最近、苦手なものがある。
それは”電車の中の高校生”
神はなぜこの世に”電車の中の高校生”というものをお作りになったのか。
”電車の中の高校生”はこの世に必要なものなのだろうか。
僕がそう思うようになったのは、わりと最近のことだ。
電車内でのマナーが悪いのは高校生に限ったことではない。
耳障りなイヤフォンの音漏れや、目障りな携帯ゲームの指の動き、同じく目障りな(制服の)着こなしなどは、別に高校生に限ったことではない。
僕が高校生に限ってイヤなのは
「群れる習性」と「バッグを床に置く習性」だ。
ある日、僕は日曜の午前中から電車に乗っていた。
日曜の朝とはいえ、座席は割と埋まっていたので、僕はドアのすぐ横に寄りかかりながら、韓国語なんぞを勉強していた。
すると次の駅でドアが開き、総勢14名の女子高生が電車に乗り込んできたのである。
この女子高生、おそらく部活仲間と見られ、わりかし真面目な身なり、上下関係もしっかりしてるようだった。
しかし、彼女らは電車に入ると奥には詰めず、ドアの入り口付近で大きな円を作るように立ち始めたのだ。
まずこれだけでも他の乗客の乗り降りの邪魔になること甚だしい。
が、それ以上に、ドアの真横に立っていた俺は、女子高生の輪とドアと手すりに挟まれ、軟禁状態にされてしまったのである。
女子高生の輪の中では楽しそうな会話が続いている。
が、その背後で僕は、女子高生を背後から舐めるように見つめる変質者のようなポジションに追いやられていたのである。
車内の他の場所は意外にゆとりがある。
僕がこの位置にいるのはどうみても不自然だ。
が、女子高生の大きな輪とドアの間でどうにも身動きがとれず、僕はひたすら女子高生に触れないように縮こまっているしかなかったのである。
なんなのだろう?
なぜ一つの円になる必要があるのだろう?
1年生は奥に詰めたらよいではないか。
どうせ先輩の顔など見たくはないのだろうし。
またこれが男子高校生となるとさらにムサ臭さと、騒がしさ、バッグのでかさが加わる。
そしてでかいバッグを持っている奴ほど、群をなしてろい、ムサくてうるさいのである。
あれはなんなんだろう?
そういう習性なのだろうか?
またある時は、こんなことがあった。
夜8時ぐらいの、帰りのラッシュ時である。
新宿から中央線に乗った僕は、後ろから強烈な圧力に合い、前後の客にサンドされた。
上半身がさらに「ぐいっ」と前に押されたので僕は前のめりになった。
そこで足を前に出そうと思ったのだが、どうにも足が前に出せない。
おかしいと思って足下を見ると、俺の目の前に立っていたちびっこ高校生が、高校指定のスポーツバッグを床に置いていたのである。
いつも思うのだが、なぜ高校生はあのかばんを床に置くのだろう。
あれがどんだけ邪魔な代物かわからないのだろうか?
もっともやっかいなのは運動部の奴らで、奴らはそれぞれバカでかい荷物を床に置き、足に挟む。
なぜ棚の上に置かないのか?
とうか、高校生はラッシュ時に乗ってはいけないというルールを作ってくれまいか。
さて、僕は仕方なくそのちびっこ高校生のバッグを踏まないようにバランスをとっていた(今、思えば踏んでおけばよかった)のだが、電車が中野駅につくと、後ろから降りようとする客に押され、高校生の後頭部にエルボーを入れていた。
後ろからの客は「降りなければ」と乗客をかきわけ、ドアに向かって前に進もうとしたのだが、「降ります!」と言って上半身を前に出した途端、「バタン!」とものの見事に倒れたのである。
なんと、高校生のバッグに足を引っかけて倒れてしまったのだ。
しかしそのおじさま「まずは降りなければ」という使命感が強かったのだろう。
すくっと立ち上がり、電車を降りた。そして自分は何に引っかかったのか、確かめるように振り向いた。
おそらく満員の乗客で見えなかったであろうが、僕の目の前の高校生は一瞬目をそらしたのを僕は見逃さなかった。
この満員電車でかばんを床においておけば、だれかがつまづくのは容易に予想できる。
しかし、高校生は計画性も、危機管理能力もない。
その高校生はかばんを蹴られに蹴られながらも、なんとか目的の駅に着いた。
そこはたいへん多くの乗客が降りる駅だったが、ドアが開いた瞬間、一度にたくさんの人が降りようとするために、かえって降りるのに時間がかかることで有名だった。
案の定、ドアが開いた瞬間、一度に10人ぐらいがドアから体を出そうとして引っかかり、それを知らない奥の乗客がさらに「降ります!」と後ろから押しにかかる。
そんなに急がなくても、ちゃんと降りられるのに、なにゆえに人はあんなにあせるのか。
ふとちびっこ高校生のほうを見ると、後ろから体を押されてしまい、床に置いたバッグがとれずに困っていた。
「うけけけけ。ざまあみさらせ!」と思って見ていると、何を思ったかこのちびっこ高校生は、床に置いたバッグを置いたまま、それを蹴って降りようと試みたのである。
しかし、そんなことがうまく行くはずもなく、高校生は後ろから客に押された拍子に自分のバッグにつまづき、これまたものの見事に前のめりに倒れたのである。
一瞬、「あっ!」「大丈夫か?」という周りの人の気遣いの雰囲気が流れた後、
降りる乗客の一人(中年サラリーマン)が
「床にバッグを置いてるからだ!」とこれ見よがしに一喝したのである。
そして中年サラリーマンはそのまま振り返りもせずに電車を降り、
ちびっこ高校生も特に反応するわけでもなく、そのおじさんに続くように電車を降りたのである。
僕は「あ~あ、可哀想に」という気持ちと「まあ、言われて当然だよな」という気持ちが交錯していた。
おそらく一喝した中年サラリーマンもずっと前から
「なんだあの高校生!床にバッグなんか置きやがって。邪魔くさい!危なねーじゃねーか!」
と思っていたのである。
で、案の定、危ない目にあったので思わず一喝してしまったのだろう。
高校生よ、おまえが悪い。
自分で転ぶだけならまだしも、それで転んだ人がけがでもしたらどうする。
しかし、高校生は未だに電車に乗ると床にバッグを置き、足に挟むのをやめない。
やつらのかばんはそんなに、持てないほど重いのか?
広辞苑でも入っているのか?
ほとんどの学生が部活をしていた時代じゃあるまいし、大した荷物もない高校生にあんなスポーツバッグは要らないと思うのだが。
鉄道会社各社は「高校生の集団電車登下校の禁止」「電車のゆかにバッグを置くことの禁止」措置を取るべきである。
高校の教師は自分たちの生徒が電車の中で固まらないように、床にバッグをおかないように、生活指導の先生を電車の中に置いておくか、指定のバッグをビジネス鞄並の大きさにすべきである。(もしくはスクールバスを用意しろ。)
高校生が電車の中にいなかったら、今の通勤地獄も1割ぐらいは楽になるような気がする。