その日、起夫は一人、祖母の墓参りに来ていた。
起夫は子どもの頃、その祖母によくかわいがられた。
家に遊びに行くと、よくお小遣いをくれる素敵な祖母であった。
起夫が仕事でベトナムに赴任することが決まった時「向こうは戦争があって危ないから気をつけて」と本気で心配してくれた。戦争はとっくに終わっていたというのに。
また、「向こうでいい娘がいたら日本に連れてきなさい。青い目のお嫁さんでもおばあちゃん大丈夫だから」と、国際結婚にも寛容な祖母であった(青い目のベトナム人なんているわけないのだが・・・)。
そんな祖母だったが数年前に他界。
「あたしが死んだらお墓参りにだけは来てちょうだい」が口癖だった祖母
墓参りに来なかったら恨んで出てくるんじゃないか?という恐れもあるが、今回は墓前にうれしい報告もできるので、起夫は少し墓前に添える花を奮発した。
が、何度やっても上達しない、お線香の火消しに失敗した起夫はいつもより大分少ない線香を祖母に捧げるのであった。
実家に帰ると、起夫のたまの帰省を楽しみにしていた両親が待ち構えていた。
起夫には兄と弟がいるが、二人ともすでに結婚しており、残っているのは起夫だけであった。
よって兄夫婦と弟夫婦と顔を合わせるのが何となくきまずい起夫はここ数年、正月やお盆にも帰省することはなくなっていた。
両親は数年前までは「結婚はしないの?」「だれかいい人はいないの?」と遠まわしに訊いてきたのであるが、最近はむしろなるべくその話題に触れまいと起夫に気を使っていた。
起夫の不安定な仕事や低収入ではお見合いの話をもらうことも難しく、
婚活をしろともいいにくい。
敗色濃厚だからだ。
だから起夫には「私たちが死んだらこの家に住んでいいから」とまで言っていた。
その気持ちが痛いほど分かるので、起夫もまた帰省しづらくなっていたのであった。
父親の晩酌に付き合いながら、なんとなく話を切り出すタイミングを探っていた。
が、父親の目はテレビ東京の温泉旅番組に釘付け
CMの合間に思い切って話そうと思ったが、即座に母親が「お父さん、御飯もう食べる?用意しようか?」と間に入ってしまう。
起夫「話題が結婚にならないものか・・・」
起夫は心の中で「神田うの、もう一回結婚式やれ!」「小栗・山田!そろそろ結婚しろ!」「ゼクシィのCM流れろ!」と祈ったが、ブラウン管に写るのは温泉に浸かるドン小西であったり、落ち着きのない泰葉であったりと、なかなかチャンスは現れない。
そうこうしているうちに、母親が晩飯の支度を整え、食事が始まってしまった。
起夫はその間もタイミングをうかがうのであるが、そんなことは微塵にも思っていない両親は「国民年金は安すぎる」だとか、「おじいちゃんのオムツを買いに行かなければ」なんて話をどんどん繰り出すのであった。
さらに、これまたタイミングの悪いことに起夫が帰省する数日前に兄嫁が入院し、弟が仕事を辞めるという暗いニュースが起こっていた。
それにしても、この夫婦
昔から自営業で朝から晩まで顔を突き合わせているのに、よく話がつきないものである。
起夫は両親が喧嘩らしい喧嘩をしたのを見たことがなかった。
気は優しくて力持ち、といえば聞えはいいが、実は気が小さくて単細胞の父
その父を頭の回転の速い母親がうまくコントロールしているようだった。
常に家にいる両親。
共に台所に立ち、よく話し、よく働く両親。
起夫はその姿を子どものころから当たり前のように見ていた。
食事が終わり、父は食器を下げ、母はデザートの果物を用意するため台所に立った。
居間にポツンと残された起夫は父と母が居間に戻ってくるとおもむろに話し始めた
起夫「あの・・・・いいニュースがあるんだけど・・・」
母「なになに?」
父「給料が上がったか?」
起夫「いや、給料は上がっていないんだけどね、その・・・結婚をね・・・・しようと思うんだ・・・」
母「え!?ほんと?そりゃあいいニュースだ!」
父「日本の人?」
起夫「・・・最初の質問がそれか・・・。まあ、確かにこれまで日本人女性には相手にされてこなかったけど・・・・あの・・・韓国の人なんだけど・・・・いいよね?」
母「まあ、あんたがいいならね。」
父「日本語話せるの?」
起夫「・・・・・お父・・・すまんが今から韓国語勉強してくれ」
父「む、無理だ!や、やめてくれ!」
起夫「冗談だよ。日本語ペラペラだから」
父「ほっ、良かった・・・」
母「付き合って長いの?」
起夫「1ヶ月半」
母「ああ・・・・じゃ、まだわからないね・・・」
起夫「いや、でも、あの・・・本気だから!」
起夫はジュンとのこれまでのことを話した。
すると単純な父はすぐに納得し、頭の良い母はまだ少し含みを持ちつつも認めてくれた。
母「ま、がんばりなさい。良かったね」
起夫「うん・・・・・・・・・・ありがと。でね、週末には国に帰っちゃうから、その前に一度会ってみない?」
それはジュンの帰国前日のことであった。