毎週日曜の朝
僕は重い体に鞭打って、近所の公園に運動に行く
その公園は愛犬家が集まる公園らしく、ぬいぐるみのようなちっこい犬を連れた人たちでにぎわっている。
犬を胸に抱いて歩いてきちゃうおばさんもいれば、
小雨の降る中、犬に雨合羽を着せてやってくる人もいる。
マナー違反でリードをはずしてしまうバカもいれば、同じような犬を4匹ぐらい連れてくる人もいる。
犬同士があいさつをしに近づくと、それをきっかけに人間達も笑顔であいさつを始める。
僕は子どもの頃、実家で犬を飼っていた。
が、それはしつけの悪い雑種で正直僕は「怖い動物」という意識しかなかった。
名前も知らないし、えさもあげたことがない。(子供達は皆、怖がっていたので、犬の世話は父親の仕事だった)
小学校に上がる頃には死んでしまったのだが、それ以来、わが家は動物は飼っていない。
「ああ、今なら可愛がってあげれるのに・・・散歩にだって連れて行ってあげれるのに・・・」
そう思うこともよくある。

もしも僕が仕事で一発当てて大きな庭付きの家を買えたら
僕は絶対に犬を飼いたい。
できれば、小型犬、中型犬、大型犬をそれぞれ飼いたい。
しかし、それぞれを飼う理由は少しずつ違う。
まずは大型犬。
これは第一に番犬用
もう一つは、観賞用だ。
犬は、人間を守ってナンボの生き物だと捕らえている。
だから犬は強いほうがいい。
犬は怖いほうがいい。
そして勇敢で、従順で、ツンデレのほうがいい。
あまり攻撃的でも困るが、
筋骨隆々な動物は、無条件に惚れ惚れする。
なんだったら、エサをやらなくてもネズミとか猫とか獲って食べるくらい逞しいほうがいい。
犬の本能、野生の本能を持っていて、
本当は人間なんかにエサをもらわなくても自分でエサぐらい獲れるんだけど・・・・
そんな奴が家に一匹ほしい。
シベリアン・ハスキー、シェパード、ボクサー、グレートデンなんかがいいな。


わぁお!It's cool!!
中型犬は交友用。
おじさんの寂しさを紛らわしてくれる友だちのような存在であってほしい。
犬は人間とともに生きてナンボだと思う。
だから犬は愛嬌があったほうがいい。
顔に油断があったほうがいい。
朴訥で、頭はそんなに良くなくてもいいから、癒してくれて、話を聞いてくれる奴がいい。
あまりにのん気でも困るが、やはり犬は人間の友だちであってほしい。
寂しいときに、自然に傍に来てくれて、「くう~ん」と鳴いてくれる。
夜遅く帰ったときも、尻尾を振って迎えに来てくれる。
そんな優しさを持っていてほしい。
いつまでもいつまでも、主人である僕と一緒にいることを喜んでくれ、歓迎してくれる
そんな奴が家に一匹ほしい。


そして小型犬である。
最近は、マンションなどでも飼える小型犬が女性を中心に大人気で、
逆に大きな庭が必要な中型犬、大型犬は全く人気がないのだそうだ。
僕が日曜の朝、公園で見かける犬も、ほとんどが小型犬だ。
僕は彼らがヨチヨチと小さな足で歩いているのを見るたび、とても哀れな気持ちになる。
その体はあまりに小さく、その足取りはあまりにも頼りない。
上から踏んづけたらあっという間に肋骨骨折で帰らぬ犬になってしまいそうな
そんな哀しさを含んでいる。
彼らがあんなにか細い手足になったのは、人間のせいだ。
「小型で室内で飼いたい」「いつでも抱いていたい」
そんな人間のエゴが、不自然に小型の犬を作り出した。
彼らには狩猟の本能も、人間を守るという責任感もない。
あるのは愛嬌だけだ。
それはもう、インコや金魚と同じレベルのペット
子どもがぬいぐるみを擬人化してかわいがるレベルの付き合い
なんか、もう、それはペットとか、友だちとか、家族とかのレベルではなく、
「保護の対象」なのかもしれない。
あまりに頼りない表情や、小さな体、まぬけな顔、ヨチヨチした歩き方を見ると、
人は「ああ、この仔は私が守ってあげなきゃ!」と思わずには入られないらしい。
でも僕は小型犬は本当に「哀れ」だと思う。
なんか、アンジェリーナジョリーが養子をもらって育てるみたいな気持ちで小型犬を飼いたいと思う。
紳助さんは波多陽区やダンディを家に呼んで飯を食わせ、「ああ、下には下がおるな~」「こいつら見てると自信つくわ~」という気持ちになるのだという。
小型犬はおそらく売れない芸人よりはかわいいし、癒しになると思う。
たぶんだけど。


ま、小型犬が大した癒しにならなかったら、大型犬の餌にするとして
まずは・・・・・・・・庭付きの一戸建てが買えるような大人になろう