俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

おくりびと

先日、映画「おくりびと」を観た。

以前、テレビでやっていたやつを録画しておいたのだが、そのまま観ていなかったので嫁と一緒に観たのだ。

僕は最初この映画を映画館ではなく飛行機の機内放送で観たのだが、「さすがに賞を獲っただけあって、なかなかよくできてる!」と感心したものだ。

ま、一度観ているということで、録画したものもすぐに観る気にはなれなかったのだが

観たらやっぱりすごかった・・・。


なにが一番すごかったって、この映画を一緒に観ていた嫁の反応だ。

もう、ものすごい号泣ぶりなのだ。

それこそ、声を上げてワンワン泣いているのだ。

確かに感動的な映画ではあるが、僕は映画を観てこれほど感情的に泣いている人を初めて見た。

僕のほうがオロオロしてしまった。

あまりに泣くので、HDDを静止して妻にティッシュを差し出すのだが、泣いても泣いても涙が止まらない。

妻は中学生の時に父親を亡くしているのだが、映画の中で葬儀場の火葬係・笹野さんの「死とは門だと思う。新しい旅立ちのために門をくぐるのだ」というような渋いセリフが妻の心にズボッと響いてしまったらしい。

おそるべし笹野高史

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で、若いころは映画を観ても泣くことなんて全くなかった僕であるが、最近は泣きっぱなし。

年を取ると知らないうちに経験が増えるため、映画やドラマでも共感をすることが多くなり、若い人よりも涙腺が緩くなる・・・・と『所さんの 目がテン』でやっていた。

私自身も昨年は祖父を亡くしたこともあり、やはり納棺のシーンなどは泣けてきたな。


が、僕が一つ気になったのは「この映画は本当に外国人にウケたのか?」ということだ。

むしろ、「日本人ってのは、どうしてああも感情を隠すんだ?肉親が死んだのに悲しくないのか?」と思われたのではないか、ということだ。

特に最後のシーン

小さい頃に家を出て行った父親の死を聞き、主人公の本木が悲しい再会を果たす。

欧米人だったらこれだけで号泣する場面だ。

が、日本人・本木は困惑した顔をするだけ。

次に父親の顔にかけられた布を外す。

欧米人だったら泣き崩れ、「Oh!MY GOD!」「Oh,DADDY!」と叫ぶところだが

日本人・本木は「情けないけど・・・覚えてないんだ・・・おやじの顔・・・」と拍子抜け

さらに父親の硬直した手をほぐしていると、手の平から石がポロリ。
この石は父親が家を出る前に主人公が渡したものだ。
小さいときにお互いの気持ちを交換し合うため、父親と石を交換し合ったことがあり、主人公が唯一覚えている父親との思い出でもあった。

ずっと恨み続けていた父親が、なんと自分が渡した石をずっと持っていてくれた。

欧米人なら絶叫をしながら泣きわめき、のたうちまわり、大暴れするような感動的なシーンだが

日本人・本木は「はっ」としただけ。その嫁・広末もにっこりするだけ。

欧米人は「WHY?なんで泣かないんだ?感動的なシーンだろ?日本人はサイボーグなのか?」と目を疑うだろう。

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そして最後に主人公は父親に死に化粧を施すため、父親のひげを剃ると、幼い頃の記憶が一気によみがえり、

今までぼやけていた父親の顔と完全に一致する。

欧米人なら「うぉ~~!」と泣き叫びながら父親にしがみつき、サンバやジルバを踊りだすところだが

日本人・本木は涙を一粒、二粒流しながらも、決して嗚咽はもらさず、死に化粧を続ける。


日本人には実にわかりやすい反応で、感情を表に出さないで泣くところが逆に観客の涙を誘うところなのだが・・・・

欧米人にはわかっていただけただろうか?


ちなみに僕の嫁は韓国人だが、喜怒哀楽は実にわかりやすい。

笑うときは腹を抱えて笑うし、泣くときは声を上げて泣く。怒るときは顔を膨らまして怒るし、うれしいときは歌を歌いながら踊る。

一方僕は日本人なので、泣くのも笑うのも怒るのも苦手だ。

基本、表情に出さず、言葉に出さず、態度に出さない。


だから嫁は僕が「眠いな~」と思っていると「怒ってるの?」と聞き、

「腹減ったな~」と思ってると「なにか嫌なことでもあった?」と心配する。

「今日のももいろクローバーかわいかったな~」とデレデレしているのはすぐにバレるが

「今日も一日疲れた。おまけに風邪気味だ。調子が悪い。安静にしていたい」とふさぎ込んでいるときに上機嫌で話しかけてくる。


嫁が死ぬ前までには、ちゃんと悲しい感情くらいは表現できるようになりたいものだ。

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