!

 

さあ、どっちを獲る琢郎!

 

イメージ 2

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
で、所詮、日本のコメディ映画である。
映画に見慣れた映画通の方からすれば、駄作中の駄作。
深みも面白みもイマイチに映るかもしれない。
事実、ストーリーはシンプルそのもの。
「当然、そうなるよね」と思われる展開どおりに話は進んでいく。
最後のオチにいたるまで、まったく予想通り。
というか、美人が去り、ハンサムスーツで変身が出きる件(くだり)があり、美人と入れ替わりにブサイクが登場した時点で「あ、これは・・・」とオチが読めてしまう。
が、先の展開が容易に予想できてもなお、僕にとって『ハンサムスーツ』は面白かった。
少なくとも先週の『崖の上のポニョ』よりずっと好きだな。僕は。
なんか”ほっこり”したな。
幸せな気持ちになれたな。
それでいいんだと思う・・・。
崖の上のポニョ』の壮大なテーマに頭を悩ますよりは、
何も考えずに、わかりやすいストーリーを観て、リラックスして笑い、期待した結末に安心を覚え、心が温まる。
本当にストレートなハッピーエンドのドラマ。
いいじゃない!
うん、いい土曜日の夜だったな。
たまにはドラマや映画もいいものだ。
ハートが暖かくなる。
僕がこの映画を楽しめた理由は、間違いなく僕が主人公に感情移入ができたことが大きい。
つまりは・・・・・・・・見栄えがよくないとか
生まれてからずっと彼女がいないとか、
「あ~あ、もし俺の見た目が福山雅治だったら・・・」なんて思っているとか、
あ~、あんな美人を前にしたら緊張するよな~とか、

 

イメージ 3

 

逆に言えば、塚地武雅演じる琢郎の気持ちのわからない奴には、この映画は本当には楽しめない。
すでに結婚してパートナーがいるような人、見た目に不自由していない人、普通に女性と付き合った経験がある人は、ちょっと見下しながら「まあ、おもしろいんじゃない?」なんて感じで見るだろう。
人にはだれでもコンプレックスがあるものだが、ウェンツ瑛士がハーフ顔や英語下手をコンプレックスに持つのと、塚地や岩尾がブサイクをコンプレックスに持つのとでは意味が違う。レベルが違う。
僕だって子どもではないので、現実はこの映画みたいに「相手の見かけを気にしない」「大切なのは中身だ」といってそれを実践している美人がいるとは思わない。
米倉涼子だって「見かけは全然気にしない」と言いながら海老蔵と付き合ったりしていた。
が、それでも僕はこの映画を観て、勇気が沸いてしまったな。
「よし、がんばろう」と思ってしまったな。
映画『ハンサムスーツ』の中で、琢郎は一生ハンサムでいるか、ブサイクなままで生きるかの決断を迫られる。
ハンサムでいれば、モデルと付き合え、周りにチヤホヤされ、華やかな世界で生きることができる。
ブサイクなままなら、友だちの小さな優しさには囲まれるが、寄ってくるのは同じくブサイクな女だけだ。
ブサイクな主人公・琢郎は、映画の最後にハンサムスーツを脱ぎ捨て、ブサイクな本江の元に走る。
そして自分がいつも笑顔で幸せな気持ちになれるパートナー、本江に気持ちを打ち明ける。
最後の「実は本江はブサイクになるスーツを着た美人の寛子だった」というオチはおまけだ。
本当のクライマックスはもちろん、自分がいつも笑顔で幸せな気持ちになれるパートナーに気づき、告白をするところだ

 

イメージ 4

 

よくわからないけど、30代も後半を生きる僕は最近、変わってきたのだ。
相変わらず美人で巨乳で若い娘が好きではあるけれど、なんか「華やかな世界」は、非現実なものとして切り捨て、割り切って見ることが、”やっと”できるようになった。
女性のストライクゾーンが広がり、見た目や年齢の幅も広がって、身近な女性と結婚生活がイメージできるようになった。
なんて言うんだろうな?
「割れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)」みたいな?
どんな鍋にもそれに合うような蓋が必ず存在するように、
こんな僕にでも、合うような人はいるだろう。
上を見たらキリがない。
自分に相応した人を見つけるのが一番幸せだと、”やっとこさ”思えるようになった。



ハンサムスーツ』の脚本を描いた鈴木おさむとその妻、森三中・大島夫妻を見ると、
「これだよな。これを手本にするべきだよな」といつも思える。
映画『ハンサムスーツ』は誰が見ても楽しめる映画だとは思わない。
が、少なくとも、今のこのタイミングで観た僕にとっては、実におもしろい映画だった。
僕も見かけに惑わされず、一緒にいて安心できるパートナーを選びたいものだ。

 

イメージ 5

 

じゃ大島と結婚できるか?と聞かれたら、ぼくは「無理だ」と答えるけどね。