ちあきなおみって・・・
あのコロッケが物まねする人だよね?
鼻の横に大きなほくろ付けて、お辞儀の状態から頭を上げながら「いつものよお~に まくぅが あ~き~」と下顎を突き出して歌う・・・
本人は見たことがないけど、コロッケの物まねで知っている人は多いと思う。
というか、僕より下の世代はほとんどがそんな感じじゃないかと思う。
ものまねされる人。
それが ちあきなおみ。
でも”保存版”ってタイトルに書かれると惹かれるよね。
それで何となくその動画を見てみたんだけど・・・まあ、たまげた。
とんでもなく・・・すごい人だったのだ。
コロッケのものまねしか知らない世代にとっては、ただの「ものまねされる人」「変な顔のおばさん」くらいの認識しかなかったのに、実際に歌っている姿を見ると・・・
コロッケ!あんたなんちゅーことしてくれてんだ!
と思わず叫びたくなるほど、本物のパフォーマンスは崇高で美しいものだったのだ。
ちなみに、この「喝采」をカバーしているアーティストは多く、メジャーな人だけでも
とまあ、ものすごい顔ぶれ
Youtubeにアップされたものはなんとなく全部見てみたのだが
まずは見ていただこう。
確かにこの曲をカバーする人のほとんどが声を張り、声量を発揮するのだが
ちあきなおみはあくまで「引く」のである。
サビの部分の「動き始めた汽車に 一人飛び乗った」の最後の”た”で一気に引くところなんて、ものすごい表現力だと思う。
歌手にとって、最後の「た」が腕の見せ所
声を張り、のびやかに、ビブラートを効かせながら、最大の声量で「どうだ!」とばかりにキメたいところなのに
ちあきなおみは最後の最後で、すっと落とすのである。
またメロディーに合わせて歌うというより、終始タメにタメて、「かろうじてついていっている」というように弱弱しく唄いあげるところなんて・・・まあ、すごい。
これが歌の世界観とぴったり合っているのである。
さらに、極力振り付けをなくし、力なく立っている様子
故郷や昔の記憶、在りし日の恋人を思い出そうとしているような遠い視線
間奏ではしんみりと目を伏せておきながら、最後の最後で眉間にしわを寄せながら合掌をするようなマイクの持ち方・・・
愛する人をなくし、心の中に穴がぽっかり空いたような喪失感
それでも故郷も捨て、自分の夢である歌手の道を歩んだ女性は今日も恋の歌を歌う
その”もの悲しさ”が実によく表れている。
歌う時の茫然自失とした表情、声を張りたくても力が入らない無力感
唄が進むたびに力が抜けていくような虚無感
この曲をカバーする超一流のアーティストは、もちろん歌は抜群に上手いのだが
ちあきなおみの世界観を見てしまうと・・・・どうしても見劣りしてしまう。
すごすぎる!
ちなみにこの曲が発表されたのは1972年
僕が生まれる前年だ。
これは考えてはいけないことかもしれないが
かつて美空ひばりさんは「悲しい酒」という曲を歌うたびに涙していたが音程は絶対に崩さなかったという
ちあきなおみさんもそんなパフォーマンスができるだろうか。
見たいような見たくないような・・・
見たら絶対に号泣するな
ま、本人は芸能界復帰を完全拒否しているので・・・”絶対に歌いたくない”ということだろう
ご主人を思い出すのが辛いのか、歌いきれるはずがないとないと判断したか、プロとしてのパフォーマンスができない自分が許せないか
理由はわからない。
ただ、もう周りは決して干渉すべきではないし、復帰を誘うべきではない。
僕らはYoutubeを見ながらその情景を浮かべて楽しむしかない。
にしても・・・・ほんとうにすごい人がいたもんだ。