最近お気に入りYoutubeチャンネルはお笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんがインスタントフィクションと呼ばれる超短編作品を読んで独自の解釈を講義する動画【渦】だ。
まるで中学校の国語の授業のような動画だが、又吉さん扮する髑髏万博(しゃれこうべばんぱく)先生の読み込みの深さに毎回感心させられると同時に、「ああ、そういえば僕は子どもの頃、国語の授業が大好きだったな。こういう深い読みができたときの快感って忘れてたな・・・」という気持ちになって何とも言えない良い気分になる。
しかも最近、50手前にして、自分のルーツを見つけた気持ちになったのだ。
ちょっと前までがんばって中田敦彦さんやらDaigoさんらの動画を観たり、自己啓発的な本や論文を紹介する動画を観たりしていた僕だったが、50歳手前の今になって「こうすれば人生が充実する」「お金が貯まる」「健康になる」「英語が身につく」「人間関係がうまくいく」なんて言われても「今更ねぇ・・・」という感じがしていた。僕が20代30代だったら目をキラキラさせながら「よし、俺も成り上がってやるぜ!」と奮起できたかもしれないが、この歳になると西村ひろゆきさんの「今の仕事をやめるな」「無駄にお金を使うな」という保守的なアドバイスのほうが響いたりする。
そんな中、出会ったのが又吉さんのインスタント・フィクション解説動画である。この動画は「実践すればすぐ役立つ」「人生が充実する」といった類のものではない。又吉さんが好きなこと(=文芸作品を読んで自由に解釈すること)を披露しているだけだ。なのにこの動画がすこぶる面白く、今の僕にとって心地いい。娯楽や癒しともちょっと違って、知的好奇心も満たされる。この感覚を僕は久しく忘れていたが、観ているうちに「あれ?そういえば、僕はこの手の分野のことが好きだったはずだ」と思い出してきた。
僕は子供の頃、びっくりするくらい本を読まなかった。
中学校と高校では学校の図書室を最初に利用する際に図書カードというものを作るのだが、結局どちらも図書カードは作らなかった。6年間1冊も本を借りなかったからだ。本を読むのは教科書と夏休みの読書感想文のための本だけ。とにかく読書が嫌いだった。
なのに国語は大の得意科目だった。作文や創作も割と得意だった。教科書に載っている作品はおもしろいわけではなかったが、筆者や登場人物の心情だったり筆者の描写意図だったりを読み解くのは得意だったし、国語の先生の解説を聞いて「あ~、なるほどなるほど。あ~、確かにそう読み取れるわ。これ書いたヤツうまいな~」なんて妙に上から目線で感心したりして国語の授業を楽しんでいた。
一番記憶に残っているのは小学校5年か6年の国語の教科書に載っていた『最後の授業』という作品。
最後の授業(全文) ドーデ - フィンランドの学力低下。急低下の原因論争延々。4M2 (goo.ne.jp)
(無断転載ごめんなさい)
当時の先生が「このアメル先生の行動は何を表しているか」みたいな質問をしてクラスで僕だけが「これは実はフランツ自身の感情の現れだったのではないか」みたいな読み方をして先生に絶賛されたのを今でも覚えている。あれから36年も経っているというのに小さな勲章のように誇りに思っている。
今回、この記事を書くにあたってWikipediaで調べて初めて知ったのだが、この作品は1986年以降教科書に掲載されなくなったということだ。ものすごい運命を感じたのはその年がまさに僕が小学校で『最後の授業』を習った年。つまり作品のタイトル通りその年が”最後の授業”だったのである。
でも恥ずかしながら当時小学校6年生だった僕はこの作品のテーマを実感としてとらえることができなかった。戦争のことはもちろん知識としては知っていたけれどまだまだその悲惨さや怖さも知らなかったし、「言葉」や「言語」についての想い、「学習」や「学び」の必要性について実感できていなかった。浅かったな。大人になってから『最後の授業』を読み直してみると、その重みが全然違うし、なぜこれが教科書に載ったのか、そして教科書に載らなくなったのか、いろいろ考えさせられるのである。
そして思い起こすと、僕はこれまでこの”最後の授業”というテーマに奇妙なほど惹きつけられてきたのである。
小学校2年生の頃、水谷豊さんが小学校の先生を演じた『熱中時代』(日本テレビ系)というドラマの最終回。水谷さん演じる北野先生が黒板に大きな字で「さようなら」と書いて児童に復唱させるシーンがあって、それをこたつの中で見ながら号泣したのを憶えている。
高校生の時に観た映画『今を生きる』も素晴らしいものだったが、個人的にはそれにオマージュを受けたドラマ『ハイスクール落書き』(TBS系)の最終回のシーンが印象に残っている。学校を追い出されるいずみ先生(斉藤由貴)の前で、彼女を慕う不良生徒たちが抵抗の足踏みを鳴らす。いずみ先生はちょっとだけ微笑んで教室を去るあのシーン・・・良かったな。
スペシャル『スペシャルだぜ!テメェら、カッコつけんじゃねェ!』 - YouTube
(1h23mぐらいから観ればOK)
大学を卒業する時に観た『陽の当たる教室』(1995年)の最後のシーン。あれも良かった。主人公の音楽教師ホランドはもともと生活のために仕方なく音楽教師になったが次第に悪戦苦闘しながらも教育に情熱を燃やすようになる。しかし30年にわたる努力や情熱も最期は教育予算の削減(=「音楽は主要科目じゃないから」)という理由で解雇されてしまう。学校を去る最後の日、講堂には彼を恩師と仰ぐ卒業生たちが集まり、彼の作曲した楽曲を演奏する。
いいね。最後の最後にそれまでの努力が全て報われる・・・王道だね。
生活のために仕方なく始めた教師生活、すぐに辞めるつもりだったが・・・《陽のあたる教室》 - YouTube
僕も一応は教育者のはしくれであったりする。
でも公務員でもなく、生活の保障もない。それなりに情熱をもって仕事に取り組んでいるが、これといって評価もされず、地位も給与も上がらないまま淡々と授業をこなしている。いつか仕事がもらえなくなったらそのまま自然に廃業ということになるだろう。僕にもいつか”最後の授業”の日がやってくる。間違っても映画やドラマのような感動的なラストにはならないと思うが・・・それでもそんなラストを夢見て日々の熱意をもって生徒たちに接している。
又吉先生の授業を見ながら、もう一度自分の専門分野・得意分野を見つめ直し、情熱と興味を追い炊きして頑張ろうと思う今日この頃である。