俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

おせちは生き残るか

Twitterで話題になっている「お菓子のおせち」というものを見た。小学3年生と幼稚園年中のお子さんを持つ「めめぼん」(@memepon2313)さんが普通のおせちを食べないお子さんのために作ったそうだが、賛否両論で色々な方がコメントを残している。

おせち料理がお正月に食卓に並ぶと”The日本の正月!”という感じがするし、それぞれの具材が縁起物で、食育という意味でもおせちはあると嬉しい。

ただ、今年50歳になる僕でもおせち料理をおいしいと思って食べた記憶がない。それを子供に食べさせるのもねぇ・・・。

僕は国際結婚で現在海外在住である。

今年のお正月は現地の日本食レストランで「お雑煮セット」なるものをいただき、ささやかながらお正月気分を味わった。が、直後に日本にいる友だちから「うちはコレ!」と豪華な三段重のおせちの写真付きのLINEが送られてきてショックを受けた。日本ではまだこんな立派なおせちをちゃんと用意する家があるんだなぁ。具材の多さといい華やかさといい、どこを切り取っても映えまくり!お正月にこんな重箱が並んでいたら華やかな気分になって素晴らしい1年の始まりを迎えられるんだろうな。このために奥さんとかお母さまは忙しい年末に食材を買ってきて、料理もして、きれいに盛り付けて、がんばって用意したんだろうな。僕の友達のうちは小さい子供が2人いる。写真にも写っていたお子さんたちも「お正月ってなんかすごい料理が出てくる!」なんて驚くんだろうし、友人は友人で「この料理には1つ1つ意味があってね、このエビは・・・」なんて偉そうに講釈を垂れるんだろうな。きっとこういう家があって日本の文化は守られていくんだろうな。そんで子供たちは伊達巻・栗きんとん・カマボコ以外に手をつけてくれなくて、親や祖父母が敗戦処理のように残ったおせちを食べるんだろうな。

おせち料理の中身はすべて縁起もの。具材の意味と御節供のはじまり-ルアンマガジン

ちなみに僕の両親は自営業で大みそかまで店を開いていたので、僕ら兄弟は毎年母方の祖父母の家で年を越していた。祖父母は年越しそばもおせちもちゃんと用意してくれたのだが正直おせちはあまり好きではなかったので、雑煮で腹を満たしていたな。今、振り返ってみても、おせち・・・旨くなかったな。ちゃんと自分で栗きんとんやら昆布巻きやらを作ってくれていた祖父母には本当に申し訳ないんだけど。

伊達巻より普段食べている出汁巻き卵のほうが旨いし、栗きんとんは甘すぎておかずにならない。数の子も食べられるけど正月以外で食べようとは思わないし今ならとびっこのほうが好き。昆布巻きよりおにぎりに入っているふつうの昆布のほうが旨いし、田作りも黒豆も紅白なますも食べられないことはないけど、積極的に食べたいかと言われればそうでもない。エビやブリも煮物も冷めたものはねぇ。。。おせちは正月三が日に炊事をしなくてもいいように作られているため、基本作り置きで冷めていて、飯のおかずにならない。というか昔は正月三が日は飯を炊かず餅ばっかり食っていたとか。

最近は昔の形にとらわれず、エビフライ・ローストビーフ・鴨肉なんかを入れる人もいるらしいけど、そこまでしておせちを守る必要があるだろうか。いや、でもおせちがないのは日本人として寂しいし、日本の食文化を守ることは大事。でも食べたいかというとねぇ・・・。

僕が住んでいる国でもおせちセットを注文して手に入れることはできる。でも外国人の妻も、偏食の激しい息子もきっとおせちはほとんど食べない。僕が敗戦処理をすることになる。それは嫌だ。息子には”おせち料理”というものを知ってもらいたいという気持ちはあるけれど、ほとんど食べないものを注文するのは・・・それはそれでフードロスの問題もあるし・・・。

もしかして僕があまり好きじゃないだけで、世の中にはおせち大好きな人がいるかもしれないし、「ウチの子は黒豆も昆布もバクバク食べます!」という家庭もあるかもしれない。「たとえ食べ残されてもおせちは守るべき食文化!」という人たちもいるのかもしれない。

でも・・・令和ですよ?

正月からスーパーもコンビニも牛丼屋もハンバーガーショップも開いているし、温かいご飯に温かいおかずを食べたほうが幸せな気分になると思うけどな。うちの子が大人になる頃には本人もその子供たちにもおせちは用意しないんじゃないかな。

食文化だって変化はするし、時代に合わなければ廃れる。それは仕方がないこと。おせちはもういいんじゃない?

雑煮は残る!いや、俺が残す!