俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

車を運転しよう①

「車を運転してみたいなぁ」

今年本厄、41歳になる僕はそう思った。


僕が免許を取ったのは大学1年生の時。もう20年前のことだ。

「大学生になったら車の免許を取る」

今はどうかわからないが、大学に入ったら免許を取るもの、これは当時の大学生にとっては当たり前のことだった。

「大人は車が運転できる」というのは、「大人はたばこを吸う」「大人はコーヒーをブラックで飲む」「大人は仕事帰りに酒を飲む」「大人は結婚して家を買う」「大人は結婚して子供を育てる」と同じくらい当たり前だと思っていた。

当時の僕はとても純粋だったのだ。

だから僕は何の疑問を持つこともなく、大学があった茨城県の自動車教習所に通い始めた。

もちろん目指すは「マニュアル車(の免許)」。

オートマ限定なんて、女の子が受けるもの、そんな偏見があった。


が、僕はギア入れが自分でもびっくりするほど下手だった。

右に左に上に下に、ガチャガチャガチャガチャとギアを動かしては教官に怒られていた。

ギア入れだけではない。

「おめ、ハンドルはずーじずっぷんだっぺ」

「ほれ、ちーぷれふとだっつってんべ」

と、茨城弁の教官の指導にかなり苦労しながら免許を取ったものだ。

しかし、結局、免許取得以来、自動車には乗らなかった。

金がなかった、というのもあるが、一番の理由は「運転が怖くなった」ということだった。

僕は運転が下手なのだ。

そんな僕が公道に出たら、周りから容赦なくクラクションを鳴らされ、不良グループに囲まれてボコボコにされ、最終的には交通事故で大けがをするに決まっている。

大学の友達が次々車を買う中、僕は原チャリに乗っていた。

友達がうらやましくもあったが、原チャリだけでも生活は全く困らなかった。

僕は車を買うことなく大学を卒業した。

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しかし、車の運転は僕のトラウマになった。

だからか20代の頃、僕はよく車を運転する夢を見た。

夢の中で車を運転すると、いつもブレーキが利かないのである。
どんなに足をぐっと踏み込んでもまだまだブレーキが最後まで踏み込めないのである。

僕は運転席からずり落ちるほど足を延ばすのだが、ブレーキはまだまだ沈む。

そんな夢をよく見ていた。

それでも車を運転しようとは思わなかった。

「僕がほしかったのは車の免許。証明書として必要だもんね」

「この便利な世の中、バスと電車でどこでも行ける」

と自分に言い聞かせ、そのまま20年を過ごした。

その間、免許を失効しないようにちゃんと更新をしていたらいつの間にかゴールド免許になっていた。

不思議と20代、30代は車の必要性すら感じなかった。

仕事は電車通勤なので、平日は車など乗る時間もない。

週末はほとんど外出せず、せいぜい近所のコンビニ、スーパー、レンタルビデオ屋くらいしか行かなかったのでこれまた車は必要なし。

20代、30代のほとんどは、自分が運転することはもちろん、人が運転する車にすら乗る機会がほとんどなかった。

だから車を持っていないことにも、運転ができないことにも引け目を感じなかった。

さらに「自動車税増税」「ガソリンの高沸」「若者の自動車離れ」なども僕にとっては追い風だった。

僕のように「平日車に乗る機会がないのに車を維持するのはお金の無駄」と考える人も増えた。


車なんて、金持ちが乗ればいい。

僕には一生必要はあるまい。

それが20年間ペーパードライバーを貫き通した僕の見解だった。

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