最近、週に1回は博多ラーメンを食べている。
もうこの水道橋にある「博多天神」の豚骨ラーメンにはまりつつある。
初めて店に入った時は、いろいろと戸惑ってしまったが、最近、ちょっと慣れてきた・・・。
夜の9時にお店に入ると、店内は閑散としていた。
まあ、晩飯には遅く、飲み会帰りには早すぎるという、中途半端な時間だ。
カウンターの一番奥に女性が一人、座っていた。
僕は一つイスを空けて、その隣りに腰を下ろした。
そして大分慣れた感じで「ラーメン、バリカタ」とクールに注文をキメる。
大将の「へい!ラーメン、バリカタ」というテンションの高い返事に苦笑いしつつ、ラーメンを受け取る。
カウンターに設置されてある紅しょうが、からし高菜、ごま、タレ、こしょうをふりかけ
紅しょうがとからし高菜をちょっとスープに沈めつつ、味の平均化を図る。
そしてまずはスープを一口。
旨い!
店には「東京一の濃厚さ」と謳っているが、飲んだ瞬間は全然しつこくない。
むしろクリーミーですっきりしている。(あとで胃にくるのだが・・・)
そしてスープを飲み込んだ後に、ちょびっとからし高菜のピリッとした後味が残る。
やっぱこれだわ~。
そして麺をすすっては、咀嚼を繰り返す。
結構、丁寧に噛んでいくと、替え玉をしなくても十分腹いっぱいになる。
はじめから替え玉をしないと決めておけば、スープも遠慮なく堪能できる。
あ~~ゴマのプチプチした触感が下の上に残る感じがたまらん。
ちょっといれすぎのからし高菜と紅しょうがの、複雑な色合いがまた食欲をそそる。
あ~うま~、うま~
僕が夢中になって博多ラーメンを堪能していると、隣りから「ズズッ」と麺をすする音がして
僕は我に返った。
奥に座っていた女性だった。
そういえば、ラーメン屋で一人でラーメン食べている女性の姿って、シュールだな。
女性は一人飯をためらう人も多い。
牛丼屋やファーストフードはもちろん、だめな人は「大戸屋」や「おはち」でもためらってしまう。
それがとんこつラーメンの店ならなおさらだ。
女友達には絶対に見られたくないし、知り合いの男性にも、なんだったら店内のほかの客からも見られたくない。
そう考える人がいてもおかしくない。
女性は面倒な生き物なのだ。
しかし、僕の隣りの女性は、これといって周りを気にするふうでもなく、ゆったりと構えていた。
確かに、「誰か、知り合いに見られるんじゃないか?」と客が入るたびにびくびくしながら飯を食っているやつがたまにいるが、結構みっともない。
また、一人飯の女性が寂しさを紛らわすためか、携帯をいじりながら食べる姿。
これもまた様にならない。
育ちの悪さだけが際立ってしまう。
これが男性の場合はちょっと違う。
店内のテレビでやっている野球中継を見ながら飯を食っている男は、割と様になっている。
カウンターの一番端で、ボロボロのスポーツ新聞を見ながら食う飯は割りと旨いものだ。
さらに、カウンターのテーブルの下に置いてある、何ヶ月も前の漫画雑誌を見ながら飯を食うサラリーマンの姿は、日本の「わび・さび」を感じる。
枯れていて、哀愁漂う感じがいい。(特に冬は・・・)
これが女性だとそうはいかないのが、女性のかわいそうなところだ。
で、話は戻って、僕の隣りの女性
携帯をいじるわけでもなく、雑誌を読むわけでもなく、
まっすぐラーメンに向き合っている。
・・・・・・・・・・・素敵だった・・
そして僕は、彼女のラーメンのスープを見て、さらに驚いた。
味付けを全くしていないのだ。
つまり、最初の、まっさらな、乳白色のスープをそのまま堪能しているのだ。
そのスープの美しさに僕は目を奪われてしまった。
僕のスープは、紅しょうがとからし高菜で、むちゃくちゃに濁っているのに、
彼女のスープは、まるで彼女の絹のような肌とマッチするように、
とてもきれいに、白く澄んでいた・・・・・・・
推測するに、
彼女はふらりとこの博多ラーメンの店に入ってきたわけではない。
「今日は、本場の博多ラーメンを食べるんだ」という
強い決意を持ってきたように思える。
じゃなかったら、通りから丸見えのこのラーメン屋に、女性が一人で入ってくるわけがない。
もしかしたら九州出身の人かもしれない。
純粋にラーメン好きな人なのかもしれない。
どちらにせよ、彼女のスタイルは美しかった。
その生きるスタイルが美しかった。
ラーメンにかける姿勢が美しかった。
まっすぐラーメンと向かい合い、凛として、真剣にラーメンと対峙する
そこには一切のためらいも、妥協もない。
ただ、黙々とラーメンを食べている
この生きにくい世の中で、明日を生き抜く英気を養うため
彼女は乳白色のスープをズズズと吸い込み、小さな吐息をもらした。
日本の女性はまだまだ捨てたものではない。
そう感じさせてくれた夜であった。