俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

床屋の婆さん

それは去年の暮れのこと。

僕は新年をすっきりとした気持ちで迎えるべく、お気に入りの床屋で髪を切ることにした。

この床屋はカットとカラーで4000円。しかも割引券200円をいつも配っていて、いつも3800円で男前になれる。

割安な上に、カット台も4台あるということで、いつも客でにぎわっている。

土日ともなると朝10時の開店と同時に人がなだれ込み、行列とまではいかないが、常時3~5人は店内でカットを待つことになる。

僕も年末ということで20分待たされたが、比較的スムーズにカットをしてもらえた。

カットが終わり、白髪を栗色に染めてもらうと、30分ほど時間をおかなければならない。

僕は髪にサランラップを巻いたまま、待合い座席で『ビーバップハイスクール』などを読みながら暇をつぶしていると、一人の老婆が床屋のドアを開けた。

「あら!男の人ばっかり!すみません、ここは男性専用ですか?」

と老婆が言うと、店の人は少しびっくりしながらも「いえ、女性でも大丈夫ですよ」と優しく声をかけた。

老婆は「あの~、顔だけ剃ってもらいたいんですけど」と言いながら、弱々しい足取りで店内に歩を進めた。

そういえば、昔通っていたオシャレ床屋にも婆さんの常連客がいたなあ。

その床屋には床屋の世界大会にも出場したという若い女性の理容師や、おばさん理容師もいたので、妙齢の女性も1割ぐらいはいたな。

だから婆さんが床屋に来てもおかしくはない。

そもそも顔そりは美容院ではできないし。

そう思って、特に気にもせずに「ビーバップハイスクールに集中していると、3つ隣の席に座った婆さんのちょっと大きな話し声が聞こえてきた。

婆さんは耳が遠いので声が大きい。ましてや寡黙な男たちの社交場である床屋で、婆さんの話し声はかなり響く。

髪を切っている客も、理容師も、「なんだ?なんだ?」と思いながらチラ見しつつ、注意もできず聞き耳を立てていた。

「今ね、床屋に来てるの。顔を剃ってもらうのよ」

「すぐ終わるからね。おとなしくしててね」

僕は婆さんの隣の隣に座っていたので婆さんの姿は見えなかった。

最初、婆さんは携帯電話で誰かと話しているのだと思っていた。

が、理容師が不審そうに婆さんのほうをチラチラ見ている。

どうも独り言を言っているようなのだ。

「むむむ・・・不気味な婆さんだ。あんまり関わらないほうがいいな。目が合わないようにしよう・・・」

すると一人の客のカットが終わり、婆さんの番になった。

婆さんは「は~い」と病院の受付で呼ばれたような返事をすると、次の瞬間、耳を疑うような言葉を放った。

「お人形さんと一緒でもいいですか?」

目が点になった理容師は

「あ、あの、できればそこに置いてもらったほうが・・・」

しかし婆さんは懇願するように

「でも一人にすると寂しがるんです。」

床屋の中にいる婆さん以外の全員が凍り付いた。

「(き、キ○ガイ?・・・・)」

しかし、人気の床屋さんの理容師は大したものである。

数秒後には「あ、じゃあ、それでしたら鏡の前に置いてもらって・・・」と別のアイディアを提案した。

確かに人形を手に持ってだと人形が毛だらけになるし、

人形を抱いたままだと、人形がビニールシートの中に入って可哀想だ。

結局鏡の前の、人形が見える位置に置いておくのがいいだろう。

婆さんは人形を渋々 理容師に預けるとたいそう難儀そうに床屋のイスに腰掛けた。

そして念を押すように「顔だけ剃ってもらえればいいですから・・・」と繰り返した。


それにしても、この婆さん、何者なんだろう。

怖いもの見たさでいろいろ聞いてみたい気もする。

もしかしたら戦争で子供をなくし、人形を本当の子供だと思いこんで信じちゃっているのか、

変な宗教に入ってしまったため、家族から愛想をつかされ、一人で寂しくなって頭がおかしくなったか、

ボケてしまった「幼児返り」みたいな行動を起こしているのか?

なんか子供の頃、テレビでこんな婆さんの話を聞いた気がする。

「娘がしゃべらなくなった!」とか言って人形を病院に連れていったりするんだよな。怖ぁ~~。

しかし怖いもの見たさでいろいろ聞いてみたくもある。

そんな僕の気持ちが伝わったのか、若い理容師は次々と核心に迫る質問を繰り出すのであった。

理容師「かわいい・・・お子さんですね~」

婆さん「はい?お人形さんですけど」

理容師「あ、はは。そうでしたね。あの・・・しゃべるんですか?」

婆さん「ええ、私が話しかけると返事をするんですよ。」

(僕の心の声)ああ、やっぱり・・・・

理容師「あの、僕が話しかけても大丈夫ですか?」

婆さん「あ、ボタンを押さないとダメ」

(心の声)フツーやん!

理容師「そ、そうですね。あのお名前はあるんですか?」

婆さん「みぃちゃんって言うんですよ」

理容師「そうですか。かわいいですね。あの、それはお孫さんのお名前と同じ、とか?」

婆さん「い~え~。孫は祐樹っていうの。この前4つになったわ」

理容師「あ、はは。そうですか。その~、なかなか会えないんですか?寂しいですもんね~」

婆さん「え?祐ちゃんはうちの隣に住んでるの」

理容師が心の中でずっこけ続けているのが手に取るようにわかる。

かくいう僕もさっきから「ふつうやん!」と突っ込みっぱなしだ。

理容師「このお人形、高いんですか?」

婆さん「さぁ~。もらったものだから・・・」

理容師「は、ああ、そうですか・・・・あの、でも大事なお人形さんなんでしょうねぇ」

婆さん「まあ、そうですね」

理容師「いつも一緒なんですか?」

婆さん「まあ、出かけるときはふつう置いて行くけど・・・」



その後、なぜは婆さんは不機嫌になり、理容師の愛想笑いだけが店内にむなしく響くのであった。

だって・・・いたって普通のばあさんだったんだもの。

婆さんや、あんたが答えるべき回答はこうだよ。


理容師「かわいい・・・お人形さんですね~」

婆さん「いえ、娘です」

理容師「あ、はは。そうでしたね。あの・・・しゃべるんですか?」

婆さん「もちろんですよ!いつも私とおしゃべりしてるんです。」

理容師「あの、僕が話しかけても大丈夫ですか?」

婆さん「この子は恥ずかしがり屋だから、私以外とは話さないんですよ」

理容師「そ、そうですね。あのお名前はあるんですか?」

婆さん「みぃちゃんって言うんですよ」

理容師「そうですか。かわいいですね。あの、それはお孫さんのお名前と同じ、とか?」

婆さん「私に孫はいません。娘のみいちゃんだけです」

理容師「あ、はは。そうですか。その~、このお人形、高いんですか?」

婆さん「お人形じゃありません!娘になんて失礼な!」

理容師「す、すみません。あ、あの、いつも一緒なんですか?」

婆さん「もちろんですよ。親子なんですから!」



でもこんなテレビに投稿されるようなおかしな人って、僕の周りにはなかなかいないものだ。

いればテレビで採用されて3万円、とか小遣い稼ぎになりそうなのに。

ま、勝手に「キチガイ婆さん」だって期待した僕が悪いんですけど・・・