俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

2011年のAKB48

今年もAKB48に振り回された1年だった。

といっても、CDを買いあさって貯金がなくなったとか、

推しメンが選抜メンバーになれなくて泣きじゃくったとか、

メンバーになろうと難波、博多、ジャカルタまでオーディションを受けて落ちまくったとか、

そんなことではない。

むしろその逆

”アンチ”として心乱された、ということだ。


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AKBのシングルがまた100万枚突破と聞けば握り拳の中で爪が突き刺さり、

AKBのメンバーがCM契約数トップ10のうち、7人入ったと聞けば夜の校舎窓ガラスを壊して回り、

AKBがYahoo!検索ランキング女性芸能人部門のトップと聞けば、道に倒れて誰かの名を呼び続けた。


オリコンランキングの年間ランキングでAKBの曲がトップ5を独占したと聞けば、何でもないようなことが幸せだと思ったし

AKBが世界進出を図ろうという芸能ニュースを聞けば、会いたくて会いたくて震えてしまった。


「そんなに嫌なら見なきゃいいのに」と嫁に飽きられつつ

なんとなく見てしまう。

そこがアンチの悲しさ。

「そんなにバカにするなら相手にしなきゃいいのに」と嫁にぼやかれつつ

いちいち丁寧に反応してみせる。

それがアンチのはかなさ。


もうテレビの芸能ニュースも、ネットの芸能記事も、一通りチェックし、一通りケチをつけ、一通り腹を立てていつまでもネチネチと批判をしつつ、また次のAKBニュースを探している。

「口パク」「歌下手」「ぶさいく」「CD付き握手券」「AKB商法が日本の音楽をダメにする」「本物の歌手に失礼」「2~3年後にはいなくなる」「整形」「顔面センター」「素人集団」

そんなこと、一度言えばわかるのに

AKBのニュースを聞くたびに何度も何度も繰り返し繰り返しそんな言葉を浴びせかけている

それがアンチの悲しい性

本当に心をかき乱された2011年だった。

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そして来年も今年と同じことが繰り返され、「AKBばかりが売れるなんて・・・本物の歌が世に出にくくなるなんて・・・まったく嫌な世の中になったものだ」と嘆く日が続くのだろう。

僕は1973年生まれなので、アイドルもPOPSもロックも、ニューミュージックも元気だった”黄金の80年代”の音楽を聴いている。

だからこそ心の中で、”子供みたいなアイドルグループしか知らない今の若い奴らはかわいそうだね~”なんて上から目線で蔑むことができる。

AKBで盛り上がってる奴らを尻目に、遠巻きに「ふん。ま、せいぜい低俗な音楽で群がってな」なんて強がりを言うことができる。

この国の音楽はもう終わった。



AKBのプロデューサー秋元康は日本の音楽を壊した一因の一人だ。

日本の音楽の多様性を壊し、オリコンランキングの信頼性を壊し、過去の名曲を侮辱し、伝説の歌手達の記録に泥を塗った。


しかしある時、秋元康はこんなことを言っていた。

「K-POPをプロ野球だとするなら、AKBは草野球。高校野球にも満たないかもしれない。ただしK-POPが完成されたものを客に見せるのだとしたら、日本のアイドルは成長の過程をファンに見せるものだ。ファンがアイドルを育てるのだ」


悔しいが、そのコンセプトは正しい。

日本人の特性を見事についている。

日本人の判官びいきロリコン文化、父性、オタク性

そういったものを見事にとらえている。


歌が下手なのも、見た目が素人っぽいのも、すべて秋元が計算して出した「未完成品」だとするならば

AKB批判はすべて秋元の狙い通り

アンチは秋元の手のひらで踊らされていることになる。

秋元はショービジネスで成功したのだ。

秋元とは別の、ビジネスモデルを提示できなければ

AKB批判は「負け犬の遠吠え」にすぎない。

AKBの話題性を広げるだけなのである。



それにしても・・・・来年は僕も39歳のおっさん

ABKごときに惑わされない生活を営みたいものだ・・・

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