(以下、引用)
歌人の俵万智さん(61)が8日、自身の「X」(前ツイッター)を更新。新聞社が報じた「マルハラスメント」に触れ、“目から鱗(うろこ)”の一首を投稿。称賛の声が集まっている。
今月6日、産経ニュースが「文末の句点に恐怖心…若者が感じる『マルハラスメント』」と題し、句読点の使用が与える印象について報じた。若者は「。」で終わる文に恐怖心を感じるという。
この報道が話題となると、「句読点を多用するのは『おばさん構文』」とネット上で話題に。多くのメディアで特集された。
俵さんは、「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…」とこの件に言及。「この一首をそっと置いておきますね~」と、一首を投稿した。俵さんが投稿したのは、
「優しさにひとつ気がつく ×でなく○で必ず終わる日本語」(後略)
(https://news.yahoo.co.jp/articles/9ec82ffd553e912852bd7544b22ab77f116f153f)
ここ最近、俵万智界隈がまた賑わっている。ちょっと前にも(旧)Twitterの名称がXになったことに触れ、
「言の葉を ついと咥(くわ)えて 飛んでゆく 小さき青き鳥を忘れず」
「このままで いいのに異論は 届かない マスクの下に唇をかむ」
という二首を詠み、「さすがプロ」「完璧」と絶賛されていた。
で、これは本当に偶然なのだが、僕は昨年8月、海外赴任に行く直前に無性に「『サラダ記念日』が読みたい!」という衝動に駆られていた。なぜ30年以上前の本を急に読みたくなったのかはわからない。大好きな『プレバト!』(TBS系)の俳句コーナーを見て、「短歌のコーナーもあればいいのに。そしたら先生は俵万智だな」なんて思ったのかもしれないし、革命的に旨いチョコレートでも食べたのかもしれない。とにかくそのまま駅前の本屋で文庫本版を買い、今も赴任先の書斎においてあるのだ。
それにしても『サラダ記念日』を初めて読んだ時の衝撃はすごかった。もし“短歌”を百人一首とか中学校の国語の教科書ぐらいでしか見たことがなくて、「あの昔の言葉で書かれた難しいやつでしょ?」なんていうZ世代、令和の子供がいたらぜひ『サラダ記念日』を読んでほしい。というか、もう学校の教科書に載っていてもいいくらいだと思うし、学校で普通に現代短歌・現代俳句を作る行事があっていいと思う。若い人が『サラダ記念日』を知らないまま育っていくのはもったいない!あれは映画で言えば『ローマの休日』とか『ジョーズ』みたいなもの。純文学で言えば『吾輩は猫である』とか『蜘蛛の糸』、Jポップスで言えば『RYDEEN』とか『東京ブロンクス』みたいなもの。“日本人が知っておくべき名作”“それまでの常識・概念を変えた革命的な作品”の類だと思う。
僕が『サラダ記念日』を初めて読んだのは発行されてから11年経った1998年。すでにめちゃめちゃ売れていて(230万部?)当時誰もが知っている作品だったが僕はまだ読んでいなかった。で、読んでみたらやはりすごかったのだ。
「え?短歌って、こんなにポップな感じでいいの?」
「女の子のリアルな心情を、5・7・5・7・7でこんなに軽やかに詠める?」
「短歌のリズムって、こんなにスッと入ってくるものなのか!」
「この感性!うらやましいわぁ~。嫉妬するわぁ~。きゅんとするわぁ~」
「これってノン・フィクション?短歌って、こんな日記みたいにスラスラ詠めるもんなの?すごくない?うわぁ~俺もやってみてぇ~。旅行中、ずっとこんな風に詠めたら楽しいだろうな~」
「俵万智さん、かわいいなぁ~。でもこんなに赤裸々に書いて大丈夫かなぁ~。女の子ってこんなこと考えてるのかぁ~。参ったなぁ~。あ~彼女ほしいぃ~」
とにかく僕が短歌に対して持っていた固定観念とか偏見みたいなものを軽やかに崩してくれて、“現代短歌”の面白さを十二分に伝えてくれたあの衝撃!50歳になった今も忘れていない。あれは“革命”だった。『サラダ記念日』・・・今更ながらすごくいぃタイトル!全国民、全世代に詠んでほしいし、これからも読み継がれてほしい。
そんなに好きならその後の俵先生の作品『チョコレート革命』や去年発行の『アボカドの種』を読んでるかと言えば、実は読んでない(申し訳ない!)。でも読んだらすごいんだろうな。
思うに、俵万智さん作る現代短歌は令和との親和性が強いのだと思う。僕みたいなおじさんは長々と語る癖があるが、5・7・5・7・7の31音でスパッと言われると歯切れがいいし、それでいてなんとも気持ちのいい余韻がある。Z世代も思わず読み返して「ウマいなぁ!」と感心したり「これはこういう気持ちカナ」なんて自由に解釈したりできる。
不要な言葉を削り、至高の言葉を選び、5・7・5・7・7のリズムにぴったり乗せつつ自分の正直な心情が表現できた時の快感ってすごいんだろうなぁ。自分なりの表現方法を確立している人って、いいよなぁ~。
プロになると産みの苦しみもあるだろうけど、俵万智さんは「売れる」ことより現代短歌に魅了されたあの時の気持ちのまま、『サラダ記念日』のあとがきに書いたあの気持ちのまま今もいるような気がする。だから俵万智さんは美しい。