以前、鴻上尚史さんの舞台で「管理者がいなくなったブログはどうなるのだろう?」ということを役者さんたちが話すシーンがあった。
有名人も一般人もネット上に自分のつぶやきやらコメント、日記やらネタやらを発表することができる現在、無数の言葉がネット上を浮遊している。
が、仮に管理者が亡くなったとしても、有名人でもない限りはそのことを知ることは稀だ。
Facebookなどは一応は実名登録なので、わかるかもしれないが、多くの日本人は実名登録を嫌うので、
ネット上には生きてるのかも死んでいるのかもわからない人が書いた記事が浮遊していると言える。
実は僕のブログもそんな感じ。
実際に面識のある友達で、このブログの存在を知っているのは3人ほどで、その3人ですらごくたまにしかチェックしてくれない。
当然、僕が死んだことをわざわざYahoo!Japanに知らせてくれる人もいなければ、このブログを続けてくれる人もいない。
その結果、僕の死後も生前の僕が書いたくだらない記事がネット上を浮遊することになる。
んで、たとえばワード検索でこのブログにたどり着いた人が僕の書いたものを読んで
「剛力彩芽ちゃんの悪口を言うなんて信じられない!謝ってよ!記事を訂正してよ!」とか、
「指原梨乃ちゃんをけなすやつは許すまじ!家に火をつけてやんよ!ぶっ殺していやる!」なんて書いてきても
当の本人はとっくにあの世に行っている、なんてことも起こりうる。
なかには
「お久しぶりです!元気ですか?久しぶりにこのブログを見に来ました。元気そうで何よりです!」
なんて書いてくる人もいたりして・・・
でも死んだあとでは「元気じゃねーっつーのっ!」「死んでるっつーの!」なんて突っ込みコメントを入れることもできない。
相手が死んでるとも知らずに、能天気にネット上で話しかけているなんて、想像すると結構気持ち悪い。
もう何年も放置されているブログなんて、「この人、もう死んでるんじゃないか?」と考えたほうがいいかもしれない・・・。
ま、考えようによっては自分が死んだあとも、自分が残してきたものを見てもらえるのは嬉しいことなのかもしれない。
が、僕が書いてきたことってのは本当にくだらなくて
「うんこを我慢して会社に行った話」だの、できれば消してなくしたいくらいの記事ばかりなのだ。
ま、僕は死ぬ直前に自分で読み返して「俺の人生、くだらなかったな・・・・でも面白れぇ」と思うためだけに残しているので、死んだあとはこのブログも閉鎖してもらって構わないのだが
少なくともまだ死ぬ予定はない。
この2か月更新を滞っていたのは単に忙しかったからだ。
またこれからもほそぼそと書き綴っていこうと思う。
それもくだらないことばかりを。