俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

おぼん・こぼんTHE FINAL

放送直後から「感動した!」「ギャラクシー賞確実!」「いや、ノーベル平和賞!?」とネット上を騒がせた『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の企画「おぼん・こぼん THE FINAL」。

放送後はおぼん・こぼん師匠が上がる漫才のステージにも多くのお客さんが足を運ぶようになり、『水曜日の~』でコーナーを進行したナイツの元には「『10年ぐらい口きいてない元上司とかに電話しました』『親とほぼ絶縁だったんですけど、仲直りしてみようと思います』」といったメールが届いたのだとか。

確かに僕もこの2週ぶち抜きの企画をハラハラドキドキしながら観ていた。正直、ドラマや映画よりもずっと心を揺さぶられ、気持ちが悪くなるくらいだった。

そして思った。「う~む・・・我が家の場合はどうなるのだろう・・・?」

おぼん・こぼん | BIRKENHEAD ERKY

僕はアラフィフなので、おぼんこぼん師匠が意地を張ってしまう理由もよくわかる。

おぼん師匠はきっと昔から

・自分の方がこぼんより才能も立場も上

・自分はこれほどみんなのためにがんばっているのだから評価してほしい

・それはこぼんもわかっているはず。元々俺はあいつに誘われて漫才師になったのだから感謝されていて当然

そう思っているはずである。だから漫才協会の理事戦の得票数でこぼん師匠を下回った時に「なぜあいつのほうに人が集まるのだ?」「おかしい」「俺の努力と苦労はなんだったのだ」という思いが爆発したのだと思う。

はえてしてそのように考える傾向が強い。会社員だって「俺が辞めたらこの会社は仕事が回らなくなるな。俺は相当会社に貢献しているし、そう思われているはず。当然みんなは俺を評価し、俺に感謝しているはず」と思いながら働いている。それが自分を支えるプライドであり、そのプライドがあるからどんなに辛い仕事も乗り越えられる。だから嘘でもおだててほしいし、少しでも感謝してほしい。定年までは騙されていたい。が、現実はそうではないことがほとんどだ。自分がいなくても仕事は回るし、評価を期待する人ほど周りの評価はそれほど高くない。それがわかってしまった時は相当悔しい。だから誰かに当たったり、周りがみな無能に見えてしまう。それがおぼん師匠だ。

こぼん師匠はおぼん師匠のことを対等の関係、相方としてずっと見ていたのかもしれない。おぼん師匠のがんばりや才能にも気づきつつ、「これはあいつの役割。あいつがやりたくてやっている。自分はこういう性格。自分は自分のできることをやる」と割り切っていたのではないか。しかし「なんかこいつ、妙に上から来るな」「恩着せがましいな」というイライラが半世紀以上積もりに積もっていた時に、漫才協会の理事選での八つ当たりや、こぼん師匠からの「謝れ」「感謝しろ」「おかしいだろ」と言う言葉に我慢の限界が来たのだろう。僕が子供の頃に観たこぼんさんは、もっと愛嬌があっておどけた感じだったのに、この2年間はずっと無表情で感情をなくしていた。最初は老化か病気で表情筋が動かないのかなとも思ったが、コンビの仕事ではずっと笑えない状況だったのかもしれない(ちなみに今回の「THE FINAL」でもこぼん師匠は最後まで無表情のままのように見えた)。

番組ではこぼんさんの娘の結婚披露宴でも歩み寄りと罵倒を繰り返し、最終的には”仲直り”という形で終わった。まあ番組が無理やりその形で終わらせたのかもしれないし、ネット上には”やらせ”を疑う声も確かにある。

真実は本人のみが知るところだ。ぼくは個人的に「こぼんさんはもう辞めたかったんじゃないかな…。年齢も72歳だし、ここで区切ってもいいんじゃないかな」とも思った。喧嘩別れする漫才コンビなんて山ほどいる。あれほどのベテランになると後輩、同僚、家族、関係者がこぞって説得にあたって続けさせようとするが、第三者的に見ればこぼん師匠はもうゆっくりと老後を過ごしていい年齢だ。漫才への熱もおぼんさんほどではないように見えたし、年を取って頑固になるのはごく普通。それを周りが無理やり懐柔させるのはこぼん師匠にとって幸せだったのだろうか。

まあ、僕だったら「もう師匠たちの好きにさせてあげたら」と放ってしまうところだが、ナイツをはじめ関係者が説得して一応仲直りの形にすることができたのだからそちらが評価されるのは当然か。

水曜日のダウンタウン神回 おぼんこぼん師匠がついに仲直り 視聴者感動し涙 : まとめダネ!

ただ放送後、僕は唸ってしまった。僕の兄弟の場合はどうなるんだろう?

実は僕は男三人兄弟の真ん中なのだが、我が家は兄弟三人が三人ともお互い全くの無関心で、高校を卒業して家を出て以来30年、お互いに連絡を取っていないのだ。長男は実家の隣に家を構えているが、3人とも仕事がバラバラで盆と正月に会うことも数年に1回。実家や嫁同士はつながっているので、母や嫁から「今度転勤になったらしい」「病気で入院していたらしい」といった情報がたまに入っているが、それだけ。直接連絡をしようと思ったことはない。

しかしこんな状態でありながら、驚くことに我が兄弟は”喧嘩をしているわけでも、嫌い合っているわけでもない”のである。ただ単にお互いに無関心のまま30年以上過ごしてしまったため、話すきっかけもなく、何年かに一度実家で会ってもなんか気まずいのである。我ながら珍しい兄弟だと思う。いっそ兄弟でないほうが「よぉ、久しぶり!元気?」「仕事何してんの?家族は?」なんて同窓会のように話せるのかもしれない。いっそ兄弟でないほうが「ああ、どうもどうも。ご無沙汰しております。ご家族もお元気で?お子さんが小学校入学?かわいい盛りですなぁ」なんて仕事のお客さんのように話せるのかもしれない。

でも僕らは兄弟だ。疎遠なのになれなれしく振舞わないといけない。じゃなきゃ不自然だ。でも話すこともないんだよなぁ。今はまだ両親が健在だからいいが、いつか兄弟と話さなければならない時が来る。別に喧嘩したわけでも嫌いなわけでもない。ただ話さない期間が長すぎて気まずいだけだ。他人以上に。

あ~あ、だれかおぼんこぼん師匠の時のように、僕ら三兄弟の仲を取りもってくれないかな。僕ならおしぼりなんて投げずに素直に「ありがとう。これからもよろしく」って言えると思うんだけどなぁ。今よりもっと頑固になってしまう前に、三人で飲みにでもいかないとなぁ。

そう思いつつ、今現在もおぼん師匠のように「お前から誘ってこいや」とずっと意地を張っている僕であった。