大相撲名古屋場所14日目結びの一番。横綱・白鵬が大関・正代を退けて14連勝とした一番は大きな物議を醸した。
が、やっぱりすげぇ~な・・・白鵬関。
好角家ではない、ただの白鵬ファンの僕だから言わせてもらいたい。
白鵬関は・・・・美しい。
ちゃんとファンを喜ばせている。
~戦う君の歌を 戦わないやつらが笑うだろう・・・ファイト!~
白鵬は立ち合い前、、大きく一歩下がり、踵(カカト)が俵にかかるほど遠い距離で構えた。その瞬間、誰もがあっけにとられ小さなどよめきが起こった。審判部、行事、観客、そして相手の正代関、すべてが「えっ?」「そこから始めるの?」と戸惑った。
普通に考えてあんな土俵際から始めたら不利になるだけだし、記憶に残っている限り誰もしたことがない立ち合いの距離だった。
が、審判部も行事も注意ややり直しを宣告することはできなかったし、行司は取り組みを成立させた。一番困ったのは正代関だろう。頭から強く当たることもできないのでとりあえず体を立ててよたよたと近づこうとするが白鵬関の張り手のいい的(まと)になってしまう。その後も白鵬関に懐を開けてどっしりと待ち構えられてしまうのでむやみに飛び込むこともできず、結局一方的にやられてしまった。
もはや白鵬関があの立ち合いを考えた時点で勝負あり。正代関はプランが崩れ、動揺を隠せず、手玉に取られてしまった。
いや、白鵬・・・すごいな。
土俵際で待ち構えても受け止められる自信があったんだろうな。
白鵬関が一番嫌うのは当たりに行ったところを引き込まれたり、後ろに回られたりする奇襲だろう。それを封じるためには自分から当たりにいかずに懐(ふところ)をあけて受け止めるしかない。が、これが普通の力士ではできない。普通は懐に入られたら体を起こされたり、まわしを取られたりして圧倒的な不利な体勢になってしまうからだ。柔道で言えば相手に自由に組み手をさせるようなものだ。それでも組めば勝てる絶対の自信があったこそできる策。これぞ横綱相撲というものだろう。
白鵬-正代 14日目さらにもう一番 令和三年七月場所 SUMO - YouTube
が、予想通り審判部、理事会、横綱審議委員、元力士、解説者、自称相撲ファンからは「横綱が奇襲なんて美しくない!」「相撲は神事だ!」「相撲は国技だ!」「横綱の品格がぁ!」「歴代の横綱が築き上げてきた大相撲の歴史がぁ!」などなどいろいろ批判の声が聞こえてくる。
でも気にすることはないよ。
何事も最初にそれをした人は批判を受けるものだ。「ずるい!反則だ!邪道だ!外道だ!」
だがそれはえてして”自分の知識や経験にないことをされてパニックになっている状態”、”自分の知らないやり方で成功したことに対するひがみ”だ。
「相撲は国技」とか「横綱の品格」みたいな文句を言ってくる人は白鵬の人生を保証してはくれない。正攻法しかできなくて負けがこんで廃業した力士を補償してはくれない。相撲の未来がどうなろうと責任は取らないし、相撲の発展のために人生を捧げたりはしない。口を出すだけだ。
「横綱は模範でなければ、所作も美しくなければ」なんていう奴は「アイドルはいつも笑顔でファンにサービスをしなければ。純粋で清純でバージンでなければ」とか言って勝手な理想を押し付けてくるオタクと同類だ。
ちなみに「相撲は国技」「相撲は神事」「相撲の伝統を」なんてのも実は”グレー”な事実らしい。”国技”は法律で定められておらず明治以降に勝手に名付けたという話もあるし、”相撲は神事を放棄した”なんて記述もある(国技 - Wikipedia)。また伝統と言っても土俵の大きさや決まり手など時代によって柔軟にどんどん変化している。
だから白鵬関は外野の声を気にすることはない。スルーしていい。
そしてヒールを演じればいい。
ヒールも極めればスターになる。
引退後に残るのは数々の記録と白鵬関の強さに関する逸話だけだ。
少なくとも日本人力士は勝敗よりも品位が大事みたいなので、どん欲に相撲を研究しつくした白鵬関の記録は永久に抜くことはないだろう。
それにしても白鵬関に「受けて立つからかかってこい!」って構えられたら・・・打つ手ないよな・・・