『銀の匙(silver spoon)』(荒川弘著)というマンガが好きでKindleに全巻ダウンロードして、毎日トイレの中でちょっとずつ見ている。その中にこんなシーンがある。
ある日、主人公が通う農業高校の学生寮の共有パソコンがウイルスに侵される。
そのウイルスはアダルトサイトを経由して広まるものだった。
すぐに犯人捜しが始まったが、疑われたのは恋愛ゲームが趣味でよく共有パソコンで恋愛ゲームをしていた西川だった。犯人が見つからないと寮でのクリスマスパーティーは中止と言われ、男子学生が西川を犯人にまつりあげようとした時、ルームメイトの別府は次のような言葉を放った
すると寮生はみな西川に謝り、犯人捜しをやめたのであった。
もちろん、元ネタは新約聖書の中の言葉で、姦通罪で捕らえられた女性を律法どおり石打ちの刑に処すべきか判断を求められたイエスの言葉である。
ーあなたたちの中で罪を犯したことがない者が、まず石を投げなさいー
すると一人、また一人とその場を立ち去って女性に石を投げられる者はいなくなった、というエピソードである。
時は2021年
石は投げられ続けている。
いつのまにか解釈が変わったのかもしれない。
世の中に罪のない者はいないのだから、みんなが石を投げる権利がある。
もちろん罪は消えないし、それによって傷ついた人がいる。
小山田圭吾のいじめの内容は吐き気がするほどだし、ユダヤ人虐殺揶揄もブラックジョークで片付けられるものではない。
彼らを擁護する気はさらさらない。
また今回は平和の祭典”オリンピック”という場面であったことも大きいだろう。
・個人で活動するのは構わないが国の代表として活動するのはけしからん、
・ほそぼそと活動するのは見逃すが、平和とか人権とか言うのは笑止千万
・小銭を稼ぐのはいいが、裕福に暮らすのは許せん!
・常に低頭平身でいれば許してやるが、偉そうに社会的地位の高いところに上がるなら叩かざるを得ない!
こんな感じなのかな。
が、一度罪を犯したものは反省しても改心しても、その後どんな徳を積んでも認めてもらえないというのは、なんとも生きづらい
それに代わりになれる人って世の中にどれくらいいるんだろう?
A「君、やってくれないか?」
B「え、いや、僕無理です。垢BANされたことがあって・・・」
A「じゃあ、君!代わりにやってみないか?」
C「わたしはそのぉ・・・SNSで炎上したことがあって・・・」
A「じゃあ、君はどうだ?できるかね?」
D「ああ・・・昔Twitterで・・・ちょっと・・・」
A「ああもう!そこの君は?」
E「たぶん大丈夫だと思うんですけど・・・あ、でも昔は毒舌キャラだったな」
A「だれもおらんのか!お前は?」
F「・・・レンタルビデオの履歴を見られたらちょっと・・・」
G「僕は離婚歴があるので・・・」
H「昔キセルがばれて・・・」
J「裏垢で友だちに二股を自慢したことが・・・」
K「免許がゴールドじゃないんですよ」
L「元カレに写真を出されたら・・・」
A「なんてことだ!この国には罪を犯したことがないものは誰もいないのか!」
B「あの、じゃあA委員長がされてはどうかと・・・」
A「・・・」
B「えっと・・・・オリンピック、中止にします?」