今年のGWは我が父にとって人生最高のGWだった、かもしれない。
なんせ、子供たちが全員嫁を連れてやってきたからだ。
兄は2002年に結婚。
弟は2006年。
子供たちが少しずつ身を固めていく中で、次男坊の僕だけはなかなか結婚ができなかった。
僕は20代の頃は海外勤務などをして、兄弟の中でも華麗な人生を歩んでいるような感じがしたので
両親も「青い目をした奥さんでもいいから連れてこい!」などと笑っていた。
が、兄や弟が片付いてからは「一刻も早く嫁を!」と叫ぶようになり、
非正規雇用となってからは「年を取ってから一人は寂しいよ~」と遠回しに結婚を勧めるようになり
35を超えてからはあえて何も言わなくなった。
思い起こせば僕のほうから「彼女とどこどこへ行った」などという話をしたことがない。
両親も「こいつは・・・本当に何もないんだろうな・・・」と悟ったのかもしれない。
3年前には両親が長年経営していた店を閉めたので、子供たちがお金を出して「お疲れ温泉旅行」を企画したことがある。
参加メンバーは父と母、兄と兄嫁、弟と弟嫁、・・・・・・・・・・・・・そして僕。
僕がいかに肩身が狭かったか、お察し頂けるだろうか・・・
兄が運転する車の隣には兄嫁
弟が運転する車の隣には弟嫁。
その車の後ろには父、母、僕が乗るわけだが、母が気を利かせて僕と父を兄の車の後ろに乗せ、自分は一人で弟の車の後ろに乗ってくれた。
サファリパークのバスに乗った時も、お昼ご飯を食べるテーブルに座るときも
母は僕が一人にならないように工夫してくれた。
両親が悲しいくらい僕に気を遣ってくれたので、いったいどっちの「慰安」なのかわからなかったな・・・
そんな僕も、今年の3月にやっと韓国人嫁をゲット
37年と時間はかかったが、両親もやっと最後の一人が片付いて、肩の荷が下りたようだ。
ま、僕もホッとしたが・・・
そしてゴールデンウィーク
ついに子供たちが全員、嫁を連れて集合したのだ。
テーブルを二つ併せ
一辺には兄と兄嫁
一辺には僕と僕嫁
一辺には弟と弟嫁
そして下座には父と母が陣取ることになった。
両親が下座にいるのにはわけがある。
父は気が小さく世話焼きなので、立っていないと落ち着かないのだ。
僕が初めて嫁を連れてきた時でさえ、父は母とともに台所に立ち、お茶を入れたり茶菓子を出したりして、なかなか座ってくれなかった。
客が来ても主人としてドンと待ち構えることができないのだ。
よって今回も台所に一番近いところに座ってもらったのだが、
終始ニコニコしながら食事の支度などをしていた。
次男坊で分家にされた父親が、
やっとこさ手に入れた”一族の長”の座である。
それはそれはうれしそうだった。
そんな父のかわいらしい一面。
食事を終え、家族全員で「世界フィギア」を見ていた時のこと。
今日のフリープログラムの演技で優勝が決まる。
すると父は思わず
全員が「ギョッ」とした目で父を見た後、
僕の隣の韓国人嫁の顔を見た。
気まずい空気が流れた我が家であった・・・・・・・・・・