それは1992年のこと
僕は高校時代の野球部の仲間とスキー旅行に行っていた。
今となってはどこのスキー場だったかも思い出せないが、非常に楽しかったのは覚えている。
野球部のキャプテンで、運動神経抜群だったやつがスキー初心者だったため、スキー板をハの字にしていてもへっぴり腰で、実に無様(ぶざま)だったからだ。
僕は普段とは違う立場に立てるサディスティックな快感に酔いながらスキーを楽しみ、キャプテンの青く赤く腫れあがった肌に湿布なんぞを貼ってやったものだった。
が、そんな腹黒さを発揮してしまったツケは、即座にやってきた。
それはスキー旅行への帰り
夜行バスが新宿駅の到着した直後のことだった。
実は当時、外出先でうんこができない体質だった僕は、スキー旅行中の2泊3日、うんこができないでいたのだった。
僕は急いで駅のトイレを使おうと思ったのだが、スキー場から深夜バスで帰ってきたので時刻はまだ早朝の4時
駅の構内には入れなかったのだ。
僕はあせった。
当時はまだ新宿の地理にも疎く、どこにトイレがあるかわからない。
僕はあせった。
とりあえず新宿駅の中を歩いてみた。
東に100メートル進んでは、トイレはなさそうだと断念
西に100メートル進んでは、この先はお店すらなさそうだと引き返す
尻に力を入れて西へ50メートル進んだところで「あ、こっちはJRだ・・・友達に見つかってしまう・・・」
地上に上がったら公衆便所があるだろうか
そう思って階段を上ったが、見渡す限りビル、ビル、ビル!
くっそ!大都会が!
公園でもないかとヨチヨチ進んでみたが、公園どころか緑すらない。
ビルとビルの間の物陰でこっそりしてしまおうかとも思ったが、この時期はいろんなスキー場から帰ってきた若者でいっぱい。
新宿駅周辺は朝の4時半にもかかわらず、人の目が途切れることがなかったのである。
そろそろ我慢の限界
僕は「・・・もしかしたらもう駅が開いたかも・・・」と思って改札へ続く階段を下りたのだが、無情にも改札は開いていないどころか、人だかり。
「はぁ~~~~・・・・・・・ダメかな・・・」
真冬なのに変な冷や汗
一瞬たりとも尻の力を抜けない状況
僕は特攻隊気分で地上への階段を上ろうとしたその瞬間!
「はうぁ!!!」
僕は階段の裏にちょっとだけ死角を発見!!
迷うことなくズボンを下げ、一気に解放した
そのままズボンを上げ、僕はその場を立ち去った。
僕は匂いがこもらないように、そのまま30分駅の中を30分ウロウロし、改札が開くと同時にトイレに入って汚れた下着の処理をした。
そういえば僕が通り過ぎた後、若い女の子のグループの一人が「臭っ!!」と小さく叫んでいたな。
そのあと、グループが大笑いしていたのを背中で聞いたな。
このパンツとズボンはうちへ持って帰れまい。
僕はパジャマ替わりに持ってきていたスウェットの下を履いて小田急線に乗り、家に帰ったのだった。
19歳の冬であった。
あれ以来、僕は「最後にうんこを漏らしたのは19歳!」というのを自分なりの”すべらない話”として持っていた。
幸い(?)披露することもなく、20年過ぎてしまったが、今でもネタとしてひっそり温めていたりする。
話は変わって、2011年
僕は結婚をし、幸せな生活を送っていた。
嫁(韓国人)はなかなか話のわかる女で、ストレスもなく毎日楽しく過ごしている。
ある日、妻の弟が日本に遊びに来るというので、飯をおごってやることにした。
義弟は初めての海外旅行
正直、フリーターの僕にとって「焼肉をおごる」というのは少なからず痛手だが、憧れの国、日本でいい思い出を作ってもらいたいと思ったのだ。
家の近所になかなか旨い焼肉屋があるので連れて行ったのだが、
焼肉の国、韓国から義弟は日本式の焼肉にもいたく感動。
最後の冷麺までしっかり堪能してくれた。
とくに牛タンの旨さにびっくりしたようだった。
僕も久しぶりの焼肉で調子に乗って食べ過ぎてしまった。
おなかをさすりながら駅の周りをブラブラ
義弟の土産探しなどに付き合って家に帰ることにした。
事件はその時に起こった。
駅から家までの道を歩いていると、不意に便意を催した。
が、それはさほど強烈なものではない。
家につくまではなんとか持つだろうと思っていた。
嫁は義弟としゃべりながらケラケラ笑っている。
「このお土産はきっと喜んでくれるはずだ」
「焼肉も旨かったが、昼に食べた牛丼も旨かった」
そんな話で盛り上がっているのだが、僕の方が雲行きが怪しい。
おかしい・・・
僕はこの程度の便意に負けるような男ではないはずだ。
僕は数々の修羅場を潜り抜けてきた。
そしてことごとく勝利を得てきた百戦錬磨
その僕が、今、顔を蒼くしている。
嫁が何やら話しかけ来ているのだが、さっきから生返事しかできない。
僕の頭の中は
「駅までひきかえすか?」
「この民家の庭にこっそり入ってしてしまおうか?」
「いや、家まではなんとか持つはずだ」
「ああ、この二人がいなかったら・・・どこかの物陰でしてしまうのに・・・」
「駅までひきかえすか?」
「この民家の庭にこっそり入ってしてしまおうか?」
「いや、家まではなんとか持つはずだ」
「ああ、この二人がいなかったら・・・どこかの物陰でしてしまうのに・・・」
そんなことばかり考えていた。
家までは直線距離で350メートル
ちょっと家までは無理そう・・・・・・
しかし、義弟には「まじめで、しっかりしていて、やさしい、立派な義兄さん」「日本人の鑑(かがみ)」として通っているからには
間違ってもうんこなんぞ漏らすわけにはいかない!!
僕は尻にしっかりと力を入れ、ヨチヨチと歩くのであるが・・・・このペースではもう・・・
はぁ・・・あ、そういえばこの先に公園がある・・・・そこでやろう・・・
僕は思い切って妻に告げた
「ごめん、腹が痛いから、その公園でトイレ行ってくる。先帰ってて」
「え?大丈夫?いいよ、待ってるよ」
「いや、待ってなくていいから、先帰ってて!」
「え、でも・・・」
「(キョトンとしている義弟)」
僕は小走りになって、先を急いだ。
が、これが大失敗だった。
小走りになったとたん、尻をすぼめていた筋肉が緩んでしまったのである。
そして公園に入った途端、例の擬音が聞こえてきたのであった。
はぁ・・・・・・・・・
この感触・・・・・・・・・・
このゾクゾク感・・・・・・・・
ふふふ・・・・なんか・・・・・・笑けて・・・泣けてきた・・・
トイレに入り、敗戦処理をする。
妻と義弟は、38歳にもなってうんこを漏らしたこの日本人をどう思うだろうか・・・。
トイレから出ると、ベンチのところで二人は待っていた。
僕はなるべくズボンの後ろを見られないように、二人の後ろを歩きながら家に帰った。
2011年の夏であった。
僕がこの記録を更新するのは、次は年を取ってボケてきたときであることを願う・・・