俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

『年収90万円で東京ハッピーライフ』(大原/扁理著)ですって

中田敦彦Youtube大学』にて大原扁理氏の『年収90万円で東京ハッピーライフ』という本を紹介していたので、1.75倍速で観てみた。

20代で週休5日の半隠居生活をはじめ、仙人のような生活をしていた著者から学ぶ本当に豊かな生活、固定化された価値観、達観した考え方やモノの見方等が紹介されていた。

こういう生活に憧れる男性はいつの世も一定数いる。僕もそうだ。

ま、今の僕には無理なんだけどね・・・

f:id:Yamazy2019:20210715233246j:plain

僕は自営業の親の元に生まれた。

だから親が朝から晩まで働いているところを見て育っている。

休みは日曜日のみ、盆と正月以外は連休を取らずに両親は働いていた。

父は日が昇る前に家を出て仕入れと牛乳配達、母は洗濯と僕ら3人兄弟の朝食と弁当の準備で朝が始まる。

そして日中は父が酒の配達、母と叔母が酒屋兼スーパーのレジと品出し

夜7時に店を閉めてから二人で台所に立って夕食の準備をし、子供が寝てから伝票の整理をしていた。

大人ってそういうもんだと思っていた。サラリーマン家庭のことはわからないが、基本的に大人は朝から晩まで働くものというイメージを持っていた。

 

ところがいざ自分が大人になってみるとこれがなかなか難しい。僕は大学を出てまともな就職をしなかったので、ニートやフリーター、派遣などを繰り返していた。で、仕事がない期間は親のところに”寄生(パラサイト)”し、親より先に隠居生活みたいなことをしていた。なるべく外出せず、買い物もせず、人にも会わず、息を潜めて生きていた。その点では大原扁理氏と似ていなくもないが、違うのは僕は全く達観しておらずその生活を恥じていて、両親にひたすら申し訳なく思っていた。そして先の見えない将来にブルブル震えていたことだ。

 

そんな僕ではあるが、実は仙人のような生活に昔から憧れていたところがあった。

高校の歴史の先生から高野山のお坊さんの生活や一千日回峰行の話を聞いて、「俺もやってみてぇ」と目をキラキラさせていたこともあるし、『清貧の思想』(中野孝次著)や『土を喰らう日々/わが精進十二か月』(水上勉著)を図書館から借りてきたことも何度かあった(が、一度も読むことはなかった。あんま活字好きじゃないし)。

なんかそういう高僧のような、仙人のような、ナチュラリストのような、ヒッピーのような生活にわけもなく憧れていたのだ。

でも今自分自身を振り返ってみると、単に「低収入でモテない自分、将来に不安だらけの自分、他人と比べて劣等感ばかり感じている自分、煩悩の塊のような自分」が嫌で嫌でたまらなかっただけなのかもしれない。

だからそういうものに振り回されない、高い精神性を持つ高僧のような人になりたい。俗世間から離れて山奥とかでひっそりと生きたい。どうせ孤独死するんだろうし、死ぬときは見苦しく死ぬんじゃなくて、眠るように死にたい。セレブの生活を見ても「人は日に米は三合、畳は一畳あればあれば十分」と動じないくらいに達観したい。そう思っていたのだろう。

花の慶次』から学ぶプア充のススメ : ひびたま

でも今はもうそれは難しい。

アラフィフとなった僕は妻子もつくり一家の主となってしまった。

女性や子供は絶対にこんな生活に憧れないだろうし、それを押し付けるわけにもいかない。それどころか子供の将来のためにバリバリ働かなければならないのが現実だ。

だからこそ『年収90万円で東京ハッピーライフ』なんて本を見るとケチをつけたくなるのである。

”所詮30前後だからできるんだろ?老後はどうすんだよ!”

”(筆者はLGBTで)結婚、子育てが念頭にないからできるんだろ?”

”っつーか、この人、隠居生活の本書きまくって今、印税生活じゃねーか!?”

”2016年に書いたこの本に書いてあることと今の生活全然違ってねーか?ブログ見ると結構金使ってんぞ??”

 

そして気づいたことは、今の僕にとっては仕事をしないこと、仕事ができないことは最も大きなストレスであるということだ。

働きたい。ちゃんと働いて安定収入がほしい。

なんなら定年後も働きたい。

少なくとも親を看取り、子どもが独立し、嫁の老後の見通しが立つまでは・・・。

そんで最期にちゃんと見送られながら死ぬのが僕のハッピーライフかな。