白河の清きに魚 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき
この句を僕が知ったのは小学生の頃だったか?家にあった『マンガ日本の歴史』かなんかに書いてあったのがなぜか強烈に印象に残っていて、50歳になった今でもちゃんと覚えている。確か、白河藩出身の松平定信が”寛政の改革”で贅沢を禁止し、節約・節制を徹底してそれなりに成果をあげたのだが、庶民としては賄賂とか汚職とかがちょっとくらい横行しても自由に遊んだり酒飲んだりできてた頃(田沼意次が老中だった時代)のほうが楽しかったなぁ、という感じの歌だ。
わかる!わかるぞ!昭和だろうが平成だろうが令和だろうが、そうなんだよなぁ
話は変わって、ダウンタウン・松本人志の性加害報道が出てから1か月、僕はずっと憂鬱な気持ちのままである。子供の頃から大のテレビっ子であった僕にとって「ダウンタウンがテレビで見られなくなるかもしれない」という恐怖、辛さは相当なもので、予防接種の注射を待つ子供のように「嫌だなぁ~、嫌だなぁ~」とため息をついている。
もちろん、”強制”が事実であって”事件性あり”と認められれば”被害者”のいることなので松ちゃんを擁護することはできない。
ただテレビでダウンタウンのバラエティが観られなくなるのが本当に憂鬱で・・・もうここまでのスキャンダルになった以上は例え裁判に勝ったとしても以前のように番組を持たせてもらうことは難しいだろう。ということは『ダウンタウンDX』(日本テレビ系列)や『水曜日のダウンタウン』(TBS系列)で松ちゃん浜ちゃん二人が並ぶ姿が永遠に見られなくなるかもしれないということか。はぁ~~~~~・・・つらい。
確かに今の価値観(コンプライアンス)で言えば、男がH目的で女性を集めて合コン、それから強引にツーショットに持ち込んで「嫌よ嫌よも好きのうち」っていうのはアウト。それが妻子持ちで、芸能界でも地位のある松ちゃんならなおさらアウト。冗談でも「俺の子供を産んで」なんて言ったらハラスメント。昔はセーフだったとしても今はアウト。「強制の証拠はあるのか」「あとになって”実は嫌だった””恐怖を感じた”なんて言われても知らねーよ」「痴漢冤罪と一緒で、女性の証言だけでいくらでも男を訴えて示談金が取れるなんて不公平じゃねーか」と思わなくもないが、一般的に立場が弱いと言われる側が守られるのは必然。
ただ僕が悲しいのは松ちゃんのボケが、天才が放つ一瞬の閃きが今後一切聞けなくなってしまうこと。音楽でもお笑いでもそうだが、人間はやはり自分と近い世代のものに親しみを感じる性質があるらしい。僕は50代なので、20代~30代の芸人さんのお笑いはちょっと共感が薄いし物足りなさを感じてしまう。そんな中、自分よりちょっと年上(還暦)のダウンタウンが今も第一線で活躍していることは本当に励みであったし、生きがいでもあった。それがもう終わりかもしれないなんて・・・。
繰り返すが、今はコンプライアンスが厳しい時代。価値観も昭和・平成とは全く違う。昔は男性の”お戯れ”、”スキンシップ”、”コミュニケーション”で済んだことが今は立派なハラスメントになり、訴えられても仕方がない。「嫌なものは嫌」と訴えられる女性が増え、”Me,too”と同意する声も続出、それを擁護する社会の声が集まるようになり、男性の勝手な解釈では通用しなくなっている。社会は良い方向、クリーンな方向へと変化してきている・・・。
夜、僕は『笑ってはいけない~』シリーズを部屋でこっそり観ながら「笑いにはエロとバイオレンスが必要だよな~」「うんこ・ちんこって、おもろい響きだよなぁ~」「暴露話とか女で失敗した話って外さないよなぁ~」「人が痛がる、驚く、ビビる、泣く、怖がる、嫌がる姿って、なんでこんなに面白いんだろう」「イジる・イジられる関係が成立しているって、なんて幸せなことだろう」なんてしみじみ思い、昔のバラエティを懐かしんでいる。
今後はサンドウィッチマンのようなどの世代にも好かれる笑い、性別問わず受け入れられる笑い、誰も傷つかない笑いが主流になって、下品な笑い・下等な笑いは一掃されるんだろうな。それで育った世代は昔の芸人やバラエティ番組を蔑んだ目で見るんだろうな。
「とんねるずやダウンタウンがいた時代はそれが普通だったんじゃよ。下品な笑いをみんな面白がったんじゃ。普通に女性タレントのおっぱいとかお尻を触っておったんじゃ。志村けんはサイコーにお下劣で変なおじさんだったんじゃ。今じゃもう放送されんじゃろうが・・・。」