俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

義弟よ・・・その2

わが韓国人妻の弟が初めての海外旅行として日本に来て2日目

今日は日曜日だったが僕はどうしても明日の仕事の準備をしなければならず家でお留守番

妻と義弟、そしていとこの3人は鎌倉・江の島観光へと向かった。


鎌倉では道に迷いながらも鶴岡八幡宮長谷寺建長寺などを回り、

大仏を拝むかと思いきや「僕らクリスチャンだし、お金ももったいし、やめておこう」ということで却下。

そして江ノ島電鉄に乗って江の島を観光

写真が趣味の義弟はきれいな景色をたくさん写真に収めたという。

また、お金がないので、昼は安い定食屋、夜は新宿に戻って吉野家でご飯を食べたという。
(ちなみに韓国には牛丼屋はないそうで、義弟は日本の牛丼屋を気に入り、2回ほど利用している)

ここまではメールやら電話やらで途中経過を聞いていたので知っていた。

僕は意外に仕事が早く終わってしまい、「う~む、俺も行けば良かったかな?」と思いつつ、久しぶりのカップラーメンを堪能したり、Youtubeで「うしろ指さされ組」の映像を1時間も眺めたりしていた。


そして夜9時

家のベルが鳴ったので、二人が帰ってきたかと思いきや、帰ってきたのは妻一人。

しかも顔が超不機嫌。

やっちまった・・・・

この顔は、喧嘩をして帰ってきたのである。

僕が恐る恐る「義弟は?」と聞くと、「知らない!」と大きな声を上げる妻

う~む、これは参ったぞ・・・

義弟は海外旅行は初めてで、しかもうちに泊まっているのである。

妻に放っておかれたら行く場所もなく、途方にくれているはずである。

このまま日本で迷子になって警察に補導でもされようものなら韓国の義母にも申し訳が立たない。

とにかく妻に事情を聴かねばならない。

怒った妻はなかなか扱いが難しいのだが、幸いなことに僕はちょっと前の夫婦喧嘩で妻の扱いを学んでいる。(↓参照)



僕は妻に座っていただき、冷たいお茶を差し出した。

妻はきっと前を向き、お茶を飲み、そしてプルプルと顔を震わせた。

怒りを抑えているのだ。

僕はなるべくおだやかに「・・・・で、どうしたの?」と尋ねた。

妻は数秒 黙った後、たまりにたまった怒りをぶちまけた。

「あいつ、おかしいよ!いきなり怒り出したよ!」

「江の島で弟を前に歩かせて、あたし達は後ろを歩いてたよ。弟のペースで観光させてあげたかったからね。そうしたら怒ったよ!なんで俺を前に歩かせるんだって!」

「『日本は不便だ!』って。煙草も自由に吸えないし、電車に乗る時間も長いって!」

「あたしもちょっとムッとなったけど我慢したよ。でも弟は『姉さんは結婚して煙草を吸えなくなったから僕にあたるんだ』って。わけわからないこと言ったよ!」

「あたし、もう少しで弟に殴られるところだったよ!あいつ、あたしが我慢しなかったらあたしを殴ったよ!」

「『もううちに帰らない!』なんて言うから、じゃあホテルに泊まるか?って訊いたよ。で、ホテルのフロントにタバコが吸える部屋があるかって聞いてやったら、急に『やっぱり泊まらない』なんて言うんだよ!もうわけわからないよ!」

「あたし何かおかしい?あたしがんばったよ。弟にいい思い出作ってもらいたいじゃない?でもあいつおかしいよ・・・」

妻はボロボロ泣きながら怒りのたけをぶちまけた。


おそらく、義弟は初めての海外ということでストレスもあったのかもしれない。

我が家から鎌倉まで電車を乗り継いで往復3時間はかかる。

ヘビースモーカーの義弟はタバコが好きな時に据えないこともイライラの原因だったのかもしれない。

つい身内である姉にストレスをぶつけてしまったのだろう。


が、とにかく今は妻をなだめなければ。

僕は「君は悪くない。君はがんばったよ」と背中をさすった。


すると妻はさらに泣き出して

「あたしは弟を置いてけぼりにしたよ。」

「弟は今ごろ、道に迷って困ってるかもしれないよ!」

「弟が見つからなくなったらどうしよう~~」

「あたし、ひどいことをしたよ~~~」などと叫ぶのである。

僕は一瞬「????」と思いながらも

「だ、大丈夫だよ。駅までは一緒だったんだろう?駅前のホテルにチェックインしようと思ってたんだろう?」

駅からうちまでは歩いて15分。

しかも義弟だって3回は歩いている道だ。

義弟がどこかに止まっているとすれば、おそらく駅ビル、昨日盆踊りを見た公園くらいのはず。

その間の道をくまなくさがせば見つかるはずだ。

僕は「ここで待ってな。俺が探しに行くから」というと、妻は「あたしも行ぐぅ~~」と泣きながらついてくるのであった。

妻が夜の10時も近いというのに泣きながら「弟がいなぐなったらどうじよぉ~~~」「あたしのせいだぁ~~~」などと叫ぶので、犬の散歩をしていた近所の人や自販機前にたむろしていた少年たちが「何事(なにごと)だ?」という目でこちらを振り返る。

ちょっと恥ずかしい・・・

最初の公園にはいなかった。

が、夕べ盆踊りを見た公園、そこへ続く横断歩道の向こう側に見慣れたシルエットが見えた。

そう、義弟がゆっくりうちに向かって歩いていたのである。

「ふう・・・」

僕は少し安心した。

そして義弟は横断歩道をこちらに渡ってくると、僕の方を見て少し照れ笑いをしながら

「ゴメンナサイ」と言った。

僕が「OK・・・ケンチャナ?(大丈夫?の意味)」と答えると、妻は義弟のほうに寄って行った。

僕は妻が殴りかかるんじゃないかと思い、ぐいっと引き寄せたが、妻は僕の腕を振りほどいた。

そして泣きながら義弟に向かって何やら韓国語で怒鳴り、義弟と腕を組んで歩き始めた。

僕はまたまた「????」と、頭の中が混乱したが、おそらく


妻「どこ行ってたのよ!心配したんだからぁ~~~(泣)」

弟「わかったよ。俺が悪かったよ・・・」

妻「あたしがどれだけ心配したかわかってるのぉ~~~(泣)」

みたいな会話が交わされたんだと思う。


にしても、喜怒哀楽が激しすぎるだろ・・・

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その晩、僕らは義弟が江の島で買ってきてくれたイカ干しや、魚のミリン干しをつまみにみんなでビールを飲んだ。

まるで先ほどの騒ぎが幻であるかのように、二人ともケロッとしていた。

それを見ながら、なんとなく「うらやましい」と思ってしまった。


僕は男3人兄弟の次男坊である。

兄弟は男しかいなかったので、ずっと姉や妹の存在に憧れていた。

ただでさえ、男兄弟というのは疎遠な関係であるのに、

我が家は少し度が超えていた。

兄は実家にいたが、僕は大学入学以来ずっとひとり暮らし。弟も名古屋の大学に行ってそこで就職したので、兄弟は基本バラバラだった。

その上僕は弟の携帯番号もメールアドレスも知らないし、兄も知らない。知ろうとしない。

お互いが見事なほどに無関心なのだ。

昔、大げんかをした、ということもなければ、仲が悪いわけでもない。なのに連絡は取らない。

たまに帰省した折に、母親づたいにそれぞれの近況を知るくらい。

お互いがまったく干渉しない関係なのだ。

兄は実家の隣に住んでいるので、盆か正月に1回は会うが、

弟にいたってはヤツが愛知の大学へ行って以降は

93年の夏休み、2005年の弟の結婚式、2007年の両親退職祝いの家族旅行、2009年のGWにたまたま

と、この18年で4回くらいしか顔を見ていない。

もちろんその間、電話やメールで連絡を取っていたなんてこともなく、直接あっても二言三言しか話をしない。

もう肉親とはいえ、「何を話していいかわからない」というくらい他人に近い。

だから喧嘩もしない

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一方、妻の国、韓国では結婚するまでは家族と暮らすのが一般的

一人暮らしというものをほとんどしないそうな。

妻も結婚前までは家族と一緒に住んでいたが、毎日のように喧嘩、喧嘩

「大嫌い!」

「仲は良くないよ!」

「あいつらはわがままだ!」

「私が日本に来てもさびしがるなんてことはないし、喜んでいるよ」

なんて言っていた。


確かにそうなんだろうけど、少なくても僕の家族よりはよっぽで健全な気がする

毎日、言いたいことをいい、やりたいことをやる。

喧嘩をして、泣いて、怒って、笑って、またみんなでご飯を食べる。

僕はこの20年、そんなことをしたことがない。

「あんなに毎日のように喧嘩してたらストレスがたまりそう・・・」なんて心配をしているが

おそらく妻からしたら

「喧嘩もできない仲なんて、ストレスたまりそう・・・」って感じなのかもしれない。


この二日後、義弟は羽田空港から韓国へ帰るのだが、

見送りに行った妻は義弟が搭乗ゲートの奥へ消えると急に寂しくなって涙を流したりするのだった・・・。

僕もこんなに素直に感情を出せたら、もっともっと素直なブログがかけるのに・・・・

なんて思う、今日この頃でした。

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