先日、酒井順子氏の『黒いマナー』という本の一部を見る機会があった。
その昔、天皇陛下が公務で外国を訪れ、晩餐会に招かれた際、フィンガーボウルの水を誤って飲んでしまったことがあるという。
それを見た主催者が、陛下に恥をかかせまいと、自らもその水を飲んで見せたというエピソードがある。
酒井順子氏は「それってほんとうに思いやりなのか?」
「それ、飲む水じゃないですよ」とちゃんと教えてやるのがマナーじゃないか、という。
また、マナーが簡略化している現代、丁寧すぎる対応は迷惑。
冠婚葬祭など、特別な場合以外は、逆にマナーをカジュアル化するほうがマナーじゃないか、と吠える。
まあ、確かにそうかもしれない。
僕なども、ここ数年は年賀状をもらうと「チッ!」と舌打ちしたくなるようなことが多い。
年始のあいさつはほとんどメールで送り、年賀状が届くと仕方なくコンビニに走る年始が続いている。
が、それでも丁寧なマナーはできるにこしたことはない。
僕は今までフリーの仕事しかしたことがなく、ちゃんとしたサラリーマン経験がない。
よって名刺の渡し方とか、電話の対応とか、お礼状の作法などもかなり疎い。
それゆえにマナーに対するコンプレックスがあるのかもしれない。
「この時代、マナーなんて邪魔なだけだ!」と言う意見を応援したい気持ちがある一方、
「僕も品格ある格好いい大人になれないものかな~」と思ったりもするのだ。
さて、酒井順子氏の文章の中で、一つ、なかなかいいなと思う一説があった。
それは『マナーがわからないところへ行かないというのもマナーだ』というもの。
『マナーというのは通行手形みたいなもので、ある世界のマナーは、そこに入ることが許されている人のみが習得している。』
『マナーを知らない人とはすなわち、その世界にとっては不審人物ということになる。』
というのだ。
これはまさにその通り。
築地のマグロ市場を見学する観光客や、銭湯で体を洗わずに入ろうとする外国人
また日本人でも『田舎へ泊まろう』とか、「普通の観光客が行かないところへ行ってみたい!」なんていうバックパッカーは少し考えたほうがいい。
自分は満足かもしれないし、「知らないことを知りたい」「新しい、珍しい体験をしたい」という気持ちはわからないでもないが、あえてそこへ入らないのもマナー。
たとえ知りたくても我慢して知らないでいる
ローカルマナーを乱すような状態では、その世界へ入らない。
これって、意外に大事なのかもしれない。
さて
昨日、僕は電車に乗って新宿へ向かっていた。
車内は意外にすいていて、僕も座席に座ることができた。
30分ほどの乗車時間、何をするでもなく、ウトウトしながら乗っていると、とある駅に到着
僕の隣に座っていた女性が降り、座席が一つ空いた。
さあ、誰が座ってくるのかな?
怖い人だったら嫌だな。
イヤホンの音漏れのひどい奴だったらもっと嫌だな。
そう思っていると、なんとドアから入ってきたのは推定体重130㎏はあろうかというおデブちゃん。
「う、うそだろ?」
と思うまもなく、おデブちゃんは僕の隣りの座席をロックオン。
ズカズカと近寄り、「やれやれ」という感じで振り返り、その巨大なケツをゆっくり沈め始めたのである。
とたんに迫り来るものすごい圧力。
それまで隣りに座っていたのが細身の女性だったので、その差が際立っていた。
僕は少しだけお尻を浮かせて座る位置をずらしたのだが、それでもおデブちゃんの横っ腹の肉が
僕の腕にめり込んでくるのである。
しかもそれが湯たんぽのような温かさ、且つ、体から蒸気のようなモノが発散され、僕はたちまち汗をかきはじめたのである。
しかし、ここで立ち上がってはさすがに失礼なので、新宿までの12分間
僕は減量中のボクサーのように耐え忍んでいたのだが・・・・・・・・・
「デブは座席に座らないというのもマナーだよな~」と
全国のおデブちゃんからの反感を買うようなことを思ったりもした。
本当にマナーは難しい。
特に僕なんて、くだらないことにケチをつけ、自分のことを棚にあげながら人を小馬鹿にするタイプのブロガーなので、これまでマナー違反なんて死ぬほど犯してきた。
「パナソニックの開発した『エボルタ君』が東海道を走破したって・・・ニュースにするほどか?たかが乾電池のCMで・・・・パナソニックも金使いすぎじゃね?正直、乾電池なんて安けりゃどこのだっていいんだけど・・・・」
なんてことを、テレビも見ながら今も思っている。
しかしさすがに37歳にもなって、人の揚げ足取りばかりしているなんて恥ずかしいので
せめて「褒める時は褒める」「批判するところは批判する」と
きっちりわけられるようにはなりたいものである。
大人のマナーってやっぱり難しい・・・・・・