>映画「社長」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」、テレビドラマ「七人の孫」など幅広い分野で日本の大衆芸能史に巨大な足跡を残した俳優、森繁久彌さんが10日午前8時16分、老衰のため東京都目黒区内の病院で死去した。96歳の大往生だった。大阪府出身。
>7月末に夏風邪による発熱で入院し、最期は眠るように息を引き取った。ユーモアあふれる人柄と鋭い人間観察で知られた森繁さんは“モリシゲ”の愛称で広く国民に親しまれ、91年には大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した不世出の名優だった。
>舞台約2000公演、映画出演約240本。底知れぬスケールの大きさで国民に笑いと感動を与え続けた森繁さん。まさに“奇跡”のエンターテイナーだった。
>所属事務所によると、森繁さんは7月22日に夏風邪による発熱で入院。当初は意識もはっきりしており、病室では「何か面白い話はないか」と家族らに語りかけるなど元気だったが、今月に入って衰弱が進み、10日午前8時16分、次男の建さんら家族数人に看取られ眠るように息を引き取ったという。
>森繁さんは東宝の映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などのほか、「夫婦善哉」などで活躍し、“昭和30年代は森繁の時代”といわれる大スターになった。67年の初演から公演回数900回を記録した舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」では森繁さんならではの主人公テヴィエ像を確立、日本の演劇史に残る名舞台となった。また、歌手として59年から7年連続でNHK「紅白歌合戦」に出場。自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」は70年代に歌手、加藤登紀子(65)によって大ヒットした。
>ユーモアあふれる人柄で知られ、76年2月2日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」の初回にゲスト出演した際、司会の黒柳徹子(76)の胸を突然触り、視聴者を驚かせた。その一方、鋭い人間観察の持ち主で、敗戦で戦犯の容疑をかけられてソ連軍に逮捕されるなど、激動の時代を乗り越えた体験が芸に厚みを加えた。
>私生活では、90年10月に57年間連れ添った夫人の萬壽子(ますこ)さんを肝硬変で亡くし、さらに、かつての俳優仲間だった勝新太郎さんや萬屋錦之介さん、芦田伸介さん、三木のり平さんらに先立たれ、99年1月には長男の泉さん(享年58)を肝臓がんで亡くし、一時は周囲に「もう生きている意味がない」と話すほど失意のどん底に落ち込んだ。
>2006年に40年来の友人である演出家兼作家の久世光彦さんが虚血性心不全で70歳で亡くなると、通夜の席で「なぜ私より先に逝くのか…」と号泣。これが森繁さんの最後の公の席となった。晩年は自宅で孫やひ孫に囲まれ、静かに老いの日々を送っていた。
(SANSPO.com 2009.11.11)
(SANSPO.com 2009.11.11)
というわけで、ものすごい俳優だったそうです。森繁さん。
が、実は僕は森繁さんの作品をほとんど知らない。
そりゃそうである。
「社長シリーズ」も「駅前シリーズ」も「夫婦善哉」も全部僕が生まれる前のことだ。
もっと言うなら、テレビで哀しそうな表情で森繁さんの訃報を伝える若い女子アナだって
森繁さんの功績を振り返る芸能コーナー担当の若い男性アナだって、
内心「誰?この人?」という感じのはずである。
僕はかろうじて、子どものときに「おやじのひげ」というドラマで森繁さんを見ているが、その時は既に相当のじいさんだった。
確か、森繁さん扮するじいさんがボケを防止するため、首にスタンプカードをぶら下げてお散歩する。
そして八百屋とか酒屋とか、行った先でスタンプを押してもらって帰ってくるというシーンがあったのだが、
幼心に「これは演技なのか?マジなのか?」と不思議な違和感にとらわれたものだった。
ちなみに、僕が尊敬する消しゴム版画家であり、TVコラムニストであった故・ナンシー関さんも
ことあるごとに森繁さんをネタにしていた。
例えば、「日本アカデミー大賞」の表彰式に毎年顔を出していた森繁さん
が、年々、足取りがおぼつかなくなってきて、
プレゼンターとして舞台上に上がるのも億劫になってきて、
しまいにゃ、受け答えもとんちんかんになってきて、
年々壊れていく森繁さんの姿を、ナンシーさんはいつもいつも愛毒のある言葉で綴っていた。
森繁さんを見るためだけに「日本アカデミー大賞」を見続けたナンシーさんだが、いつのまにか森繁さんが出なくなると「大丈夫か森繁?」と紙面でエールを送った。
結局、自分の方が先に死んでしまうという「とほほ」な結果に終わってしまったのだが
おかげで僕も「日本アカデミー大賞」の楽しみ方がわかるようになったものだ。
最近話題の結婚詐欺犯似のちょいデブだったナンシーさん(生涯独身)
さらに森繁さんと言えば、芸能人のお葬式によく出てくることで、有名だった。
(というか、ナンシーさんが有名にしてしまった。)
そして自分より年下の俳優の葬式に出るたびに「本来なら私が先に逝くべきものを・・・」「何故私より先に行くのか・・・」と同じセリフを繰り返した。
「森繁さん、ぼけちゃったのかな?」と思うと同時に、「それでも森繁はしぶといな・・・どんだけ看取れば気がすむんだ?」と感心したものだ。
その森繁さんもついに逝ってしまった・・・。
僕の物心ついたときには既におじいさんで、そのときからずっと”今にも死にそう”だった森繁さん
このまま何百年も「本来なら私の方が先に逝くべきものを・・・」を繰り返すおじいちゃんロボットだと思っていたのに・・・・やっぱり人間だったか・・・
ちなみに、今回、黒柳徹子さんの哀悼の言葉がめっちゃおもしろかった。
森繁さんは「徹子の部屋」の第一回ゲストで、いきなり黒柳さんの乳を揉みだしたという伝説を持つ。
黒柳徹子もまた不老不死のロボットだが、ロボットはロボットを好きになるものなのだろうか?
とにかくまあ、愛すべきスケベジジイなのである。
そして今回、僕は本当に久々に”老衰”という言葉を聞いた。
なんか、森繁さんらしいな。
老人って、抵抗力が弱まったところで風邪をこじらて肺炎になって死んだり、脳溢血になったり、癌になったりってイメージがあったけど
”老衰”って、森繁さんらしいじゃないの!
「先寝るよ。はい、御休み~」という感じ。
おじいちゃん?起きて?起きるの忘れちゃったの?
あ~、ナンシーさん、きっと森繁さんの最後、見たかったろうな~。
きっと最後の消しゴム版画とコラム、書きたかったろうな・・・。
そんで老衰で死んだ森繁さんを「わんだほー」って褒め称えただろうな・・・
きっとナンシーさんは今頃森繁さんに乳を揉まれていることだろう。
あ、でもナンシーさんはきっと地獄のほうか?人の悪口ばっかり書いてたから・・・