剛力彩芽の強さ
それがやっとわかった。
それは実に厄介なものであった。

きっかけは剛力の歌手デビューだった。
言わずと知れた”ゴリ押し”の象徴、剛力彩芽
テレビをつければ否が応にも目に入る剛力のCM
「また剛力か」感がハンパなく、瞼にできた”ものもらい”のような目障りさ
毎日嫌がらせのような剛力攻撃に、しまいには剛力が”日常”になりつつあったりする。
つまり批判をするのに疲れて、もう剛力を受け入れつつあるのだ。

そんな中で、剛力の歌手デビューだったが、もう正直怒りはない。
「またか・・・」というより、「やっぱりか」と思ったりもする。
売れたらそりゃあ歌手デビューはする。
昔からのよくある手法だ。
昔の女優さんは本当に歌が下手だった。
笑っちゃうくらい下手だった。
声量、音程とも不安定、踊りもお遊戯だった。
でもみんなそれを温かい目で見守っていたように思う。
ちょっと小ばかにしながら、宮沢りえの「ドリームラッシュ」とか真似してたな。
それに比べると現代のモデル、女優さんたちのなんて芸達者なことか。
歌は上手いし踊りも上手い。
曲もいわゆる”アイドル曲”ではなく、かっこいいR&Bだったりする。
皮肉なことに、きれいならきれいなほど、歌が上手ければ上手いほど一般受けは悪く、その試みは失敗に終わるのであるが。

となると、剛力彩芽の歌手デビューも確実に失敗する。
そもそもファンの実数が少ないので、CDの中に握手券を入れようが投票権を入れようが、パンツを入れようが売れることはない。
事務所が100万枚買い取れば話は別だけど、事務所的にはそれほど歌手活動に力を入れる必然性もない。
よって剛力の歌手デビューは失敗。
やっと剛力と事務所に現実と挫折を味あわせることができる・・・・
そう思っていた。
が、ここからが剛力の恐ろしいところである。
剛力は決して挫折しないのである。
剛力は自分の人気がないことも、事務所がごり押ししていることも、世間から批判を浴びていることも全く耳に入らないのである。
前述の歌手デビューでは身の程知らずに
「マドンナが目標!」
「今日の(デビューイベントの)出来は120点」
「かっこいい剛力を魅せたい!」と発言。
主演ドラマの最終回視聴率が月9史上最低を記録したと聞かせれても
「やっぱり原作が難しすぎて数字が取れないよね。演ってるときからそう思ってた」
長いセリフを読むために生かせる読書を勧められれば
「読むのは台本だけで十分!」
ベテラン女優に「もうちょっと本格的な演技指導を受けたらもっとよくなる」と言われても
「今のままで『個性もあってすごくいい』ってみんな言ってるから大丈夫!」と笑顔で拒否。
映画の吹き替えで映画ファンから大批判を受けても
「いい仕事ができた!」
しまいには雑誌の取材に対し
「この仕事をしていて辛いと思ったことが一度もない!」

もうここまで来ると見事というよりほかない。
こっちがムキになって剛力を批判しても意味がない。
だって本人が全く聞く耳を持っていないんだから。
真摯に受け止めてくれないんだから。
どんなに真剣にアドバイスをしても無邪気にスルーされてしまったら、言う方はしまいには気力を失う。
これがなんだかんだいって剛力が芸能界に蔓延してしまった理由であろう。
なんだかゆとり世代の新入社員の扱いに困る上司みたいな気持ちだ。
もう受け入れるしかないのか・・・。
