俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

浮かれ親父

今日は朝からなんとなくいやな予感がしていた。

『めざまし占い』の順位も低かったし、天気も朝からじと~っと蒸し暑かった。

駅で電車に乗り込もうとした時も、ドアが開いた瞬間に「うわ~失敗した~」と思った。

もっと空いている車両はあったはずなのに、よりによって僕が立っていたところは人がいっぱい。誰一人降りる人もいない。

しかたなく、火照りの残った体を車両に押し込む。

メタボなおっさんと体が密着すると、おっさんの体温が伝わってきて、これまた気持ち悪い。

僕はなるべくエアコンの風を感じながら、静かに新宿までの長い長い時間を耐えることにした。

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それにしても、日本の朝の通勤電車というのは改めて異様である。

暑さと圧迫感に耐えながら、誰一人としてそれに不満をもらすこともない。

というか、誰一人声を発することもなく、ただ、ただ静かに立っている。

我慢強いというかなんというか・・・偉いよ日本のサラリーマンは。

そんなことを考えながら立っていると、一人の男の声が耳に入ってきた。

俺との距離は3メートルくらいか?

妙に陽気で響く声だ。

長野県知事田中康夫っぽい声だ。

この、誰もが静かに苦しさに耐える社内の中で、田中康夫だけが妙に楽しげに話している。

が、相手の声は聞こえない。

一瞬、「携帯電話か?この朝の満員電車で?度胸あるよな~」と思ったが、話している様子がどうも違う。

おかしいなと思っていると、大きめの駅について、客が大量に降りていったので、僕は車両の奥へと足を進めた。

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するとちょうど先ほどの声の主の真後ろに立つことになった。

声の主は40代半ばか50がらみ。

体格も田中康夫似で、髪は短髪

いかにもお調子者、というような顔をしていた。

田中康夫は吊革につかまり、体を横に向け、すぐ横に立っていた女性に話しかけていた。

推定するに、田中康夫と女性は会社の同僚(女性のほうがだいぶ若いので部下か?)で、たまたま偶然、朝の電車に乗り合わせた、というような感じだった。

女の方は特別美人というわけではないが、器量は悪くなさそうだ。

なんにせよ、朝の通勤電車で若い女子社員に会っておしゃべりをしながら時間を過ごすのは、田中康夫世代にはうれしいことだ。

「あれ?三木さん?この電車?いや~今日はラッキーだな~」ってな感じだろう。

しかし話しかけられた三木さんからしたらたまったもんじゃない。

朝の通勤電車はiPodで音楽でも聴いていたい。

友達からのメールもチェックしたい。

そんな折りに田中課長に声をかけられてしまった。

三木さんは性格上、上司にはちゃんと笑顔であいづちを打たないといけないと考えるたちなのだ。


「いや~、いつもはね、7時16分の電車に乗るんだけどね、今日はちょっと寝坊しちゃって」

「ああ、そうなんですか」

「16分の電車はね、高校生とか少なくていいんだよ。」

「へ~、そうなんですか」

「それにしても蒸し暑いね~。駅まで歩くだけで・・・」

「あ~、そうですね~」


三木さんはあくまで冷静なのだ。というか、田中課長に興味はないのだ。

「お昼とかいつもどこで食べてる?」

田中課長が話題を変えて様子を見始めた。しかし三木さんは普段はお弁当派なのだ。

「いや、会社の近くにすごくおいしいカレー屋があってね・・・」

”おいしい店を知ってるよ”で気を引こうとした田中課長はやや劣性

必死にそのカレーのおいしさをアピールするものの、三木さんの反応は薄い。

「お昼にカレーってのは・・・」と考えるOLさんなのかもしれない。


「最近、安い店で買い物するようになってさ~。お得な店って結構多いよね~。うちもね、近所にいなげやがあって・・・」

カレーでは効果がないと見たか、田中課長は庶民派をアピール。しかし田中課長の家の近所の話題は、三木さんには全く関係がない。

「あ、うちね、ミニチュア・ダックスフンド飼ってるからね、いつも・・・」

女の子ならペットの話題なら食いつくはずだという田中課長の判断はわりと的を得ている。

しかし

「へ~、かわいいですね~」と三木さんのあいづちはそっけない。もしかして猫派なのかもしれない。


「そういえば、デジタルテレビ、もう買った?」

「あ~まだなんですよ~。ぎりぎりに買おうと思って」

田中課長、今度は家電できた。

”家電に強い”は確かにアピールになる。

ここぞとばかりにデジタルテレビについて語り出す田中課長。

うれしそう。得意分野なのか、実にうれしそう。

が、家電音痴の僕は三木さんの気持ちが痛いほどわかる。

その説明は面倒だ。

一番いいものを一つ言ってくれるだけでいい。

いろいろ並べられてもわかんねーし。

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さあ新宿も近づいてきたぞ。田中課長は家電で押すのか?


相変わらず車内にただ一人響く田中課長の声

周りをよく見てみると、田中課長と三木さんの周囲2メートルにいるサラリーマンが全員、聞き耳を立てている。

みな、このクソ暑い中、ちゃんと背広を着て満員電車の暑さと圧迫感と孤独に耐えている。

だから、朝から女の子とトークかまして浮かれている田中課長が憎いのだ。

「ばーか、ばーか。女に嫌われろ。ついでに今日、仕事で失敗しろ!そんでもって商談つぶれろ!」

と心の中で悪態をついているのだ。

しかし顔はあくまで無表情。

日本のサラリーマンは争いごとは嫌いなのだ。


田中課長はもう新宿についてしまうことに危機感を覚えたのか、

「今日、お昼一緒に行かない?」とストレートに誘ってみた。

周りのサラリーマンが心の中で一斉に

「行くわけねーだろ、バーカ」

「死ね。フラれろ!もう電車乗んな!」と叫ぶ。


三木さんは

「カレーですか?」と聞き返す。

すると田中課長は

「うん・・・」

周りのサラリーマンは

「バーカ。三木さんはカレーが嫌いなんだよ!乙女心をわかってねーな~」


しかし三木さんは予想に反して

「いいですよ。今日、お弁当持ってきてないんで」

と答えたからさあ大変。

田中課長は破顔大笑

「そう?あそこ絶対おいしいから!」と浮かれた声をさらに1オクターブ上げ

周りのサラリーマンは心の中で

「(むすっ)世も末だな。こんな男についていくなんて。女もきっと大したことないんだな。というか、こいつらの会社も大したことねーよ。つぶれろ!」と悪態をつく。

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電車は新宿に到着

脂で顔をテカテカに光らせた田中課長と、地味~な感じのOL三木さんは、水洗便所に流されるうんこのように乗客の波に飲み込まれ、車外に吸い込まれて消えていった。

田中課長にとってはハッピーな金曜日の始まり

僕を含めた孤独なサラリーマンには、なんとも不愉快な金曜の朝であった・・・・