僕はつけ麺を大盛りにしてしまったことを後悔していた。
無料で大盛りに出来るからって、餃子やチャーハンがないからって、なんで俺は大盛りにしてしまったんだろう・・・。
残り4分の1、食べられなくはないが、絶対に気持ち悪くなる・・・。
相変わらず同じ失敗を繰り返す自分を情けなく思う48歳の冬であった。
僕は大学まで運動部だったので、それなりに食欲は旺盛だった。
大学の下宿周りには大盛り定食を出してくれる学生御用達の店がいくつかあったが、当時はどこへ行っても何を出されてもペロリと完食していた。
30代前半までは一人分の食事では絶対に足りないから、ラーメンにはチャーハンとギョーザをつけたし、お弁当にはカップラーメンのスーパーカップとか”でか丸”をつけていた。立ち食いソバもそばと丼のセットを頼んだし、牛丼も特盛にするか大盛りセットにするかでいつも悩んでいたな。
そんな僕に異変が起きたのが30代後半。国分寺駅前の「すた丼」を完食する直前に急ににんにくと生卵が気持ち悪く感じたのだった。なんとか完食はしたものの「あ~旨かった~」ではなく「うぇ~気持ち悪ぃ~」と思いながら腹をさすって帰ったのを覚えている。
40代はもう悲惨。”てんや”の天丼(並)で気持ち悪くなり、なじみのラーメン屋のこってりチャーハンで胃もたれし、から揚げ定食のライスを半分残すまでになった。食が細くなるというのは本当に悲しい。人間的に”弱”になったような気がする。たとえアラフィフでも、40代はまだまだそういう(くだらない)プライドが残っている人が多い。だからこそ食べられないことが悔しい。
たくさん食べるってのは何とも男らしい。わしわしとどんぶり飯をかっ込む姿はカッコいい。僕だって食欲には自信があったのだ。ギャル曽根に勝てないまでも大食いチャレンジグルメでも完食できるだろうなんてこっそり思っていたのだ。普段は並みの食事でも飲み会とかビュッフェとか食べなきゃいけない時にはたらふく詰め込める自信があったのだ。だから未だに外食で注文する時に「これだけで足りるかな・・・」と心配になり、結局多めに頼んで後悔する生活をもう8年くらい続けているのだ。悲しい・・・。
僕の現在の食欲は、日高屋なら”野菜たっぷりタンメン”でぴったり。餃子や半ライスをつけると”食べすぎ”。すき屋ならおろし牛丼で十分。それを大盛りセットにしてしまうと後悔。かつやなら”かつ丼(梅)”、丸亀製麺ならかけ(並)+天ぷら2個がベストなのだ。なのにうどんを大盛りにしたり、天ぷらに稲荷をつけたりして「しまった!頼みすぎた!」と後悔しているのだ。我ながら学習能力が著しく低くてびっくりする。
ちなみに僕には7歳の息子がいる。息子はかなり偏食で米・麺・肉・パン・フライドポテトなどシンプルな味つけの炭水化物ばかり食べている。なので外食時の注文にいつも迷ってしまう。嫁の頼んだものを息子に分けると嫁の食い分が減ってしまう。息子用に一人前を頼むと食べられないものが多い。どうしようかと迷うが結局3人分頼んで、僕と嫁が無理に息子の残りを食べて後悔するという結果になる。
最初から2人分を3人で分けるのが正解なのだ。それが腹八分というやつだ。だが僕は生まれてこの方、腹八分で収めたことがない。腹八分を非常に恐れて生きてきた。「足らなかったらどうしよう」といつもいつも心配しながら50年近く生きてきた。だから腹8分に収める注文ができない。
さらにタチの悪いことに、僕の世代は親や先生から「食べ物を粗末にするな。米粒一つ残すな。農家の人が一生懸命作った米だぞ!アフリカには食べたくても食べられない人が・・・」なんてことを耳にタコができるくらい聞いて育ってきた。だから食べ物を残すことにも慣れていない。しかも自分の子供にまで「一粒のお米には7人の神様がいて・・・とか、トイレにはそれはそれはきれいな神様がいて・・・」なんてことを言ってしまう。我ながら面倒くさい親だと思う。んで結局子供が食べられない分を親である僕が責任を持って食べ、「ああ、食べすぎた。気持ち悪い・・・」と言って食べたことを後悔し、出っ張ったおなかをさすりながら「ああ、ダイエットしなきゃな。格好悪いなこのおなか・・・」とさらに後悔に後悔を重ねるのだ。
こうなったらいっそジジイになって小食を受け入れられたらどんなにか楽だろう。でも悲しいかな、48歳の僕はまだ抵抗している。まだまだいけると現実に抗っている。出っ張ったおなかをさすりながら・・・。