5月30日月曜日
今日はじいちゃんの葬儀
僕は職場でお休みをもらって出席することにした。
両親、兄夫婦、弟夫婦、そして僕が2台の車に分かれて乗り、葬儀場へ向かう。
僕には結婚したばかりの韓国人妻がいるのだが、今回は両親の配慮で妻には知らせないことになった。
実は祖父が亡くなった5月28日は、妻の一時帰国の日であり、
妻は韓国で配偶者ビザへの切り替え、病院での健康診断、結婚2ヶ月の報告などを予定していた。
また、妻はクリスチャンということもあり、バリバリ寺の檀家であったじいちゃんの葬儀ではできないこともたくさんあるだろう。
よって今回は妻はじいちゃんの死を知らないまま帰国することになった。
後で「家族なのにのけ者にされた!」と怒られるかもしれないが、いかんせん今回はタイミングは悪かった。

葬儀場の祭壇の前でじいちゃんの躯は一晩を過ごしたようだ。
まずはお線香を立てご挨拶。
今日で本当のお別れだ。
今日、じいちゃんは火葬され、骨壺に収まる。
晩年の寝姿と全く変わらない、呆けたような表情でじいちゃんは横になっている。
本当に心臓が動いてないなんて嘘みたいだね。
1時 葬儀開始
今日はおじいちゃんの長男の子供たちが受け付けを担当してくれるそうなので、僕は親族の席で坊さんのお経を聞いた。
ところどころ眠くなるのを必死にこらえながら、時折坊さんのお経が「さ~れ~ど~も~故~人~の~」みたいにわかりやすい文章になっているのを聞き取りながら、45分のお経と、初七日の法要を終えた。
予定では1時間半と言っていたが1時間ちょっとで終わった。
少し手を抜かれたのかな?なんて邪推をしてしまったが、この坊さんは最後のあいさつで
「故人の奥様は晩年、お寺のお手伝いをしてくださいました。故人も90年代にはお寺の集金を手伝ってくださいました。当時70代の後半だったと思いますが、颯爽とオートバイにまたがる姿を見て、感心したのを覚えております」
と思い出話を語ってくれた。
そう。
この住職はじいちゃん、ばあちゃんのことをちゃんと知っていたのだ。
じいちゃんとばあちゃんは真面目な檀家さんだったので、住職ももちゃんと覚えていてくれて、じいちゃん用のお経を考えてくれたのだそうだ。
こういうの、いいな。
僕なんて死ぬときはきっと知らない坊さんに適当に「ナンマイダー」なんて言われるのがオチだもの。
生前の努力が報われたんだろうね。

そして最後に、おじいちゃんの棺にたくさんの花が添えられた。
それはそれは棺いっぱいに。
本当に花に埋もれる感じ。
その時はのんきにも「すごいな~」と思っただけだったが、ここで親戚の知らないおばちゃんが号泣
つられて従姉妹もボロボロと泣きだし
しまいには血も涙もない男と思っていた僕の弟までもがハンカチで目を押さえ始めた。
な、な、なんだと?
みんなで明るく送るんじゃなかったのか?
僕はこういうのに弱いのだ。
つまり他の人が悲しんで泣いたりすると、つられてボロボロ涙が出てきたりするのだ。
案の定、鼻の頭がつ~んとなって、涙がこぼれてきた。
おっお~~~~~~~~~~~~~~~~~
兄には兄嫁が
弟には弟嫁がひっそりと寄り添い、泣いている二人をなぐさめていた。
おっお~~~~~~~~~~~~~~~~い
俺の嫁ぇ~~~~~~~~~~~~~~~
なんで肝心なときにいてくれないんだ~~~~い
ちょっと後悔してしまった。

こうしてじいちゃんは火葬にふされた。
90代の割にはだいぶ骨が残っていると、葬儀場の人が変な感心をしていた。
ここで二人一組で箸で骨を拾うのだが、
みな自分の奥さんとペアを組んでしまい、親戚の中で僕だけが知らないおばあちゃんと一緒に骨を拾うことになった。
ま、しょうがないけど・・・・。
しかしまあ、ここまで来ると「これがあなたのおじいさんです」なんて言われても実感がわかないものだ。
発泡スチロールのようなカスカスの燃えカスのような骨
ああ、僕もいつかはこんなになっちゃうのかな。
葬儀場の人が明るい声で
「大きい骨のほうが拾いやすいですからね~。大きい骨から拾ってあげてくださ~い」
などと声をかけている。
参列者が神妙に骨を拾おうとしている中で、葬儀場の人はまるでお料理教室のように真っ正面から菜箸で拾いやすい骨をより分けていた。

その後、精進落としの食事を食べ
遺骨や遺影をおじいちゃんの家に運び
49日までの祭壇を作ってもらい、お線香をあげて解散となった。
葬儀場に飾られていたたくさんのお花や缶詰、調味料は参列者に配られ、残りは親族で山分けすることになった。
今年の夏は妻がはちみつレモンを作ってくれるというので、蜂蜜をもらった。