ペーパードライバー歴20年の僕が「車の運転をしたい」と思ったのは、僕が仕事でマレーシアにわたることが決まったからだった。
”マレーシアという国は道路の道幅が広く、運転しやすい”
”マレーシアで運転デビューをした日本人はかなり多い”
”ペーパードライバーたちのヴァージンロード、それがマレーシア”
なんて話を同僚から聞いた。
実は僕は10年前にもマレーシアに3年ほど赴任していたことがある。
当時もマレーシアで初めて車の運転に挑戦した人が何人かいた。
まだアラサーだった僕は、運転こそチャレンジしなかったが、マレーシアで生まれて初めてのチャレンジをいくつかしていた。
生まれて初めて髪を染めたのもマレーシア。
レーシックの手術を受けて視力をあげたのもマレーシア。
歯のホワイトニングなんてものにもチャレンジした。
それまで全く興味がなかったビーチリゾートにも行ってみた。
親孝行に両親をビジネスクラスでマレーシアに招待したりもしたし、
日本人駐在員たちの夜の盛り場で大人の遊びを教えてもらったりもした。
レーシックの手術を受けて視力をあげたのもマレーシア。
歯のホワイトニングなんてものにもチャレンジした。
それまで全く興味がなかったビーチリゾートにも行ってみた。
親孝行に両親をビジネスクラスでマレーシアに招待したりもしたし、
日本人駐在員たちの夜の盛り場で大人の遊びを教えてもらったりもした。
マレーシアは僕にとって「挑戦できる場」でもあるのだ。
だからこそ、今回の赴任では車の運転に挑戦したい。
ついでに言うと、僕には今年息子が誕生している。
”嫁と息子を車に乗せてどこかにお出かけ”なんて、僕には一生できないと思っていたのに、
もしかしたらそんなこともできるかもしれない。
2014年4月
僕は40歳にして自動車教習所に戻ってきた。
ペーパードライバー講習を受けるために。
二十歳前後の若い男女がわいわいと楽しそうに「どこまで行った?S字?早ぇ~」「学科、途中で寝ちまって教官に怒られちったよ。うぜぇ~あいつ」なんて会話をしている中、40代の僕は教習が始まるのを待った。
なんだか視線が痛い。
そりゃそうだ。俺ぐらいの男の人が自動車教習所に通っているってのも珍しい。
なんだったら、教官と同年代だ。
その同年代の教官にまた怒られたり、嫌味を言われたりするんだろうな・・・・
だんだん憂鬱になってきた。
しかし、意外にも自動車教習所の教官は優しかった。
僕が20年前に受けた教習とは大違いだ。
おそらく、若者の車離れなど経営難に陥っている最近の自動車学校は、接客(?)のサービスが向上しているのではないか。
また、傷つきやすい若者を昔のように叱ったら、すぐにネットで悪評が立ち、たちまち教習生が来なくなり、学校閉鎖に追いやられるだろう。
また、僕は中身は子供だが見た目はおっさんなのである。こんないい年したおっさんを叱るというのも気が引けたのかもしれない。
さらに言えば、僕を担当した教官はみな口をそろえて「ま、ペーパードライバー教習の人はもう免許は持ってるのでね」と言っていた。
つまり、これから免許を取る若い教習生にはしっかり指導しないと試験に合格できなくなり、それが結局学校の評判につながってしまう。
しかし僕の指導は適当でいいのである。
教習車が傷つかない程度に運転の練習をしてくれればいいのである。
ほかの若い教習生が車に乗り込む前に前後左右を確認し、ブレーキランプなどがちゃんとついているかを確認する中、僕はそのまま乗り込み、適当に発進しても何も言われない。
こうなると気が楽だ。公道に出ても助手席に座った教官は気が緩みっぱなし。
「どうしてまた車の運転をはじめようと思われたんですか?は~なるほど」
「あ、地元出身なんですか。あ、同じ高校ですね」
「マレーシアへ行かれるんですか。あ、あちらも左通行?そりゃよかった」
なんて話をしてくるし、僕が
「あ、黄色ですね。止まったほうがいいですか?」
なんて聞くと
「いやぁ、行っちゃいましょう!」なんて返してくる。
あれ?意外に運転が楽しくなってきたぞ。
そして何よりうれしいのは、今回、僕はオートマ車で運転してるのだが、運転が実に楽なのである。
マニュアル車ではギアが入らないことから、車の運転がトラウマになっていたが、
オートマは本当に運転が簡単。
運転中は基本、ブレーキとアクセルだけで気を付けていればいい。
運転中は基本、ブレーキとアクセルだけで気を付けていればいい。
最初からオートマ車にしておけば、もっと早く運転しようと思っていただろう。
なんだ、食わず嫌いだったわけか。
ペーパードライバー講習は講習時間は決まっておらず、全部自分次第。
1日でも構わないし、1か月でもいい。
僕は校内2日、路上3日をこなしたのち、「もう教習所に通っても新しく教えることはないから、あとは自分で練習してください」と言われたので、自主卒業した。
その後、今年後期高齢者の仲間入りを果たした父を助手席に乗せ、自主練に励んだ。
通常、運転慣れした父親に運転の先生を頼むとたいていは喧嘩になるものだ。
父親は日ごろの恨みでも晴らすかのように上から目線で子供の運転をこきおろし、教習所と全く違う指導を始めるものだ。
「何度切り替えしてんだ。一発で決めろ!簡単だろ!」
「ほれ!今だ!あーまた車が来ちゃった。早くしないと一生駐車場から出られないぞ」
初日、二日はボロボロにこき下ろされてもまだまだ我慢。
しかし
「ほら!前を見ろ!」「こら!前だけ見るな!車は横にも後ろにもいるぞ」「おい、どこ見てんだ!キョロキョロするな!前が詰まってるぞ」
なんてことを言われ続けてイライラが募り、食事時には嬉々として子供を馬鹿にする父と憮然とした子供の図、となり最終的には
「お前の運転は危なっかしくて乗ってられん!」
「うっせー!もういいよ!一人で練習するから!」
ってな感じで喧嘩別れとなる。
が、僕と父はそうはならなかった。
父はもう75歳。
最近、体も気持ちも弱くなりつつある父は、「息子に自分の技術を教える」ということに、久しぶりに喜びを感じたらしい。
40歳の息子(である僕)は年々やせ細っていく父に反抗する気持ちはわかず、素直に父の助言に耳を傾ける。
父は「この道は駅に続く道だ」「この道を曲がるとおばあちゃんのうちに行くんだよ」といちいち説明をしてくれる。
その道は、子供の頃、父が家族を連れておばあちゃんのうちに行くときにいつも通っていた道なので、当然僕は知っている。
が、僕は「へ~」と、まるで初めて聞いたようにあいずちを打つ。
車の中で、父と過ごす時間は意外に悪くない。
父は最後は「今日はどうする?行くか?運転」と、逆に僕を積極的に誘うようになっていた。
結局、父と約1か月に渡る練習のおかげで、マレーシアでも運転できるだろうという自信をつけることができた。
さあ、いざ、マレーシアへ。