我が子にもついに「うっせぇわ」と歌い返す日が来た。
先日、オンライン学習が終わってゲームを始めようとしていた息子に妻が「先に宿題をやっちゃいなさい」と声をかけたところ、楽しそうに「うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ♪」と返してきたのである。
在宅勤務中にブログを書いてちょいサボ中の僕は思わず「おっほぉ~、これが!」と唸ってしまった。
ワイドショーやら週刊誌では「子供に聴かせたくない/歌ってほしくない」「何を言っても”うっせぇわ”と返される」「意味をちゃんと理解せずに面白がって乱暴な言葉を使うようになってしまう。教育上よろしくない!」といった親の声を紹介し、それをコメンテーターたちが「私は子どもの気持ち、わかるよ!」とばかりに擁護する。
まあ、我が家は小学校1年生だし、反射的にサビのフレーズだけ繰り返しているだけなので”反抗”というよりは単なる”ギャグ”といった感じなのだろう。
でも…歌詞全体を見てもそれほど目くじらを立てて怒るようなものだろうか?
若いお母さん、お父さんなのかな?
というのもアラフィフの僕は尾崎豊なんかを聴いて育った。
”大人”とか”先生”ってのは子どもの気持ちを理解しようとせずに”社会のルール”を使って子どもを束縛し、価値観を押し付けるものだ。
だから子供は先生・大人・社会・ルールに反抗し、酒浸りで小太りのサラリーマンや教育ママを蔑むものなのだ。それが尾崎が教えてくれたこと。
僕も子供の頃優等生を演じつつ、心の中で尾崎を歌い大人になった。
浪人・フリーター・ニートを経てなんとか契約の仕事と嫁を見つけ、父親になった。
気づけば子供の気持ちがいまいち理解できず、周りの目を気にして子供を叱り、子供にルールや勉強を押し付けることもしているのだが、もともとは僕だって思春期に「うっせぇわ」と思っていた子供だった。
ん~、困ったもんだ。
尾崎世代は「うっせぇわ」という若者の気持ちが理解できる。
冒頭の歌詞も『ギザギザハートの子守歌』へのオマージュかな、なんて懐かしく思っている。
「そうそう、あの時代って大人が汚く見えるし、社会が窮屈に見えるんだよな」と理解してあげたいし、「おじさんも君たちの気持ちがわかるぞぉ!」と肩を叩いてあげたい。
でもそんなことをしたらきっと「はぁ?うっせぇわ!」と言われるだろう。
だって僕はもう”そっち側”の人間だから。
別に自分の子をいい学校に行かせて、いい会社に入らせたいわけではない。自分が好きなことをやったらいいと思うけど、やはり自分の子が「クラスで一人だけできない子」とか「クラスで一番できない子」みたいになるのは可哀そうだ。どうしてもちょっと世話を焼きたくなるし、声をかけたくなる。
新入社員に「新聞読め」とか「酒を注げ」なんて言うつもりは毛頭ないが、「報・連・相は大事だよぉ~」「あいさつはしっかりしよぉ~ねぇ~」「一回くらい飲み会に参加してみるのも楽しいよぉ~」くらいは言いたくなるかな?
はあ、これは輪廻だ。
親は子を、先生は生徒を、大人は子どもを思い、一言いいたくなるものなのだ。
別に偉そうにしたいわけじゃない。やりたくない気持ちも痛いほどわかる。
なんなら自分たちも若い頃けっこう遊び惚けた。だからわかるのだ。「今やったほうがいい!社会に出たら苦労するから!」
だけど子側・生徒側にしたらどれも「うっせぇわ」なのだ。
「いや、本当にこれは親心なんだって。君たちのことを思ってだね」
「俺もそれで苦労したんだって。大人になったら君たちも同じことを言うんだって」
それでもやはり若い人にとっては「うっせぇわ」なのだ。
ま、仕方ないよな。
僕が子供の頃に大人だった人も同じ気持ちだったのかな?
まあ、これも輪廻。
言われておこう”うっせぇわ”