俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

『永遠の0』ごっこ②

(前回の続き)

仕事でフィリピンに赴任することを両親に伝えたところ、祖父が同国で戦死したことを知らされた僕。
ひょんなことから祖父のことを調べることになったのだが・・・

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僕がまず最初にしたこと、それは本家のおじさんを訪ねることだった。

実は父が5歳の時に祖父は戦死しているので、父は名前以外の情報をほとんど持っていなかった。
親の生年月日も知らないというのも問題だが、とにかく手がかりがなければ調べようがない。

父は次男坊なので、長男である叔父さんなら何か知っているんじゃないかと思ったのだ。


暇を持て余していた叔父さんは僕らの訪問を喜んで迎え入れてくれた。

そして最近の政治の話やら、桜の開花時期の話やら、近所のばあさんが倒れた話やら、先月バイクで霞ヶ浦に行った話やら、ひとしきり小一時間ほどしゃべり続けた。

僕は茶菓子で出されたアルフォートを食べながらその話を適当に聞き流していた。
そして叔父さんの話がひと段落したところで、ゆっくり祖父の話を聞いてみた。

叔父さんは生年月日は知っていたものの、詳しい軍歴などは知らなかった。
ただ知っている限りのことを少しずつ教えてくれた。
叔父さんの話によると

・祖父が亡くなったのはフィリピンのセブ島、セブ市の野戦病院にいる時で米軍の空襲にあった
・すでに亡くなっている祖母は遺族年金をずっともらっていた
・叔父さん自身も戦争遺族として国からいくらかもらっている
・祖父の遺品はなく、セブの砂だけが送られてきた。
・死後、「陸軍兵長」を与えられた
靖国神社に英霊として祭られており、祖母は慰霊祭などにも参加していた

とのことだった。

そういえば、僕が小学生の時、祖母が「総理大臣から手紙が来たんだよ」なんて自慢げにハガキを見せてきたことがあった。

当時、小学生だった僕は当時の総理大臣・鈴木善幸さんのことも知らなかったし、なんだったら「総理大臣」という役職のことももよくわからなかった。

ただすごい偉い人からおばあちゃんが手紙をもらったことが誇らしくて、夏休みの絵日記に書いていた。
不思議だが、その絵日記に書いたことを43歳になった今もちゃんと覚えている。
今思えば、あれは夏の慰霊祭の招待状みたいなものだったのではなかろうか。

それにしても祖父が靖国神社にいたなんてね・・・

僕には無関係だと思っていた靖国神社

政治家がお参りしたり、奉納したりして、中国・韓国が騒ぎ出す
そんなのをテレビやネットで観ていただけの靖国神社に、僕の祖父もいたなんて・・・

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それにしても祖父の戦歴って、どうやって調べるもんなんだろう?

ネットで調べてみると、意外にもYahoo!知恵袋に質問している人が結構いる。

どうやら祖父が住んでいたところの市役所にまず聞くのが一番早い、とのことだった。
幸い僕は現在実家暮らしで祖父の生家と同じ市内。

ということでとりあえず近くの市役所に向かった。

僕の住んでいるところの市役所には福祉総務課というものがあり、普段は遺族年金を含む年金関係を処理しているのだが、軍歴等の情報捜索も手伝ってくれるらしい。

しかしそこで祖父のことを聞くには、僕と祖父の関係を示す書類が必要だ。

僕はまず結婚前の戸籍謄本を取り、僕と父親の関係を証明する書類を入手。
父の名前のところには祖父母の名前も記載されているので、僕と祖父の関係もわかるという寸法だ。

さらに自分の戸籍謄本をもとに祖父の戸籍を申請。
しかし明治生まれの祖父の戸籍はなかなか引っ張り出すのはたいへんだったらしく、平日の午前だというのに小一時間待たされた。

こうして手に入れた祖父の戸籍は、手書きのものをPDFファイルにしたもので時代を感じさせた。

祖父は明治42年生まれで、昭和20年3月29日に37歳で戦死していた。

祖父の戸籍を持って市役所の福祉総務課に尋ねたところ、市役所の中には資料が残っていないとのこと。
しかし電話でどこかに問い合わせてくれ、祖父は最後「独立混成第54旅団司令部」というところに所属していたことを教えてくれた。

独立混成第54旅団司令部


何だろう、これ?

「独立混成」ってのが、なんとも”寄せ集め”っぽい響きもあるし

「旅団」ってのはちょっと楽しそうな感じもする。


ともあれ、父や叔父が知らなかった祖父の所属部隊まではたどり着いた。

「これより詳しいことを知りたければ県庁の生活援護課に問い合わせてみると良い」とのことだった。

そうか、次は県庁か・・・

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