ゴールデンウィーク初日、横浜へ行ってきた。
ツアーバスに乗って、横浜の市内観光をしてきたのだ。
おりしもその日の朝、関越道でツアーバスが死人まで出す大事故を起こすニュースが流れていた。
嫌な予感がビンビンとしたのだが、終わってみれば、実に有意義なツアーだった。
きっかけは嫁の一言である。
4月27日は僕の父親の誕生日なのであるが、プレゼントを何にするかと聞いてきたのだ。
僕の父はこれといって物に執着しないタイプで、子どものころから「あれがほしい」「これがほしい」ということを聞いたことがない。
ゴルフも釣りもやらず、車やバイクの趣味もない。
音楽も聞かず、運動もせず、自分にほとんどお金をかけない男だ。
僕は父の息子を40年近くやってきているが、父親が喜ぶプレゼントが全く浮かばない。
これまで兄嫁、弟嫁たちが父の日などに送ったマッサージ機やリクライニングチェアーなども最初に数回使ったぐらいで、今は全て埃をかぶっている。
嫁がしかたなく母親に相談するも、わが母ですら「なんでもいい」とそっけない。
なんでもいい、というより「プレゼントしてほしがっているものは何もない」といったところだろう。
さすが終戦直後に生まれた父である。
ただ母によると、母が旅行のパンフレットを見ながら「行きたいわね~、今度行こうか?お父さん!」と言い出した旅行には割とホイホイついてくるらしい。
そこで嫁と母が相談し、旅行に行くことになったのだが、温泉旅行一泊に招待するほどこちらも金銭的な余裕がない。
よって近場の日帰り旅行と言うことで、横浜に場所が決まった。
僕は東京在住、両親も神奈川在住なので、旅行というよりちょっとした外出なのだが、実は僕も横浜はそんなに詳しくない。
浪人中、1年間 横浜の河合塾に通っていたがそれも20年前。
よくわからない街を年老いた両親をつれてウロウロするのはかえって疲れさせてしまうかもしれない。
そこで、横浜市の交通局が主宰する定期観光バスツアーに申し込むことにした。
料金は大人7000円、両親はシルバー料金なのでもう少し安いが、4人で2万7千円弱
痛くない出費と言えばうそになるが、ま、親孝行だと思って家計からねん出することにした。
実はバスツアーにはちょっと興味があったのだ。
昨今、バスツアーはものすごく人気らしい。
いろいろなところに連れて行ってくれ、しかもおいしいものがたくさん食べられる。
さらにお土産もたくさんもらえて、料金もかなりお得。
シルバー世代はもちろん、若い人にも今、注目を集めているらしい。
テレビのバラエティーで「バスツアー最高!」「すごい!お得!」と騒ぎ立てているのを聞いて、僕もずっと行ってみたかったのだ。
そうして4月29日。
僕らは横浜駅東口から、バスに乗り込んだ。
車内ではツアー参加者に「BAYSIDE LINE」の文字が入ったバッジが配られ、必ずそれを身に着けるように指示される。
そしてバスが東口からゆっくり出ると、ガイドさんが
「みなさま、これより出発いたします。左手に見送りの者がおりますので、手を振ってあげてください」
と笑顔で催促する。
するとバスの左側に座っているツアー参加者はまるで小学生のように素直に横浜市交通局の職員に「行ってきます」と手を振るのであった。
「ああ、ツアーに来たんだ」と実感する瞬間である。
しかしまあ、僕も年を取ったというか、角が取れたものだ。
僕は中学や高校の修学旅行でさえ、団体行動が苦手だった。
バスガイドさんが旗を持って先導していく列に加わるのがなんとなく気恥ずかしく、わざと他人のふりをしながら離れて歩いたりした。
ま、学生服なので、何をどうみても他人には見えないのだが、とにかく天邪鬼な性格だったことは間違いない。
両親と一緒にいるのを他の人に見られるのも苦手だった。
僕が小さい頃は、2か月に一回くらい、駅前の東急デパートの最上階で家族全員で食事をすることがあった。
日曜の夜の小さな楽しみの一つで、1000円以内でいかにおいしくて量があるものを食べるかが勝負だった。
ガラスケースにへばりついて、サンプルを一つ一つ凝視。
クリームソーダはものすごく旨そうだが、これを頼むと飯を700円以内に収めなければならない。
ポークソテーをにらんでは考え、ハンバーグを見ては悩み、ドリアを見ては心揺さぶられた。
家族がさっさとレストランに入る中、一人ショーケースの前で悶々としていた。
それほど楽しみであった外食であったが、そのレストランに入る前が恥ずかしかった。
家族5人、連れだって歩くのが恥ずかしかった。
それをたまたま同じ学校のやつとかに見られるともう最悪だった。
なんでかと言われると答えるのは難しいが、思春期の男の子と言うものはそういうものなのだ。
それが今や、両親と一緒にバスツアーである。
胸にツアーバッジをつけ、ガイドが旗を持って先導をする中、若者の街・横浜を闊歩しているのである。
んで、それが今は大して恥ずかしく感じないのである。
むしろ楽しかったりするのである。
いやはや、大人になったものだ。