俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

『親孝行プレイ』みうらじゅん 著

みうらじゅん著『親孝行プレイ』(角川文庫)を読んだ。

 

これが本当におもしろくて、思わず正月に里帰りしたくなっちゃうような素晴らしい内容だった。

 

結婚をし、子どももでき、幸せな家庭を築いている30代40代の男性にはぜひ読んでもらいたい。

 

みうら氏は「現代の親孝行は“プレイ”である」と定義。

 

例えば20世紀までの親子関係を引きずっている人たちは、親孝行をしようとして失敗してしまうことが多い。

 

「今さら父親と何を話しても盛り上がらない」「うちの両親はマッサージ器を贈っても使わない」などと嘆く。

 

しかし、今や親孝行は“プレイ”なのである。

 

それは「露出プレイ」や「放置プレイ」といった特殊な性交を示す「プレイ」と同様のものであるという。

 

親子だからこそ、誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない。

 

心を込めるよりも、まず形を示す。
ある意味、割り切った考え方だが、みうら氏の解説は実に納得に足るものである。

 

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親孝行プレイ1 親孝行旅行

 

親孝行の定番中の定番だが、みうら氏はここにも大きな注意点があるという。

 

1 行き先は親に決めさせること

 

・・・仮に旅行中に喧嘩などが起こった際に、親に「こんなところ来たくなかった」と言われないため

 

2 同伴宿泊(大広間に両親と自分の家族、みんなで寝ること)をしないこと

 

・・・両親の寝る時間は早い上、生活パターンに大きな差があるため。
また、こうすることで自分の家族を寝かせた後に、両親の部屋に行って話をする「ホテトル嬢プレイ」も可能になる

 

ちなみに、ある程度の年齢になったとき、親が最も喜ぶトークとは、「自分の息子はいかに頑張っているか」であるという。よって話す内容は自分がいかに重要な仕事をしているか、いかに稼いでいるかという“自慢話”に終始したい。

 

親孝行プレイ2 帰省のテクニック

 

わざわざ親孝行旅行に行かなくても、盆や正月に帰省して元気な顔を見せることが一番の親孝行だとする認識もある。だが、娯楽の少ない実家に帰省した途端、会話もろくにせず、テレビを見続ける輩も多いという。

 

そこでみうら氏は親子の会話を盛り上げるトークのネタをいくつか紹介している。

 

1 居間の飾りと台所の家電

 

この2つは両親(特に母親)が語りたいトークの2大巨頭である。

 

居間に見慣れない物(置物、本、飾り等)が置いてあるとしたら、それは両親のこの1年(または半年)の生活を示すサインであると同時に、「この話をして」というサインでもある。
両親が「この前、日光に行ってね~」と話し始めたら、とにかく興味を持って話を引き出そう。

 

また、パソコンや携帯に疎い母親も、なぜか家電には強い。これは量販店で買ったものではなく、近所の電気屋で売りつけられたものだが、意外にハイテクな炊飯器や電器ポットを買わされている。母親は電気屋の親父の売り口上をそのまま伝えてくるので、これも謙虚に拝聴しよう。

 

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2 親戚や近所の中に嫌われ者を一人設定しておく。

 

母親といえども世間話、噂話好きのおばちゃん。

 

そこで「あのおばさん、相変わらず?」などと話を振れば、自分の子どもがそういう話を理解してくれるほど大人になったという嬉しさと同時に、自分の井戸端会議欲求を充足できる、一挙両得のプレイとなる。

 

親孝行プレイその3 妻活用法

 

みうら氏曰く、母親は息子の妻に対し「最愛の人を愛人にくれてやった」という感情を持っているらしい。母親にとって、息子は一生の恋人なのである。

 

よって妻がとるべき行動は、「徹底的に夫にかしずく」「夫をとにかく褒める」ことである。

 

これはあくまで“プレイ”である。

 

実際はカカア天下でも、「夫の実家では殿様プレイ」。これが両親を喜ばせるテクニックである。

 

母親は亭主関白している息子と、それにかしずく嫁を見たがり、父親はそれを見て「いい嫁をもらったな」と感心するのである。(当然、妻の実家に行ったときには「お姫様プレイ」が求められる。)

 

が、常に自然体を旨とする女性は、あまり歯の浮くようなセリフや演技は得意ではない。

 

そこでみうら氏は親孝行プレイのギャラとして、夫の実家に赴く妻に2万円のギャラを支払うことを勧めている。

 

「夫婦なのに金銭なんて・・・」と思うかもしれないが、親孝行をあくまで「プレイ」と捉え、妻をアシスタントとして両親にサービスを提供するものと考えれば、これぐらいの出費は妥当と言えるかもしれない。
 
この2万円という金額は「少し足して新しいコートでも・・・」と思える金額だそうで、確かに毎回これぐらいの報酬をもらえるなら、妻も夫の実家へ行くことへのストレスがなくなるかもしれない。

 

親孝行プレイその5 父親にも花束を

 

父親への親孝行と母親への親孝行は、まったく別の要素が含まれているので、別々に行なわなければならない。つまり、父親には父親なりの親孝行の仕方があるらしい。簡単にまとめると

 

1 父親と2人きりになる

 

なかなか作りにくいシチュエーションだが、とりあえず実家に帰り、母親が料理をし始めたら嫁は台所に手伝いに向かう。これは男尊女卑の思想ではなく、父と息子を2人きりにするためと嫁は割り切ってもらいたい。

 

2 父との話題

 

昭和30年代生まれの父親なら「プロレス、巨人、ウエスタン」のどれかには触れているはずである。また、父親が関心がありそうな話題(全共闘松本清張浅間山荘事件、家庭菜園等)をさりげなく予習しておく。
 
 父親とのトークの最終地点は「エロ」であるという。父とエロい話ができる関係が築ければこれ以上のことはないのだが、これに関しては筆者のみうら氏も研究中とのこと。

 

3 父親へのギフト

 

 大原則は「父親に年を取ったことを感じさせるな」ということである。

 

すでに定年し、体も小さくなった父親に対し、ついマッサージ器や電気毛布などを贈りたい気持ちはわかる。その気遣いは嬉しいものの、父親の気持ちは複雑であろう。

 

プレゼントとはその人にとって必要なものを贈るものではない。そんなものは必要なら自分で買う。

 

プレゼントは、本人は絶対に買わない。だが、もらってちょっと嬉しいものを選ぶべきだとみうら氏は言う。

 

「父は枯れた」というのは息子の勝手な思い込みで、本人は全く自覚していないことも多い。
だから父親にはいつまでも「ダンディなもの」を贈り続けなければならないのである。

 

そこでみうら氏は父親に贈るギフトとして「ヤクザファッション」を提唱している。
ベルサーチや金のブレスレットなどは否がおうにも「現役感」を醸し出す。

 

「ちょっと派手かな」というぐらいのヤクザファッションを着せて、同窓会などに送り出してみよう。
恥ずかしげに家を出た父が「みんなしみったれてたなあ」「俺が一番若かったぞ」と胸を張って帰ってくるだろう。

 

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4 親孝行寿司

 

 母親という種族は主に「居間」を縄張りとするため、母親に対する親孝行プレイは居間で行なわれるのがベストであるが、父親は違う。

 

父親は状況が変わらないとしゃべることもおぼつかない人種なのだ。父親は「家の顔」よりも「外の顔」の方に誇りを持っており、成人した息子にはそちらを見せたいものである。

 

その一番適切なシチュエーションが、父親が行きつけのすし屋である。
また、そのすし屋の大将が、父親となじみの人で、控えめ且つ渋い人ならなおさら良い。

 

父は成人した息子に寿司をおごる誇らしさ、すし屋の大将の前で父親面できる高揚感に包まれ、最高の親孝行となる。

 

その際には、息子は徹底して若者ぶることが必要である。父親というものはいつまでも息子が自分の舎弟でいてほしいと思うものである。よって「父親>すし屋の大将>息子」という関係を崩してはならない。

 

なんなら「父とすし屋の大将の連合軍に笑いながらお説教される、若輩ながら素直な息子」なんていうシチュエーションも非常においしい。



親孝行プレイその8 友活用法

 

みうら氏は親友のいとうせいこう氏とともに、お互いの親孝行旅行に同席したことがあるそうだ。

 

そして「友は、妻や息子以上に重要なポジションを占める」ということを発見したそうである。

 

親子というのは、さすがに話題に尽きていて会話が弾まないことも多い。大人になればなおさらである。

 

その中に一人、「友」が入るだけで、父親はとたんに家庭での無口な父親から饒舌な接待係となり、息子そっちのけで友と酒を交し合い、母親は陽気に息子の子どもの頃の話を始める。

 

この時、友は終始「息子さんはすごいですよ!がんばってますよ!」と持ち上げることが望まれるが、それを意識しなくても、友と父は意外に話が合うものだと、いとうせいこう氏は言う。

 

事実、みうら氏の父といとう氏、いとう氏の父とみうら氏は共通の趣味を持っていたという。

 

これは偶然ではない。息子は知らないうちに自分の父親と同じタイプの人を友だちに選んでいるのである。

 

「親友」とは「親」の「友」と書くのは偶然ではないのかもしれない。

 

親孝行プレイその9 オカンはいつまでも恋人気分

 

これは関東と関西では違うらしいのだが、関西の母親、いわゆる「オカン」というのは関東の人間にはわからない特殊な性質を持つという。

 

友だちが家に遊びにくれば平然と話の輪に加わり、息子の部屋を勝手に掃除してはエロ本をあさる。
息子のプライベートにずかずかと踏み込んでは「親子やないの!」の一言で収めてしまう。

 

思春期に入り、人は反抗期を迎える。この時期の反抗とは、主に学校の規則だったり、親の指示に対してだったりと、まったく軸のないかわいらしいものであるが、オカンはそれすら飲み込んでしまうという。

 

みうら氏がロックに目覚め、作詞作曲を始めればその歌を覚えて鼻歌にしてしまい、みうら氏が親を怒らせようと女装やボンデージファッションで帰省すれば「あんたよう似合うなあ。あたしそっくりや」と感心してしまう。

 

バレンタインディーには必ずチョコを渡し、バーゲンになると微妙なセンスの服を買ってきて息子に与える。
が、他の女性にチョコをもらえず、私服もほとんどもっていない息子はそれを受け入れざるを得ないのである。

 

オカンに対してはすべてをあきらめる覚悟が必要なのである。

 

おかんは息子が結婚しても「息子を盗られた」とは考えず、「愛人にくれてやった」と考える。だから離れてくらしても恋人気分は一向に冷めないのである。

 

もう一度言う。

 

オカンに対してはすべてをあきらめる覚悟が必要である。

 

初めて抱きついた女、初めて手をつないだ女、初めて胸を触った女、初めてキスをした女
初めて男性器を洗ってくれた女、初めて泣かせた女

 

それが全て母親だったという事実を思い出せば、幼少期の母親との関係を上回るラブラブ期はないのである。

 

こうした達観を自分のものにすることが、”親孝行プレイ“の真髄であると言える。

 

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以上、要約なのかコピーなのかわからないことを書いてしまったが、

 

みうらじゅん著『親孝行プレイ』(角川文庫)

 

これは「そろそろ親孝行でも」と考える諸氏必読の書である。