僕は37歳の独身のおっさんである。
仕事以外の時間は自由に使えるし、お金も多くはないが自由に使える。
正直、まだ結婚もしてないので子供っぽさが抜けていない面もあるし、考えることは自分の事ばかり。
社会的な責任感を感じて生活しているわけもない。
なんとも気楽なおっちゃんである。
が、そんな僕でも”子供の視線”というものは気になるもので、
普段は無視しちゃうような歩行者用の信号も、向こうに子供が立っていたりするとしっかり守っていたりする。
やはり大人として「子供に悪いところを見せられん!」という気持ちがあるのかもしれない。
ここらへんは自分でもなかなか偉いと思う。
大人は子供の鑑である。
だから子供が悪いことを覚えないためにも、
子供が見てる前ではゴミのポイ捨てもするべきじゃないし、電車で携帯電話の通話もするべきじゃない。
イチャイチャするのも良くないし、酔っ払う姿もみっともない。
大人として、子供に恥ずかしいところを見せるべきではないし、むしろ「大人ってカッコイイ!」と思われたい。
子供もいないくせに、そんなことを思っていたりする。

しかし、最近、ちょっと「恥ずかしい大人」は確実に増えている。
先日、近所のいなげやに買い物に行ったときのことだ。
日曜の昼下がりで、気温36度のとんでもなく暑い日だった。
家から5分ほどの距離を歩いただけで、汗だくになるような、そんなとんでもない暑さ
歩くスピードも自然に重くなり、なんだが背中に浴びる太陽の熱が重く感じる。
だからこそ、その後にスーパーの店内に入った時のさわやかさといったらなかった。
オアシスだと思ったな。
いつものように、野菜コーナーを冷静に眺め、肉・魚コーナーでちょっと熱くなり、お総菜コーナーで熱狂、結局お弁当とお総菜、そして明日の朝食用のパンを買ってレジに並んだ。
うちの近所のいなげやは、このエコ全盛ブームの中、気前よくビニールをくれるのだが、若い兄ちゃんがレジを打っている時は要注意。
ビニールを一枚しかくれないのだ。
確かに1枚で十分なんだけど、なんだか損をした気がする。
そこでいつものおばちゃんのレジに並んでお会計をし、袋詰めの台へとかごを運んだ。

するとそこに、片尻を袋詰めの台(テーブル)に乗っけたまま、カップのアイスを食べるじいさんがいた。
左手にみぞれかき氷アイス。右手に木のスプーン。そしてじいさんの横には細いサイダーの缶(50円)さえあった。
なんなんだろう?このじいさんは?
推定70歳。Tシャツ、短パン、白いソックスに運動靴。
そしてこちらをじろりと睨むような視線で、
それでいて、依然、片ケツをテーブルに載せてアイスを食べている。
石原裕次郎なのか?
なに故にこんなところでアイスを食べているのだろうか?
幸い、それほど客はいなかったので、じいさんが邪魔になることはない。
が、なんとも目障りだ。
テーブルの上に尻を乗っける行為は、僕も子供の頃、よく親に怒られたものだ。
「そこは座る場所じゃない!ものを置く場所だ!」なんて言われたのを覚えている。
が、70歳のじいさんが、堂々とスーパーのテーブルに尻を乗っけちゃってるのである。
しかも、アイスまで食べて。
アイスはうちへ帰ってから食べたらどうなんだ?
さらにさらにサイダーとアイスの大人買い。
子供の頃、親に「おなかを壊すからどちらかにしなさい!」と言われなかったのだろうか?
それともその反動だろうか。
それにしてもみっともない。
おそらくこのじいさん。散歩に出たはいいが、あまりの暑さに、冷たいものを求めてスーパーに入った。
そこでサイダーをアイスを買ったが、家まで行くと溶けてしまう。
かといって外で食べるのは暑い。
「よ~し、客も少ないし、涼しいから店内で食べちゃえ!座る場所がないから、ここに腰掛けちゃえ」
って感じで今の状態にいたるのだろう。
が、しかし・・・・・みっともないじいさんであった。
大人として

そして別のある日。
車内は割りとすいていて、僕の隣りの若い兄ちゃん達は携帯や、ゲームなどを黙々とこなし
お姉ちゃんたちは雑誌を読んだり、これまた携帯の画面を見つめたり・・・
サラリーマンはぐったりと居眠りをし、僕は韓国語の単語帳をめくっていたりした。
が、目の前の座席にいたジジ・ババ・ジジ・ババの4人の老人は、車内中に響くような声で下品な会話をしていた。
向かって左側の爺婆が70代の夫婦、向かって右側の爺婆が60代の夫婦
70代の方の夫婦はあまつさえ手を握り合っている。
これだけ見れば、なんとも微笑ましいと思うかもしれないが、
特に70代夫婦の女と、60代夫婦の男が、実に大きな声で痴話話を繰り出していた。
70女「あんたねぇ!こんなきれいな奥さんがいるんだからもっとがんばんなきゃ」
60男「おりゃがんばってるよ。あんたたちと違うんだよ。あんた達がすごすぎるんだ。天津さん(70男)だって大変だよなあ!」
70女「いいのよ、うちは!お父さんが好きだから!」
60男「あんたが好きなんじゃないの?」
70女「そんなことないわよ!普通よ!」
60男「週に3回が普通かよ!」
70女「普通よねぇ?(60女に問いかける)」
60男「うちの母ちゃんに変なこと教えるなよ!」
70女「なあによ。あんた。こんなかわいい奥さんいながらねぇ!」
確かに電車の音は静かではないし、耳も遠いのかもしれない。
しかし、車内の若い男性、若い女性、中年男性、中年女性がみな、聞き耳を立てながら
「こんなとこでそんな話してんじゃねーよ!」と舌打ちをしていた。
「そんなの居酒屋で話せ」って感じである。
若いカップルの痴話話もまた、電車内では困る代物だが、
老いらくの痴話話もまた厄介だ。
そういう話は電車の中でするものじゃないと、親に教わらなかったのだろうか?
公共の場所で、大声で話したら回りの迷惑になるって、子どもに教えなかったのだろうか?
若い世代の人に、一斉に非難される爺・婆って・・・・なんか嫌だ

確かに年寄りというのは損だ。
「年よりは弱いもの、大切にされるべきもの」
一応、そんな取り扱いをされてしまううちはまだいいが、さらに
「清廉潔癖。人生経験があり、知徳があり、慈愛に満ち、謙虚で愛される存在」みたいな勝手なレッテルを貼られては、結構なプレッシャー、ストレスになろうもの。
少なくとも僕があと50年生きたところで、そんなに教養がつくわけでも徳がつくわけでもないし
未来の担う若い世代を応援するような丸い爺さんになるとは考えにくい。
僕は戦争体験もなければ、高度経済成長も経験していない。
なんとも緩く年を重ねてきてしまい、これからもそれを続けていくことは間違いない。
だから、「ジジババなんだから、若者の見本になれ!」「ジジババがルール、マナーを破るな!」「ジジババのくせに下ネタを言うな!」というのも理不尽な話だ。
が、それでも「ミッキーマウスは背中のチャックを見せるな!」というぐらい理不尽に
「爺婆は若者が抱くイメージを壊すな!」ということを求めてしまう。
人間とは罪深いものだ

それにしても、僕はジジイになったら女子高生に興味を持たなくなるんだろうか・・・・
いろんな意味で、老後が心配だ・・・