母「あなた、かぼちゃって、なんてなくの?」
父「ん?」
子「パパ、かぼちゃだよ。知らないの?」
父「いや、かぼちゃは知ってるけど・・・なく?」
子「だから、かぼちゃのなきごえだよ。なんてなくの?」
父「???ごめん、話がまったく見えない。なんのこと?」
母「健太の学校の宿題だって。かぼちゃが周りの迷惑をかえりみずに弦を伸ばし続けてて最後はトラックに踏まれて泣くのよ」
父「はあ・・・」
母「それでその時のかぼちゃの気持ちを作文で書かなきゃいけないの」
父「ん~と・・・国語の授業?作文?」
子「道徳」
父「道徳?で、作文?ちょっと本見せて。(息子の道徳の本を見る)ああ、なるほど」
母「それでかぼちゃの泣き声を健太が書きたいんだって。」
父「ああ、なるほどね。ま、好きに書けばいいんじゃない?」
母「ちゃんと教えてあげてよ。健太の宿題なのよ!」
父「ま、そうなんだけど・・・そもそもかぼちゃ、泣かないし」
子「ぴえん、でいい?」
母「ちょっと待ちなさい」「(夫に)私的にはエンエンとか、わんわんでいいと思うんだけど」
父「まあね。それで間違いはないとは思うけど、なんか面白くなくない?人間じゃあるまいし。かぼちゃだよ?もっとポップに泣きそうじゃない?」
子「ぴえん、は?」
母「でもあまり砕けすぎるのもねぇ。学校の宿題だからね」
父「いやそれでもあまりにベタなのはつまらないよ。もっとかぼちゃらしく泣いたほうがおもしろくね?」
母「たとえば?」
父「”ほくほく”とか、”かぼかぼ”とか、思い切って”ぱんぷき~ん”とか・・・」
母「あたしが先生だったらなんのこっちゃわからん」
父「でも小学校1年生の作文なんだから、子どもの感性でいいんじゃね?」
子「ぱおんは?」
母「でも先生がわかってくれないかもしれないじゃない」
父「まあ、あまりに突拍子もないものだとわからないかもしれないけど、でも擬音語なんて感覚的なものもあるからね。」
子「ぴえん超えてぱおん」
母「そんなの絶対書いちゃダメ。先生に怒られるから」
父「こいつは何のことを言ってるんだ?」
母「今、ハマってるYoutubeよ」
父「ま、とくかく先生だって子供の感性は大事にしてくれるだろう?」
母「でも健太の担任の先生って、まだ若くて真面目な感じの女性だったから冗談が通じないかも。オンライン授業聞いていると”ちゃんと聞いてください!”って結構大声で怒っている声が聞こえるわ」
父「そうか・・・でもなあ。ここが才能の見せどころのような気がするんだよ。他の子と同じじゃつまらないじゃない?」
母「でも泣き声ってだいたい”えーん、えーん”とか”あーん”とかじゃないの?」
父「健太にはそう聞こえていないかもしれないよ。犬とか鶏の泣き声だって国ごとに違うし」
母「じゃあ、なんて書けばいいのよ」
子「ぴえんヶ丘どすこい之介」
父「かぼちゃが弦を伸ばして、それがトラックに踏まれるんだろう?だいぶ痛そうだよな。”びえ~ん”・・・あっ」
子「同じじゃん」
父「待て、同じじゃない。えっと・・・”うわぁあん”とか””ふぎゃぃぃいやぁあ!”とか、”うりぃぃぃぃぃ!”とか・・・」
母「小さい”ぁ”なんて小学校1年生の作文に使えないわよ。先月ひらがな習ったばっかりよ」
父「そ、そうか。でもあれだよ。親が答えを教えれば良いってもんじゃないよ。子供の感性を伸ばしてあげるのがだね、そのぉ~」
母「子どもが常識を知らなくなってもいいの?先生に”まじめに書きなさい”って怒られてもいいの?個性なら他で発揮すればいいんじゃない!」
子「ぴえん♪ぴえん♪ぴえん♪ぴえん~♪」
父「俺は子どもに正解だけを押し付ける親にはなりたくないんだよ!子供の感性を伸ばしてあげたいの!」
母「それを放任っていうの!文章は伝わってこそなの!どのように感じるかは自由だけど、それを表現するのは正確じゃなきゃ伝わらないわ!」
父「でも詩とか小説の表現なんかはかなり感覚的だぜ。”ゆあ~ん、ゆよ~ん、ゆやゆよん”、”どっどどどどうどどどうど、どどうどどどう”だよ。」
母「何それ?」
父「何それって・・・名作だよ?」
母「なるほど、名作か。だが断る」
父「!!!」
母「っつーか、他の子とあまりに違うこと書いて恥をかいたらこの子が可哀そうじゃない!」
父「でもクラスで目立つかもしれないだろ!」
母「健太の気持ちも考えてあげてよ!」
父「お前こそ、健太の可能性をつぶすなよ!」
母「健太はそんな荒木飛呂彦先生みたいな擬音、使いたがってないわよ!だから却下!」
父「あァァァんまリだァァアァ!!!」
子「♪切なくて泣いている時は~優しく抱きしめて慰めて~♪」
父「ぴえん」