俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

卒業ソング…

僕はもう高校を卒業して20年以上経つのだけれど、

やっぱり卒業シーズンと聞くと、いろいろと物思うことがある。


で、よく「卒業式に聞きたい歌ランキング」なんてのも毎年発表しているのだが、

ここ数年のランキングを見るとげんなりしてしまう。

げんなりの理由は、僕が知らない曲がいっぱいランキングに入っていることだ。

最近ではEXILEの「道」、レミオロメンの「3月9日」が定番なのだそうである。


僕はもうおじさんなので、レミオロメンの「3月9日」という曲などはどうしても受け入れられない。

なにがいい曲なのかさっぱりわからない。

特に、サビの最後の最後、一番盛り上がらなきゃならないって時にトーンが下がるのが納得できないのだ

「ああ、最後の最後、シャウトで終わってくれたら、少しは好きになれたのに・・・」


が、僕がここで何を言おうが、この「3月9日」という曲は卒業ソングとして10年は安泰だろう。

2005年~2015年あたりに卒業を迎える人にとっては「卒業ソングと言えば”3月9日”」

ええ、結構です。

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ただ、「道」や「3月9日」だって、10年後には消えている。

また新しいアーティストの新しい名曲にとって変わられる。

ここ数年で卒業を迎えた人たちは

「は?何言ってんの?ずっと残るに決まってんじゃん!」と思うだろうが、おそらくそれは無理だ。

なぜなら、おじさんたちも20年前はそう思っていたのだ。

おじさん世代の「定番卒業ソング」は未来永劫残ると思っていたのだ。


ちなみに、僕は小学校の卒業が1985年、中学の卒業が1988年、高校の卒業が1991年である。

だから荒井由美の「卒業写真」はちょっと早く、松任谷由美の「春よ来い」はやや遅い。

卒業式で「仰げば尊し」とか「蛍の光」が流れていた最後のほうの世代だと思う。
(「贈る言葉」は歌謡曲なのでまだ式典では流れなかった…)

もちろん僕だって「仰げば尊し」を卒業ソングとして挙げるほどオヤジではない。

僕は80年代の”音楽全盛期”で育ったので、僕なりの卒業ソングを今、思いつく限りあげてみると


斉藤由貴 「卒業」

A-JARI  「卒業」

菊地桃子 「卒業」

尾崎豊  「卒業」

おニャン子クラブ「じゃあね」

柏原芳恵 「春なのに」

H20「思い出がいっぱい」

といったところか?

中でも一番はやっぱり尾崎豊かな?

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僕は先生に逆らえない真面目な生徒だったので、間違っても尾崎の「卒業」の歌詞にあるように

「夜の校舎窓ガラス壊して回った」り、「ピンボールのハイスコア競い合った」りはしなかった。

が、ちょっと憧れていたりはした。

不良はモテたからね。


尾崎豊の「卒業」!

いいね!実にいい!

男くさくて、古くさくて、なんともいい!

時代だね。

いい時代だった。

だってなんだかんだ言って、当時のほとんどの学生は先生の言うことをよく聞いていたし

学校にもちゃんと通っていたのだ。

不良はいたけど、悪いことをすると先生にビンタされたり、先生を殴っちゃって後で泣きながら謝りに行ったりしたのだ。

で、卒業式には不良たちは生徒指導の先生のところにいって”お礼参り”をしたりして、意外にカワイイ存在だったのだ。

僕は真面目な生徒で、オールナイトニッポンを聞きながら受験勉強した気になっていたけど、

やはり大人や社会に疑問を持っていて、なんとなく窮屈な感じをいつも持っていた。

だから尾崎の「自由になりたくないかい!」「この支配からの卒業!」なんて言葉に単純にうなずいちゃったりしたのだ。

「人はだれも縛られたか弱き子羊ならば」「先生あなたはか弱き大人の”だいべんしゃ”なのか!」なんて尾崎が歌えば、

「そうだ!そうだ!大人は大便ばっかりしやがってウンコ野郎!」なんて思ったりした。

まあ、今思うと、当時の僕を縛り付けていたものは白いブリーフで、高校に入ってトランクスを履きはじめたとたん、ちんこが自由になりすぎて体育の着替えで友達に笑われたりもしたのだが

とにかく、僕の卒業ソングといえば、なんといっても尾崎なのである。

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で、話は戻って、僕がなんで現代の卒業ソングに共感できないかというと、

やはり僕の暗い学生時代が原因じゃないかと思うのだ。


僕は高校生の時に野球部を退部してしまったので、卒業時は帰宅部だった。

で、友達もあまりいなかったし、女の子ともあまり話したことがなかった。

大学も落ちて、浪人生活が始まることがわかっていたので、卒業前はまあ沈んでいたし、高校生活に楽しい思い出は皆無に近かった。

で、卒業式が終わると他の人は後輩の待つ部室に行ったり、友達と記念写真を撮ったりしていたのだが

僕はだれも相手にしてもらえず、一人そそくさと自転車に乗って家に帰ったのだった。

しかも僕はそれほど心が強くなかったので

なごりを惜しむように自転車をものすごくゆっくりこぎながら「あれ?俺の高校の最後って、こんな終わり方なの?」と思うと無性に寂しくなって、ちょっと泣いたりもしたのであった。




だからだろう

EXILEが「道」の中で「道、君と歩いた今日まで」「心、友、勇気、笑顔 嬉しすぎてあふれ出した涙が止まらない」と歌っても

レミオロメンが「3月9日」の中で「瞳を閉じればあなたが まぶたの裏にいることで どれほど強くなれたでしょう」と歌っても

ビタ一文共感できず、なんでこの歌が支持されているのかも理解できないのだ。



しかし、今の若い人たちが「友情」や「楽しい思い出」、「友や恋人への感謝」を歌った卒業ソングに惹かれるのは、むしろ社会にとって喜ばしいことなのかもしれない。

「だれでもいいから殺してみたかった」「学校に復讐したい」なんて考えるバカが減っていることだろうから。

でも尾崎なき今、

楽しい思い出がなく卒業していった生徒たちは何を歌って社会で出てくるのだろう?

ま、社会に出てくるかどうかもわからないけど。

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