最近知ったことであるが、僕はどうも「女性にやさしくない」らしい。
人に言われて気づくのもマネケな話であるが、私はどうもかなり「気が利かない」男らしい。
でも女性に優しくするってのも難しいよね。特に僕のように優しくしたことがない人間にとっては。
例えば僕の知ってるフランス帰りのE君は、彼女の肩に自分のブレザーをそっとかけてあげたり、彼女の肩の糸くずをそっと取ってあげたりする。彼女が座るときには当然のように後ろにまわって椅子を引いてあげる。そんなE君を見て僕が最初に思うことは「ケッ、キザな野郎だぜ。」ということで、これはちょっと真似はできない。
また僕は以前、女性と二人で道を歩いていて「女性に道路側を歩かせるなんて危ないじゃない。」と言われたことがある。
危ないじゃないって言われたって、最初に道路側に立ってたのはあんたなんだから歩き始めてもあんたが道路側にいるのは必然じゃない?しかしどうも世間一般ではそれは常識になっているらしい。いったいみんなは誰に教わったんだろう。少なくとも俺には誰も教えてくれなかったぞ。
そんな僕であるから、別の友人M君がやった、ドライブ途中に峠で停まり、星座の説明を始めるなんてのは超上級テクニックの中の応用編であり、僕の想像の及びもしない。
そんな僕でもドアを通るときはちゃんと自分で開けて女性を先に通してあげる。これだけは出来る。自分でもちょっと「がんばってるな。」という気がする。きっと地獄に落ちても仏様が蜘蛛の糸をたらしてくれるに違いない。しかしどうもこれだけでは不十分らしく、僕はまだまだ「気の利かない男」と言われている。
試しに近くにいる男性の行動を観察してみた。彼はフランス帰りでもない、普通の日本人男性だ。基本的には僕とそんなに違っているようには見えない。ただし僕に比べ、多少決断が早くてフットワークが軽いようである。
例えば近くにいた女性がボールペンを落とし、自分と女性の間(やや女性よりに)転がって落ちたとする。
僕がまず考えることは「女性の方が近いな」、次に「自分で拾うだろうな」最後に「でも拾ってあげたほうがいいかな。」とくる(「当然男性の僕が拾うべきだ」は出てこない。)
しかし世の中の「やさしい」と言われる男性は、僕が「拾ってあげたほうが・・・」と考える前にすでに拾う体勢に入っているのである。
また、職場で会議録を誰かがまとめなくてはならないとする。誰もやりたくはない。まず僕が考えることは「頼む、誰かやってくれ。」次に「別に俺がやってもいいんだけど。」そして「でも出来れば誰かやってほしい。」最後に「指名されたらやるか。」で終わる。
ところが「気が利く男」というのは一瞬の沈黙のみで「じゃあ、私がやっときますよ。」と言えるらしいのだ。僕には言えない。だって面倒臭いんだもん。
恐らく彼と僕の差はそんなには大きくない。僕が6:4で「俺がやらなくてもいいか。」と結論付けるのに対し、彼は6:4で「しゃあない、俺がやるか」になっただけの話である。それが実際、表面(行動)に現われるか現われないかの違いである。女性が自分で出来ることは自分でやってくれって、男はみんな思ってると思うんだけどなあ。
ただ「気が利かない男」は日本人には結構多いと思う。だからこそちょっと海外で現地の男性に必要以上に親切にされただけでコロッといってしまう日本人女性が多いのではないか。
僕は女性に親切にしたくないわけじゃない。やっぱり「まあ、意外に優しいのね。○○君ったら・・・」なんて言われたい。ただ僕がためらうのは優しさが優しさとして受け取ってもらえないんじゃないかということからだ。
男性は女性に徹底的に親切に振舞う同性をはっきり言って評価しない。「キザ」「やさ男」「カッコつけ」「下心丸出し」なんて陰で罵ったりしている(自分のことはさて置いて)。
一方女性はどうだろうか。寒いだろうからっていきなり男のジャケットを肩からかけられたら。「ゲッ、なんだこいつ」と思うでしょ?あれは日本人には似合わない行為なのだ。更に恋人でもない、イケメンでもない男性にことあるごとに親切にされたら「こいつぜってーあたしに気があるわ。気持ち悪っ」と思うだろう。当然である。
僕はそれが嫌なのだ。世間体を第一に考える私としては友達に「おっ、あいつ、彼女の気を引こうと頑張ってるな。」なんて思われたくないし、女性に「あら、この人、あたしに気に入られようと頑張っちゃって」なんて思われてるかと思うと腹が立って仕方がない。
自意識過剰かもしれないし、考えすぎかもしれない。でも僕としては下心を見破られるのはプライドを傷つけられることなのだ。だからこそ、敢えて女性に気を使わないわけだ。
ということは・・・結局あるんだな、下心が。