俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

古市憲寿くんの使い方

社会学者の古市憲寿さんが、日本テレビ系列『真相報道バンキシャ!』と『おしゃれイズム』にハシゴ出演。

しかし、最近テレビで古市さんを見るたびに、僕はなんとなくため息が出てしまうのだ。

僕が彼の名前を知ったのは、もう5~6年前だろうか。

東大の大学院生だった彼が当時の内閣の外部会議のメンバーに選出されていたのを見た時だった。

なんの会議かは当時はよくわからなかったが、Wikiで調べてみると

2012年、野田内閣の内閣府国家戦略室「フロンティア分科会」部会員
2013年、安倍内閣の「経済財政動向等についての集中点検会合」委員
      内閣官房行政改革推進本部事務局「国・行政の在り方に関する懇談会メンバー

とある。

「え?大学院生のくせに?」
「院生で社会学者?」
「内閣ってそんな感じなの?社会学の権威みたいなんじゃなくて、こんな若造の意見を聞くの?」
「若者代表ってこと?30近いのに?」
「今時の小生意気な感じだな。屁理屈ばっかりで。嫌味な東大生・・・」

当時の僕は直観的に「こいつ、キライ」と思った。

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僕は彼より一回り上なんだけど、当時は相当ひがみっぽい性格で、単純に若くして成功したエリートが嫌いだったのだ。

しかも保守的で昔ながらの価値観でガチガチに固まっていた僕の頭では彼の考えが全く理解できなかった。

仕事を休むときはLINEではなく電話!(古市氏は「なんでLINEじゃダメなんですか?」などとぬかしていた)

子どもは学校に行くもの!先生の言うことは聞くもの!勉強するもの!

まずはあいさつ!御礼!年賀状!お歳暮!お中元!世話になったら次に会う時に改めて御礼!

仕事中にスマホをいじらない!


しかし彼はこうした昔ながらの習慣を続ける意味がわからないとでも言いたげだった。

そして飄々と「なんでダメなんですか?」「効率悪いじゃないですか?」などと言うのだ。

あのいつものすっとぼけた表情でそんなことを言われた日には、昭和のおじさんはムキになって

「なんなんだよ!あいつは!今の若いヤツは屁理屈ばっかりこきやがって!黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!バーカ、バーカ!」

なんて酒を飲みながら愚痴をこぼすのであった。

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そんな僕の評価が変わったのは、いつ頃だったろうか?

なんとなくテレビのワイドショーを見ていた時だった。

テーマは捕鯨問題

日本の商業捕鯨について、コメンテーターがそれぞれ意見を述べていた。

『ザ・コーブ』という反捕鯨のドキュメンタリーが作られ、海外で映画賞を受賞したのが2009年で、シーシェパードという反捕鯨テロリストグループが引き続き日本の捕鯨船の妨害をしたりしていたころだった。

日本人の多くが
「調査捕鯨で、絶命しない数を捕っている」
「鯨を食べるのは日本の文化」
「鯨を食べる国は他にもある」
「欧米人は『クジラやイルカは頭がいい。人間と友達になれる』と言っているが、あまりに主観的」
「豚は食べていい、鯨はダメなんて人間の傲慢」
反捕鯨団体にはスポンサーがつきやすいだけ。商業反捕鯨だ!」
「欧米のセレブが反捕鯨を訴えているのはただイメージをよくしたいだけ」
などなど、ややヒステリックに、そして必死に捕鯨の正当性を訴えていた。

しかしそんな中、古市憲寿
「でも日本がわざわざ北極海にいって”調査捕鯨”といっても、欧米の人には納得できないですよね」
とのたまわったのだ。

僕は絶句してしまった。

「えっ・・・それ、言っちゃうんだ・・・」

僕は1973年生まれだが、給食にクジラの竜田揚げが出た世代ではない。
たぶん缶詰のクジラの大和煮くらいは食べたことがあるけど、そんなにうまいとも思わなかった。

クジラはほぼほぼ口にしないし、なんなら今後一生食べなくても構わない。
おそらく、僕より下の世代はほとんどそんな感じなんじゃないだろうか。

だから正直、ムキになって捕鯨の正当性を訴えるほどの情熱がない。
北極海での調査捕鯨”が「日本の文化!」といっても正直無理があるな、とは思っていたし、
欧米人に「日本人は鯨を食べるんでしょ?」なんて言われたら「食わねーよ!」と言いたくなる。

なんとなく欧米から「鯨を食べるなんて野蛮人!」みたいに言われるからムキになって「捕鯨は日本の文化なんだよ!欧米人は昔から他国の文化を侵害してきやがって!お前らだけの勝手な基準で判断すんなバーカ!」と反発をするが、別に鯨を食べたいわけじゃない。

だから多くの日本人は黙っている。
とりあえず「捕鯨は日本の文化だ!」と訴える人がいると、なんとなく遠くで頷いている。

でも古市さんは平然と「ぼくはなくても平気ですけど」と言えちゃうのだ。

これはすごいことなのだ。

実は日本には「昔からそうやってる」という理由だけで続けられているものがたくさんある。
それが効率的か、意味があることなのか、時代にマッチしているのか
そういうことを考えることなく続けていることがたくさんある。

社会に出ると、そんなことばかりなのだが、それでも経済が回っている時は黙って言われるとおりにしていればよかった。

が、古市さんより下の世代になるとそうはいかない。
年功序列や終身雇用もない。
長い不景気で業績も伸びない上に、出世の希望もない。

何かを変えなければならないのに、社会が変えようとしないなら
「なんでこんなことやるの?」「やめたらいいのに」「もっと効率がいい方法があるのに」という人が必要だ。

だから政府は古市憲寿の意見を聞こうとしたのだ(と思う)。

我々昭和の大人は、平成・令和の若者の「どうしてこんなことを続けているの?どんな意味があるの?」という社会に対する問いの千本ノックに対して、明確に説明ができなければならないし、それができないなら変えなければならない。

そして僕は彼を社会学者として一目置くようになった。
彼らの世代が気づくこと、かつ我々の世代が気づかなかったことが世の中には本当にたくさんあって、僕はあと20年仕事を続けるためにはそれに耳を傾けなければならないのだ。

だから社会学者としての古市憲寿にすごく期待しているのだ。
もっと社会にものいう人であってほしいのだ。

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しかし、テレビの世界は彼を「変人」「毒舌」というキャラクターで消費しようとしている。

「偏食で家の中ではチョコだけ」
佐藤健城田優、メンタリストのDaiGoなど友人が多い」
「キスは唾液の交換が汚いから嫌い」
人狼ゲーム、脱出ゲームなどで24時間以上遊ぶことも」

そんな紹介で彼をキャラクター付けしていく。
(今日の『おしゃれイズム』も好きなチョコレートの話題や恋愛の話・・・)

また、まるで坂上忍さんや梅沢富美男のようにズケズケとものを言ってもらおう、毒を吐いてもらおうと、わざとアイドルやおバカタレントと絡ませたり、ロケに行かせたりする。

古市さんはそんな時、なんとなくテレビの空気を読んで毒を吐いてくれるのだが、そんな安っぽい使い方でいいわけがない!

「ブス」「まずそう」「安っぽい」「あんなことに一生懸命になれるなんて」

こんな安易な毒を吐くためにテレビに呼ばれる古市さんを見ると、僕は悲しくなるのだ。

本人はテレビの仕事だからと言って力を入れるわけでもなく、飄々と友達に会いに行くくらいの気持ちで撮影に臨んでいるらしいし、テレビでどう扱われても気にしないようなのだが・・・

本当は社会問題に対して、頭の固い司会者や専門家を苛立たせるような、率直な意見をズバズバと言ってほしいのだ。

最近は「特ダネ!」の小倉智昭さんですら、彼をキャラクター扱いしはじめていて、まともに取り合おうとしない。

古市さんよ!嬉しそうにTwitterで番宣してる場合じゃないよ!

社会を斬れよ!社会学者らしく!お願いだから!

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