俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

訪韓日記(8月8日)「一族になる」

あらすじ:37年近く彼女がいなかった僕に今年のバレンタインデーに初めて出来た彼女は韓国人。

     速攻で結婚を誓い合ったもののその1ヶ月半後に彼女(ジュンちゃん:仮名)は帰国。

     よって4月からは遠距離恋愛中。
     
今年の5月に訪韓した際には僕が彼女の親族に挨拶を交わしたのだが、今回はいよいよ僕の両親とともに訪韓を果たしたのであった。

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訪韓9日目

今日はホテルで朝ご飯。といっても、夕べ閉店間際のパン屋で買った売れ残りのパンだけど。

日曜日なのにちゃんと早く起きて向かう先は、彼女が毎週通っている教会。

そう。毎週日曜に開かれる礼拝に顔を出すのであった。

彼女は子供の時からその教会に通っているし、5月に会った親戚一同もみなこの教会に通っている。


ここに来る人たちはほとんど昔からの顔なじみらしい。

僕はクリスチャンじゃないのでわからないのだが、この教会の集まり(つながり)というのは、最近の無宗教多数の日本にはない感覚で、

昔から同じ教会に通っている仲間というのは、同じ”ムラの仲間”という感じで親戚づきあいに近く、

ここに招待されるというのはそのムラで認められるということらしい。

のちに彼女は「本当に結婚するんだと実感した」と言っていたが、両親同士の対面や、結婚式場の予約以上に、婚約者を教会に連れていき、みんなに紹介することは結婚を意識させることらしい。

う~む。

仮に婚約破棄になんてなったら彼女はこの教会に顔を出せないな・・・。

イメージ 1

                 *写真は全て、勝手に拾ってきた画像です。あしからず。

教会に入ると、子供たちの叫び声が轟いた。

まるで保育所のようにたくさんの子供たちが走り回っている。

なんか、イメージと違うな。

もっとこう・・・・・・神聖なイメージだったのになあ。

とにもかくにもまずは、結婚式で訓辞(キリスト教だから”説教”か?)も述べてくれるという牧師さんに挨拶。

牧師さんの部屋に通されると、デスクがあって、パソコンがあり、牧師さんはYシャツにネクタイ姿。

顔ももろに韓国の人の顔で、

う~む・・・なんかイメージと違う・・・。

ま、僕が持ってるイメージがフランシスコ・ザビエルとか、ヨハネパウロとか、ローマ法王とかだからしかたないかもしれないが。

ただ、牧師さんは僕の両親が民族村へ行くときに教会所有のワゴンを貸してくれたりしたそうなので、その時のお礼と、結婚式のことをお願いしておいた。

イメージ 2


教会には

①説教をする牧師さん

②牧師さんの手伝いをする伝道師さん(派遣されてくる)

③教会に長年通っている男衆である長老

④同じく女衆の勧士

⑤説明を聞いたがよくわからない執事

といった幹部で構成されていて、今日は上から順番に結婚の挨拶をしていくらしい。


礼拝堂に行くと、少しずつ人々が集まってきていた。

礼拝に来ていたおばさんたちが次々と彼女に「おめでとう。彼氏、イケメンね!」と声をかけてにやにやしながら去っていく。

そんななか、賛美歌とともに礼拝がはじまった。

聖歌隊が入ってくる。

彼女の親戚、妹、おばさん等が入っていて、僕に目配せをしていく。彼女も普段は聖歌隊に入っているらしい。

聖歌隊も、僕のイメージは「天使にラブソングを」のウーピーゴールドバーグの白黒の衣装をイメージしていたのだが、これも僕の全くの勘違い(あれを着るのは修道尼)で

実際は昔、「8時だよ!全員集合!」の早口言葉のコーナーでゲストが来ていた園児服のような衣装だった。

イメージ 3

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で、礼拝はほとんどが歌。

歌にいろいろ大切な教えが入っているのかもしれないが、

とにかく歌いまくる。

礼拝に参加している人たちも実に大きな声で、賛美歌を歌いまくる。

その声量に驚く。

韓国の人の声が大きいのはこういうところで鍛えられているからだろうか?

その中でも圧倒的な声量を誇っていたのが、聖歌隊の指揮をとる執事のお兄さん。

彼は数ヶ月前にこの教会に派遣されてきたのだが、以前、イタリアで声楽を学んでいたらしく、彼が来てから聖歌隊は飛躍的に歌がうまくなったらしい。

今日は珍しく彼のソロがあったのだが、まさにオペラ!

礼拝に来ていた人が惚れ惚れ、そして圧倒される歌声であった。


そんな歌が15分ずつ、礼拝の前後にあるのだが、真ん中の30分を占めるのが牧師さんによる説教。

これがまたすごかった。

僕のイメージでは、牧師さんというのは穏やかな表情で笑顔を絶やさず、優しい声でキリストの愛などを説いていくイメージで、説教とは子守歌のような眠たいイメージがあったのだが、ここの牧師さんの説教はものすごい迫力だった。

身振り手振りを交えながら、険しい表情で、時には怒鳴りながらマイクに向かってお説教!

僕は韓国語がわからないので、なにを言っているのかわからないのだが、もしかして僕が参加したから急に反日キャンペーンでも始めたのかと思った。

隣にいた彼女が通訳してくれたことには

「人はそれぞれ違う。その違いを認め、愛することが大切だ」ということを説いているらしい。

内容はいかにもキリストの教えらしく、すばらしいのだが、

通訳なしで判断したら

「独島は韓国固有の領土だ!」
「日本は歴史問題について謝罪しろ!」

とがなりたてているように見える。

彼女曰く教えを熱心に説いているので熱くなっているらしいのだが、その後に

「静かな声で話したら眠くなるでしょう?」とも言っていたので、こちらが正解のような気がした。

説教の間、ある人は熱心に「アーメン!」と頷き(本当に”アーメン”と相づちを打っていた)、ある人はウトウト、子供たちはぐっすり、そして若者たちはケータイをいじりながらも、牧師さんの話に耳を傾けるのであった。

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最後に2000ウォン(160円)のお布施(寄付?)をして礼拝は終了。

最後に、彼女が結婚することと、彼女のお母さんの病気のことまで牧師さんが報告するなど、実に家族的であった。

礼拝は1時間ほどで済んだが、この後、用意されていた食事を食べた。

豆ご飯、キムチ、揚げ豆腐、ナスのいためもの、大量の韓国のり、青菜のスープが出来きて、韓国にきて初めてふつうの家庭料理を食べた気がした。

食事も和気あいあいとした雰囲気で、家族の健康の話や、子供の成長の話などをしながら穏やかに進む。

なんか、こういうの・・・いいな。



多くの日本人は無宗教で、信仰する神を持たない。

また、かつてはお宮参りや墓参り、先祖崇拝や自然崇拝をすることで、自分自身に区切りをつけたり、気持ちを整理したりしていた。

が、ある心理学者はそうしたことをしなくなったことで、日本人は心の拠り所をなくしてしまったのではないか、と語っている。

もしかしたら少年犯罪の凶暴化や無関心社会もそうしたことと関係があるのかもしれない。


ちなみに彼女のお母さんとおばさんは早くにご主人を亡くしている。

そうした人たちにとって、毎週教会に来て祈りを捧げること、昔なじみと顔を合わせ、食事をともにすること、お互いの身を案じることは、大変な心の拠り所になっているに違いない。

自分の家族だけではなく、礼拝を通じて大人は他の家の子供たちの成長を見つめ、悪いことをしていたら叱り、困っていたら助ける。子供は同じ教会に通う大人たちに見守られながら育っていく。

今の日本人にはこうした関係はわずらわしく感じるかもしれない。

僕も彼女と出会う前は、普通の人以上に一人を愛し、人付き合いを嫌い、人と関わることを避けていた。

が、なんとなく彼女と家族、彼女と教会に通う顔なじみの人たちとの関係を見ていて、うらやましく思ってしまった。

古きよき日本のムラ社会を見た気がしたな。

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その後、僕と彼女はお義母さんを見舞いに病院へ。

本当はお義母さんも点滴を断ってまで礼拝に参加したかったそうだ。

僕が初めて礼拝に顔を出すので、お義母さんは自慢がてらみんなに紹介したかったのだという。

本当にいい人だ。



その後、病院を後にしてホテルで彼女と”ピー”。

なんとも罰当たりだが、ゆうべ”ピー”をしていなかったし、明日帰国なので、今日はがんばらねば、と思っていたのだ。


”ピー”のあと、しばらくぐったりしていると、お義母さんから電話。

どうやら入院ではなく、通院でよくなったので、最後の夜に僕にごちそうをしてくれる、とのこと。

これもお義母さんは入院前から僕にうまいものをごちそうせねばとずっと思っていたことらしい。

お義母さんはそのままおじさん夫婦にも電話。

結局最後の夜はおじさん、おばさん、お義母さん、彼女、彼女の弟、妹、そして僕。

一家団欒での食事となった。

韓国ではポピュラーな太刀魚を焼いたものと、辛く炊いたものをいただいたのだが・・・うまい!

イメージ 7


今回の訪韓も、じつに実りの多い旅だった。

韓国へ行くたびに、

「ああ、僕は本当に結婚するんだな」

「ああ、この人のたちの社会の中に、僕が入るんだな」

「結婚とは、新しい人間関係や社会を築いていくことなんだな」と感じさせられる。


今回はうちの両親も訪韓を果たし、向こうの親族に観光に連れて行ってもらったりと、お世話になったし

僕自身も、教会のミサに参加し、彼女が生まれ育った社会の中で紹介されたことで、身が引き締まった。


次は9月。

彼女のお父さんの墓前に報告だ!