俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

僕の中の天使と悪魔

その日、僕はとある職場でうんこをしていた。

いろいろな職場をかけもちしている僕は、曜日によって通う職場が違う。

だからそれぞれの職場に「お気に入りの便所」というものを持っている。


僕のお気に入りの便所

それは何をおいても、「ほとんど人が入ってこない所」に尽きる。

だれにも邪魔されず、誰にも気を使わず、思うままにうんこをする。

ある意味これは、人生における至福の時間だ。


だから、どこの便所の、どの時間帯がベストタイムか

いろいろな便所で、いろいろな時間に排便を試みて、自分なりの「トイレマップ」を作成する。

大体、大まかなファイリングを作成するのに半年はかかる。


ちなみに、今日の職場は建物自体がまだ新しい上に、便座は温かく、しかもウォッシュレット

さらにさらに、本職場内で、唯一携帯の電波が届く便所なのだ。

僕は4月からこの職場に通い始めて、半年たってやっと見つけた安楽の場所なのだ。


ズボンを下ろし、便座に腰を下ろし、まずは第一陣を放出。

お昼に食べたミートソースとたらこクリームソースのあいがけがそのままドボドボと流れ落ちる。

「う~~む、なんだかもったいない」

と思いつつ、それでも

「たくさん出ることはいいことだ」

が僕のポリシーである。


第一陣が全て旅立ち、第二陣出発までの間、しばらくほっとできるので、

ここでケータイなんぞを開いてみる。

相変わらず来ているのは「TSUTAYAのダイレクトメール」「マクドナルドのダイレクトメール」「1分で読める英語ニュースのメールマガジン」のみ


あ~あ、僕にもし恋人がいたら

「今何してる?」

「うんこ」

みたいなラブラブ・メール交換ができるのに・・・。


溜息交じりでケータイを閉じ、何気なくトイレットペーパーのほうを見ると、

なにやらトイレットペーパーのホールダーの上に、銀色に光るものがあった。

なんだろう?

銀色のリング状のもので、一瞬、ナットのようなものに見えた。

「取れたトイレの部品か?嫌だな。どっか水とか漏れてないだろうな?」


そう思って手に持ってみると、それはどうも指輪のようだった。

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しかし、指輪というものをこれまでの人生で一度もつけたことがない僕は、そのあまりにも飾り気のない形状に、いまいち確信が持てず

「これ本当に指輪か?指輪って、もっとダイヤとかサファイヤとかが上についてるんじゃないの?」

と思いつつ、自分の薬指にはめていた。

「お、ぴったりだ。ふ~ん、結婚するとこんなものを指にはめるのか。ま、邪魔にはならないけど・・・やっぱり違和感があるな。ま、僕にはまだ早いな・・・」

そう思って外そうとした瞬間、薬指第二関節がひっかかって取れなくなってしまった!


「オーマイガッ!!なんで?はめる時はスッと入ったのに??やばい!マジ取れないィィィ!」

急な展開にあせる僕

「ちょ、ちょ、ちょ、どうしよう?無理やり取ろうとすると指痛いし、どうする?どうする?」

こんなにあせったのは、子供の時、コカコーラの瓶に指を突っ込んで取れなくなって以来だ。

なんてこった!8歳児と同じミスをするなんて!!

あの時はどうしたんだっけな?

「えっと、えっと、確か・・・・石鹸水!!石鹸水で滑らせたんだ!!」


あ、じゃ、トイレを済ませたら手を洗いながら取ればいいや

そう思ったら少し落ち着いた。


それにしても、これを置いていったやつはどんな神経してんだろう?

うんこするとき、指輪外すか??

だって、このトイレ、ウォッシュレットだぜ?

しかも忘れるか?

婚約指輪か結婚指輪か知らないけど、こんな大事なものなくしたら女の人カンカンに怒るよ。

まったく、これだから男って奴はダメなんだな。

結婚って面倒臭そうだな~~

奥さんに「あれ?あなた、指輪は?」とか言われてさ

「あれ?ない!ポケットは?ない!」とかあせっちゃってさ

大の大人があたふたしてる姿って、滑稽だよな。カッコ悪い!

そんで「あ!そうだ!俺、うんこするとき外したんだ!」なんて思い出して、奥さんに

「なんでウンコするとき外すのよ!手を洗うときだけでいいでしょ!」なんて言われて

「だって、手にうんことかつくじゃん」

「つかないわよ!っていうか、今までうんこついた手であたしを触ってたの!?」

なんて口論になったりして・・・。

そんでそんで

「いいから早く取ってらっしゃい!なくなったら離婚だからね!」なんて言われて

旦那も半べそで取りに来たりしてね。

半べそでこの指輪を・・・・・・・・・・・・・?????


「やばい!これ、忘れた奴が慌てて取りにくるんじゃね?俺、つけてちゃまずいじゃん!取って、元の位置に戻して気づかない振りしてなきゃダメじゃん!」

とたんに冷や汗が流れる。

もしかしたらその男は大慌てでコチラに向かっているかもしれない。

そして僕が入っているトイレのドアをドンドンと叩き、

「すみません!そこに、指輪ありませんでしたか!」

なんて聞いてくるかもしれない!

「いや、指輪はあるんですけど・・・・その、いろいろと・・・」

なんて言わなきゃいけなくなる。


まずい!早くうんこを済ませなきゃ!

とりあえず括約筋を一気に締め、残り便を体内に戻し、お尻を拭いて立ち上がった。

早く、早くしなけりゃ指輪の持ち主が来てしまう!

もしかしたらこのドアの向こうに、今か今かと待ち構えているかもしれない!


僕は「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせながら、ズボンを上げ、ベルトを締めた。

そして最後にダメもとでもう一度指輪を抜いてみた。

すると、実に拍子抜けするくらい、簡単に抜けた・・・・。


「くそ!くそ!」と、演技を失敗した市原隼人のように悔しがりながらも、とりあえず指輪を元の位置に戻し、そっとドアを開けた。


幸い、外にはだれもいなかった・・・。

僕は手を洗いながら、ふと指輪のことを考えた。


僕の心の中の悪魔が

「ひひひひ!持って帰っちゃまえよ!忘れるほうが悪いんだ!無くした奴はヘコむぜ~~。そんでもってそれを質屋に持っていけば、昼飯代くらいにはなるぜ!お前は他人の幸せを憎む悪魔だ。遠慮することはね~よ・・・」と囁いた。

う~む、確かに。

僕は指輪というものを持っていないから、ちょっと興味はある。

そんなに高そうでもないし・・・


すると僕の心の中の天使が

「あの指輪を遺失品として事務所に届けなさい。それが一番安全な方法よ。落とし主が事務所に行って、『トイレに指輪ありませんでしたか?』と聞いて、ちゃんと見つかったときの喜びは無上のものでしょう。」

う~む。それも一理ある。僕も去年、東京国際展示場でカメラを落として、「多分ないだろうな」と思いながらも落し物係の人に問い合わせたらちゃんと見つかって、すごいうれしかったもんな。

この世知辛い世の中に、ちゃんと落ちていたカメラを届けてくる人っているんだな~、ありがたいな~って思ったもんな。


すると僕の中の面倒臭がり屋が

「いいよいいよ、そのままで。お前は指輪を盗まなかった。指輪はお前が入る前と入った後で、変わらない位置にある。それでいいじゃん。お前がわざわざ届ける必要はねーよ。」

う~ん、そうだよな~。それが一番だよな。

僕にとっても害はなし。

仮に他の誰かが指輪を持っていってしまっても、それは落とし主が悪い。僕は悪くない。


そう思って僕はハンカチで手を拭きつつ、トイレを出た。

すると、すれ違いざまにトイレに入っていく男がいた。


「持ち主かな?良かった良かった。すぐに気づいたんだな。」

と安心して2~3メートル歩いた後、


「待てよ。もしかして、今のやつが落とし主じゃなかったらどうなるんだろう?もし今のやつが指輪に気づいて、勝手に持っていって、売り飛ばしてしまったら・・・」

確か、リングの内側には「M&I」とイニシャルが彫ってあった。

きっと婚約指輪か結婚指輪だ。

これを忘れた奴はきっと奥さんに怒られ、離婚されてしまうだろう。


僕はちょっと気になって、トイレに戻った。

なんとなく、確認だけはしておきたかったのだ。

もし、指輪がある個室が使われていたら、しょうがない。そいつに指輪の運命を託そう。


トイレに入ると、僕とすれ違いざまに入ったやつは小用の最中だった。

僕はなぜか、ちょっとホッとしてしまった。


しかし、ここですぐ個室に入ると、僕は「急いでウンコしたい奴」に思われてしまう。

それはちょっと恥ずかしいので、わざとらしく鏡の前で髪型をチェックする演技を開始


「う~ん、ちょっと横髪伸びたな~。今度、1,000円カットしてもらおうかな~」などと

右を向いたり左を向いたり、必死の演技をしていると、

やつは小用が終わり、手を洗い、そして僕の隣りで同じように髪型をいじりはじめた。


僕は内心、「早く行け、ボケ!」と思いながらも、今度は歯のチェックを試みた。

ああ、チェックしてよかった・・・・・

前歯の間に昼飯のスパゲティ、完全に挟まってるもんな。

トイレの水で口をゆすいでいると、隣りの男はすっと音も立てずに出て行った。


「ふ~。しょうがない。指輪は落し物として受付に届けてやるか。よし!かっこいいぞ、俺!」

そう、トイレの鏡に映る自分を、僕は笑顔で褒め称えてあげた。



トイレの個室には、あの銀の指輪がそのまま残っていた。

しかし、哀しいことに、僕はこの時初めて、自分がうんこを流し忘れていたことに気づいた。



最高にカッコ悪かった・・・・・・

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