俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

年賀状のタイミング

ここ数年、年賀状というものをちゃんと書いたことがない。

もともと僕は書くことが好きであったし、中学校の時は「郵便友の会(ペンフレンドクラブ)などに入っていて海外文通などもしていたおしゃれな少年だったので、年賀状を作ることも嫌いじゃなかった。

小学生の頃はちゃんと手書きで絵を描いて、クラスメートを中心に40枚も50枚も出していた。

それぞれちゃんと絵を変え文を変え、その人のことを思い浮かべながら、清く正しい年賀状を書いていたものだ。

中学生になると親戚から”プリントゴッコ”を借りて、元絵を刷るようになったが、それでもできるだけ文章を書くスペースを空けて、「おもちを食べ過ぎないように」なんて下らない文を綴っていたと思う。

が、社会人になった今、僕は非常に無精になった。

まず年末に年賀状を書くのやめた。
そしてできるだけメールで済ませるように努めた。

多くの知り合いは僕と同じようにメールでの挨拶に移行していったが、まだ何人かは律儀に元日に届くようにちゃんと年賀状を送ってくれたりした。

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中でも大学の同期、斎藤は卒業以来、毎年年賀状だけの付き合いが12~13年続いている。

おもしろいことに、学生時代、斎藤とは特別一緒に遊ぶような仲ではなかった。

単に「一浪」「武道経験者」という共通点があるぐらいで、一緒にカラオケに行ったとか、一緒に旅行したということもない。一緒に昼飯を食った記憶すらない。

なのに、斎藤はずっと年賀状を送ってくれるのである。

そして毎年毎年

「今年結婚します」
「結婚しました」
「今年家族が一人増えます」
「都内のマンションに引越ししました」
「二人目が生まれます」
「住所が変わりました(一戸建て)」と

お手本のような順調な人生の報告をしてくれるのである。

僕は途中、海外勤務があったりしたので、斎藤は毎年年賀状を実家に送ってくるのであるが、斎藤の年賀状に写っている、毎年大きくなる子供の写真を我が母は目を細めて見ているのである。

僕は年が明けると、コンビニに年賀はがきを買いに行く。できるだけ絵が大きくて、文章を書かなくて済むようなものを選ぶ。

なぜなら、僕の人生はこれといった進展がほとんどないので、報告すべきことがないのである。

ありきたりの「今年もよろしく」という言葉も、年々重い気持ちになってきており

「今年は俺に仕事を紹介してくれ」
「今年は俺に女を紹介してくれ」
「職場の独身女性でも、嫁の友達でも、なんだったら息子の友達のお母さんでもいいから・・・」

なんてことを考えながら、「今年もよろしく」としたためる。本音は「今年”こそは”よろしく」なんだけど・・・。


今年来た年賀状は全部で6枚。

斎藤、後輩、職場1、職場2、職場3、小栗旬

コンビニで買った年賀状は5枚セットなので、悩みに悩んで小栗旬への返信を断念した。

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さて、今年の年末年始は実家で過ごしていたのだが、いかんせん、実家というのは娯楽が少ない。

そこでケータイに入っているメアドに片っ端からお年賀メールを送ってみた。

ちなみに僕のケータイはマクドナルド、TSUTAYA、メルマガ以外の私信はほとんど来ない。

2週間に1通、あるかないかという、なんともお寂しい状況なのだ。(マジ)

が、この「お年賀メール」という建前で、一度もメールなど送ったことのないような(メーリングリストの中の)知り合いにも片っ端からメールを送ってみたところ、非常に面白い結果が出た。


元日の午前中に送信したところ、男性陣は夕方までにだいたい返信が返ってきたのであるが、女性陣の返信はほとんど夜の11時以降、もしくは翌日なのである。

夜の11時以降を見計らったかのように、一斉に女性からお年賀メールが届く。

「そうかそうか。きっと女性は初詣や親戚周りなどで携帯電話をチェックする暇がなかったのだ。忙しい元日の行事を一通りこなし、着物の帯を外し、夜寝る前に、やっとこの日初めて携帯を手にとって、僕からのお年賀メールにきづいたのだ。そうだそうだ。そうに違いない。」

そう言い聞かせながら、実家の枕をも濡らしてしまう僕であった・・・。

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