俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

ストーリー

日曜日の朝、ランニングをしながら考えた。

 

僕はなんのために走っているのだろう?

 

何を考えて走っているのだろう?

 

そして、どこまで走ればいいんだろう?




ちょっとかっこよく書き出してみたが、答えは簡単で、

 

僕は「ダイエットのために」走っていて、「けっ、親子連ればっかり!幸せそうにしやがって!」とひがみながら走っていて、ゴールは2キロ先の公園だ。

 

公園のあずま屋で、ストレッチをしながら

 

「俺の人生はどこで間違えちまったんだろう?」と

 

これまた毎週同じことを考えてみる。


30歳で結婚して子どもができていれば、子どもは来年小学校入学

 

25歳で結婚して子どもができていれば、去年は結婚10周年

 

20歳で結婚して子どもが生まれていれば、子どもは今年高校入学

 

・・・・・・・・・・・かあ。


俺の人生失敗だったな。

 

彼女と河川敷を自転車をひいて帰る高校生活も

 

合コンで知り合った彼女とデートしたりケンカしたりして過ごす大学生活も

 

週末のお泊りがいつしか同棲になって、シングルベッドで朝を迎える社会人生活も


結局1個もかなえることなく、30代後半を驀進中だ。

 

この後どうなるかはわからないが、少なくとも10代20代の青春はもう書き換えることはできないから

 

来世に期待するしかない。

 

ああ、生まれ変わったら倉田真由美の旦那みたいになりたい・・・。

 

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   *旦那は女性500人切りの性豪プレイボーイ

このままでいけば、僕は間違いなく孤独死を迎えることになる。

 

だからせめてもの生きた証として”自分史”なんぞを残しておきたいものだが、

 

田中美絵子のおっぱいがどうのこうのとか、MEGUMIのおっぱいがどうのこうのとか

 

バイク王」のCMの女の子のおっぱいがどうのこうのとかブログで書いているうちに、時間が過ぎてしまっているのが現状である。

 

はぁ・・・・・・・・・情けない・・・・・・・・・

 

人は「物語」を求める。

 

自分自身に対してだってそうだし、他人に対してだってそうだ。


いつも自分は「自分というドラマ」の主人公であるから、

 

ブログなんぞで不特定多数のだれかに理解を求めたり、

 

「不幸なシンデレラ」を演出してみたりする。


一方、他人に対しては、その人がどのような人生を歩み、どのような価値観を持って生きてきたか知ると

 

その人に同情したり、その人を応援してみたりする。


例えば「新撰組リアン

 

僕は以前、「こいつらすぐ消えるぜ~」みたいな目で見ていた。
 
しかし、今、思うと、やはり紳助さんは天才なのだ。 

 

日本テレビ人生が変わる1分間の深イイ話』において、新撰組リアンを選定するためのオーディションの様子や、最終選考をかねた合宿の様子などを数週にわたって流していた。

 

彼らの努力、友情が作られる過程などを逐一流していたのである。

 

それを見ていた視聴者は彼らの「物語」をずっと見ていたのである。

 

だからこそ彼らを親心で見守っていきたい気持ちになれるのである。


オーディションの様子を全く見ずに、突然「紳助さんがプロモートした新人グループです」と紹介されてもなかなか受け入れ難いが

 

やはりそのグループが作られた過程を見せられると、いとも簡単に「甥っ子」気分で応援できるのである。(”羞恥心”もしかり)

 

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例えば「ギャルモデル」

 

普段、全く接点のないギャルモデルが急にテレビやCMに出てくると

 

僕は反射的に「なんだこいつ~。気持ち悪い!」と思ってしまう。

 

そしてそれを素直にブログに書くと、ギャルに怒られてしまう。
 
 
ギャルモデルを応援する女の子らは色々な雑誌でギャルモデルの”物語”を見ているのだ。

 

だからこそ共感し、ギャルモデルを支持するのだ。

 

僕は見ていないのでわからないのだが、『popteen』にしろ『小悪魔ageha』にしろ、

 

キャバ嬢・・・もとい、カリスマギャルモデル達の心情の吐露が見られるらしい。

 

「昔、付き合っていた彼氏がDVで・・・」「昔の彼氏があたしの友だちと浮気してて・・・」

 

「元カレにストーカーされて・・・」「レイプされて、中絶して、援交やって、AV出て・・・・」

 

そんなケータイ小説チックなカミングアウトに

 

「あ!わかるわかる!」「つらいよね~。かわいそ~」「あたしもチョメチョメされたぁ~」なんて言って同情し、共感し、

 

同じメイクになっちゃたりするらしい。

 

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例えば、昔やってた日本テレビ『誰も知らない泣ける歌』

 

あの番組だって、他の歌番組のようにただ歌を流すだけなら感動なんてしない。

 

その歌にまつわる秘話や、その歌によってファンが救われた話などをVTRで流すことによって

 

視聴者は”物語”を与えられ、素直に感情をゆだねることができるようになったのである。


僕も、刺青ヤンキールックスの「かりゆし58」がそのまま出てきて歌を歌っても感動はしなかったと思う。

 

かりゆし58のボーカル、前川真吾がどうやって不良から抜け出し、「アンマー」という名曲を生み出したか

 

それをVTRで知ったからこそ、モデルとなったお母さんのことを思い、涙したのである。

 

DVDに録ってあって、今でも時々見るのであるが、今のところ8回連続で泣いてます。

 

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例えばアメーバブログ、総合ランキング3位の「桃」

 

昔フジテレビでやってた『あいのり』に出ていた素人さん。

 

『あいのり』は、なんかラブワゴンとかいう車に乗りながら世界を旅して、その間にワゴンに載っている素人さん同士でカップルを作る企画。

 

その中でも「桃」って言う子はダントツでかわいく、見事カップル成立をして帰国したらしいが、すぐわかれたらしい。


『あいのり』も女性に人気のあった番組だった。

 

だから『あいのり』を見ていてた人は「桃」の恋愛を観察し、共感し、感動し、祝福した。

 

だからこそ今も「桃」を見守っているのだ。

 

桃の物語の続きを、みんな見てみたいのだ・・・・・・・・・・・・・でも、素人ですよ・・・。

 

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やはり人に受け入れてもらえるには”物語”が必要だと思う。

 

そう思うからこそ、僕はテレビやCMの背景にある人間関係や設定にこだわるのである。

 

想像力を駆使して物語を紡ごうとするのである(妄想ではないぞ!)


ちなみに、僕は以前、福士加代子という陸上選手のストーリーを書いてみたのだが・・・・・・・怒られました。

 

まだまだ修行が足りない・・・・
 

 

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