俺よ、男前たれ

おもしろきこともなき世をおもしろく

『永遠の0』ごっこ②

(前回の続き)

仕事でフィリピンに赴任することを両親に伝えたところ、祖父が同国で戦死したことを知らされた僕。
ひょんなことから祖父のことを調べることになったのだが・・・

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僕がまず最初にしたこと、それは本家のおじさんを訪ねることだった。

実は父が5歳の時に祖父は戦死しているので、父は名前以外の情報をほとんど持っていなかった。
親の生年月日も知らないというのも問題だが、とにかく手がかりがなければ調べようがない。

父は次男坊なので、長男である叔父さんなら何か知っているんじゃないかと思ったのだ。


暇を持て余していた叔父さんは僕らの訪問を喜んで迎え入れてくれた。

そして最近の政治の話やら、桜の開花時期の話やら、近所のばあさんが倒れた話やら、先月バイクで霞ヶ浦に行った話やら、ひとしきり小一時間ほどしゃべり続けた。

僕は茶菓子で出されたアルフォートを食べながらその話を適当に聞き流していた。
そして叔父さんの話がひと段落したところで、ゆっくり祖父の話を聞いてみた。

叔父さんは生年月日は知っていたものの、詳しい軍歴などは知らなかった。
ただ知っている限りのことを少しずつ教えてくれた。
叔父さんの話によると

・祖父が亡くなったのはフィリピンのセブ島、セブ市の野戦病院にいる時で米軍の空襲にあった
・すでに亡くなっている祖母は遺族年金をずっともらっていた
・叔父さん自身も戦争遺族として国からいくらかもらっている
・祖父の遺品はなく、セブの砂だけが送られてきた。
・死後、「陸軍兵長」を与えられた
靖国神社に英霊として祭られており、祖母は慰霊祭などにも参加していた

とのことだった。

そういえば、僕が小学生の時、祖母が「総理大臣から手紙が来たんだよ」なんて自慢げにハガキを見せてきたことがあった。

当時、小学生だった僕は当時の総理大臣・鈴木善幸さんのことも知らなかったし、なんだったら「総理大臣」という役職のことももよくわからなかった。

ただすごい偉い人からおばあちゃんが手紙をもらったことが誇らしくて、夏休みの絵日記に書いていた。
不思議だが、その絵日記に書いたことを43歳になった今もちゃんと覚えている。
今思えば、あれは夏の慰霊祭の招待状みたいなものだったのではなかろうか。

それにしても祖父が靖国神社にいたなんてね・・・

僕には無関係だと思っていた靖国神社

政治家がお参りしたり、奉納したりして、中国・韓国が騒ぎ出す
そんなのをテレビやネットで観ていただけの靖国神社に、僕の祖父もいたなんて・・・

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それにしても祖父の戦歴って、どうやって調べるもんなんだろう?

ネットで調べてみると、意外にもYahoo!知恵袋に質問している人が結構いる。

どうやら祖父が住んでいたところの市役所にまず聞くのが一番早い、とのことだった。
幸い僕は現在実家暮らしで祖父の生家と同じ市内。

ということでとりあえず近くの市役所に向かった。

僕の住んでいるところの市役所には福祉総務課というものがあり、普段は遺族年金を含む年金関係を処理しているのだが、軍歴等の情報捜索も手伝ってくれるらしい。

しかしそこで祖父のことを聞くには、僕と祖父の関係を示す書類が必要だ。

僕はまず結婚前の戸籍謄本を取り、僕と父親の関係を証明する書類を入手。
父の名前のところには祖父母の名前も記載されているので、僕と祖父の関係もわかるという寸法だ。

さらに自分の戸籍謄本をもとに祖父の戸籍を申請。
しかし明治生まれの祖父の戸籍はなかなか引っ張り出すのはたいへんだったらしく、平日の午前だというのに小一時間待たされた。

こうして手に入れた祖父の戸籍は、手書きのものをPDFファイルにしたもので時代を感じさせた。

祖父は明治42年生まれで、昭和20年3月29日に37歳で戦死していた。

祖父の戸籍を持って市役所の福祉総務課に尋ねたところ、市役所の中には資料が残っていないとのこと。
しかし電話でどこかに問い合わせてくれ、祖父は最後「独立混成第54旅団司令部」というところに所属していたことを教えてくれた。

独立混成第54旅団司令部


何だろう、これ?

「独立混成」ってのが、なんとも”寄せ集め”っぽい響きもあるし

「旅団」ってのはちょっと楽しそうな感じもする。


ともあれ、父や叔父が知らなかった祖父の所属部隊まではたどり着いた。

「これより詳しいことを知りたければ県庁の生活援護課に問い合わせてみると良い」とのことだった。

そうか、次は県庁か・・・

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『永遠の0』ごっこ①

それは2017年3月のこと
飛行機の機内で僕は岡田准一主演の映画『永遠の0』を観ていた。

百田尚樹原作の小説は2014年に読んでいた。
「絶対に泣ける!」と芸能人が散々褒めちぎっていたので、涙活中だった僕は普段読みもしない小説を頑張って読んでみたのだ。
まあ、泣くほどではなかったがそれなりに面白く、なんだかんだで一気に読み進めてしまった。

ただ”映画が原作を超えることはないだろう””しかもジャニーズ主演の映画だし”と偏見丸出しで思っていたので映画館へ足を運ぶことはなかった。

そして先月、仕事でたまたま飛行機の乗ることになって何気なく機内の映画を探していると、最初に興味を引いたのが『この世界の片隅で』。あの元・能年玲奈、現・のんが声優を務め第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベストワン、第71回毎日映画コンクール日本映画優秀賞・大藤信郎賞などを受賞した映画だ。

感想は別の機会に書くが、戦争映画だけにまあ・・・暗くて重かった。

「次は気楽に、内容を知っている映画でも観たい」と思って、『永遠の0』を選んだのであるが、今思えば『永遠の0』も戦争映画。

戦争映画2連チャンは辛い。
にも関わらずなぜか画面にくぎ付け。

しまいには映画を観てボロボロと涙を流し、隣に座っている客に気味悪がられ、ヘトヘトになりながら眠りについたのだった。


原作、もしくは映画をご覧になったことがあることがある方はその内容についてはよくご存知だと思う。

簡単に説明すると―――

司法浪人中の佐伯健太郎は祖母の四十九日の後、祖父が実の祖父ではないこと、自分たちの実の祖父が特攻で戦死したことを知る。

フリーライターである姉は祖父の経歴を調べることにし、その協力を健太郎に依頼する。
最初は嫌々手伝っていた健太郎であったが、祖父のことを知るうちに、次第にのめり込み、最後に信じれらない事実を知ることになるーーー

こんな感じだ。

家族を守るために特攻・・・

昔は何のイメージもつかなかったが、今や僕も一児の父

どうなんだろう・・・僕だったら家族を守るために自分の命を投げ出すなんてできるんだろうか・・・

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そんな折、僕のフィリピン赴任が決まった。

フィリピンって・・・

行ったことないし、イメージもあんまり良くないよな。

僕が持ってるフィリピンのイメージって・・・

ドゥテルテ大統領」「貧困・麻薬・銃」「売春」「パッキャオ」「ラブリ」・・・

ダレノガレ明美・・・はフィリピンじゃないか、ってくらい。


ネットで見ても、『地球の歩き方』を読んでも、「治安が悪いから気をつけなはれや!」という声がほとんど。

ああ、そんな国に妻子を連れて行くのか・・・



実家でフィリピンについていろいろ検索していると、年老いた両親が

母「セブって近いのかしらね」

父「一度行ってみないとね」

などと話している。

(いい歳をしてリゾートなんて行ってどうする?)と思っていると

母「お義父さんが亡くなったところ、セブ市なのよ」

父「せっかくフィリピンに行くんだったら、親父の亡くなったところも行ってみたいしね」

などと言ってくる。

父方の祖父が戦争で亡くなっているのは知ってるけど、フィリピンで亡くなったってのは初耳なんですけど・・・


僕「・・・セブ市のどこで亡くなったか、知ってるの?」

父「知らない」

僕「おじいちゃんの名前は?生年月日は?所属部隊は?」

父「名前は知ってるけど、あとは知らん」


僕「・・・」


こうして僕の『永遠の0ごっこは始まったのであった。

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何なの・・・この展開・・・

日本映画を見た気になる

僕は映画、ドラマ、小説といったたぐいのものをほとんど見ない。

いわゆるフィクション作品は昔から興味がなかった。

テレビはバラエティ、スポーツばっかり見ていたし、

読む本はエッセイとか雑誌の記事とかそんなもの、

映画・ドラマ・小説は長い時間拘束される上に、これといって僕の人生になんらかの変化や影響をもたらすものではない、という感じがしていた。


同じ映像作品ならアダルトビデオのほうがよっぱど有効で効果的だと思ったし

同じ人間のセリフならドラマや小説の言葉より、実際の偉人や有名人の言葉のほうがリアリティがある。

映画やドラマ、小説なんて”時間の無駄”とすら思っていた。

じゃ、その時間、僕は何をしていたかというと、特に何もしていなかった。

趣味がないもんで、ぼーっとテレビを見るか、パソコンをいじるかチンコをいじるか・・・

他の人から見たらそれこそ「時間の無駄」と言われる人生を歩んでいた。



そんな僕でも奥さんと結婚したばかりのときは一緒に映画を見に行っていたこともあった。

奥さんは僕とはまったく逆で、映画もドラマも見るし、漫画も小説も読む。バラエティも見るし音楽もたくさん聞く。有名人のtwitterもチェックすればFacebookやLINEももちろんする。

僕と違って多趣味で楽しそうなことは何でもするタイプだ。

僕と一緒にいることの退屈しのぎに忙しいのかもしれない。

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で、僕も奥さんに見捨てられないように話題の映画くらいはチェックしようとYoutubeで映画の紹介動画をいくつか見ていたのだが、

いやはや、なんともおもしろそうでないの?

映画って、もしかしたら面白いかもしれない

そう思わせるものがたくさんあった。


特に邦画。

日本の映画なんて、海外の映画に比べるとチープでこじんまりしていて下らない

そんな偏見を持っていたのだが、そのチープでこじんまりして下らない感じがいかにも日本的で興味を惹かれるのだ。

僕が見た動画は以下の通り。


「ハイキック・ガール!」



いいね!実にいい。

僕も格闘技を習ってた時期があって、ジャッキー・チェンジェット・リートニー・ジャーやドニー・イエンは好きなんだけど、この映画も空手をならっている人なんかはたまらないんじゃないかな。

本当の空手の達人クラスの人たちも出てるし、なんといっても主演の武田梨奈がいい。

だって本物だもの。ちゃんと空手を習っている人のアクションだから説得力がある。

同じような映画で「ハイキック・エンジェルス」という映画もあったけど、こちらはいただけない。
格闘技経験者から見ると「ああ、この子たちは・・・やってないな」というのがわかってしまう。

「ハイキック・ガール」は見てみたいね。

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「極道飯」



実は原作の漫画が評価されていたのを知っていたので、一度見てみたいとは思っていた。

僕はグルメ漫画が割と好きで、昔から「ミスター味っ子」「美味しんぼ」「ザ・シェフ」「孤独のグルメ」なんかを繰り返し読んでいた。

で、この「極道飯」、設定が最高ですな。

いや~・・・この映画観たら飯がうまいだろうね。

そんで母ちゃんが作ってくれた飯とか、嫁が作ってくれた飯が食いたくなるだろうね。

単なるグルメ作品でなくて、なんか人間臭そうなところがいいね。

たかだが2分弱の映像で泣いちゃったからね。

僕と同じ世代の人は泣けるかもしれません。



『風俗行ったら人生変わった」




タイトルがいいですね。

僕もかなり長いこと童貞をこじらせていて、初体験がプロの人だったもので、気持ちは本当によくわかる。

ストーリーは「電車男」的な感じがプンプンするし、おそらく2時間は観られないと思うけど

公式PVくらいなら楽しく観られました。

思うに、20代の頃だったら僕は観られなかったと思う。だって本当に真剣に悩んでいたからね。

「この映画の主演の俳優さんだって、実生活ではモテるんだろ?彼女がいるんだろ?童貞じゃないんだろ?」ってひねくれてたと思う。


今、僕が笑って主人公に「がんばれよ」って言えるのは・・・結婚できたからだろうな・・・

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「女子ーズ」




これはすごい。予告編が一番面白かった作品。紹介PVだけで笑ってしまった。

こんな映画は海外では作れないだろうな。

でもこのおもしろさは伝わる気がするよ、海外でも。


この映画、もっと話題になってもよさそうなものなのに・・・興行収入は振るわなかったかな?

確かにお金を出して映画館で見るようなものでもなさそうだし、ゴールデンタイムのテレビで流しても・・・あんまり視聴率は稼げないかな。

でも深夜にこれ見たらバカ受けすると思う。(「コドモ警察」みたいに・・・)

部屋飲み女子会でみんなでこれみたらすごく笑えると思う。


もうYoutubeでフルで見られるので、時間があるときに観ようと思うんだけど
おそらくその時間は来ない。
そういうものです。


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もちろん、僕は原作を「週刊少年ジャンプ」で読んでいた世代なので、こういうのは大歓迎。

当時「週刊少年ジャンプ」で人気を博していた漫画の実写版、「ドラゴンボール」しかり、「北斗の拳」しかり、ことごとく酷評されていたのだが、まず「変態仮面」を実写化するというチャレンジが好き。

そんでテーマソングと主人公のセリフの無駄なカッコよさが実におもしろい!

台湾でもものすごく好評だったらしいし、あくまでB級映画と割り切ってみると楽しめるんじゃないかな。

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映画評がかなり割れている作品で、おもしろいという人とそうでない人がはっきりわかれている。

ちょっと見るのに勇気がいる作品かもしれないが、予告編だけなら問題なし。

堤真一好きだしね。



やばいな・・・こういう作品を並べるといかに僕が若いころもてなかったのかがわかってしまう。

こういう「モテない男が勇気を振り絞って美女と結ばれるように必死になる」ってのはねぇ~

放っとけないんだよね~。

でも「モテキ」「風俗行ったら人生変わった」「ボーイズ・オン・ザ・ラン」なんかと続けてみると・・・むなしくなるよね~。

そんな美少女との出会いって・・・・ないから。



これ、嫁が見たら泣くな。

仲里依紗って・・・あんま好きじゃないけどこの映画観たら大好きになるかもしれない。

予告篇、すごくカッコいいし、人情味あふれるいい映画だと思う。

でも本当にタイトルすら知らなかったな。

こういう映画って、映画館に行かなくなったようなシルバー世代にこそ大ウケすると思うんだけどなぁ。

渡る世間は鬼ばかり」とか人情もの大好きなおばさんたちにぜひ見てほしいんだけど・・・

届かないだろうなぁ・・・。

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久しぶりに川島海荷見たな。

やっぱり普通の高校生役をやらせたら彼女の右に出るものはいないな。

それにはんにゃの金田が、すごく無理がなく役にハマっていて、いいんでないの?

ちょっと僕が見るには眩しすぎる青春映画だけどね。

なんかイケメンと美少女が出る恋愛映画ばかりがテレビで紹介されがちだけど

こんなののほうが高校生のデートにはあってる気がするな。

ま、高校生の時デートしたことないけどね。


ほかにも「武士道シックスティーン」「書道ガールズ」とか、高校生の部活モノは割と好き。

「スイング・ガールズ」は僕の中では邦画No1だしね。





これはファンタジア国際映画祭でシュバル・ノワール賞(最優秀作品賞)と、日本人初の最優秀主演男優賞を受賞したことでニュースになったからメジャーかもしれないけど、それでもほとんど日本の映画館では上映されていなかったみたい。

これ、かっこよすぎ。
主演の福本清三さんの人生、かっこよすぎ。
もちろん、本人は役者人生のほとんどを脇役で過ごしてきたということで、忸怩たる思いはあったかもしれない。

でもよくぞこの人を題材に映画を作ってくれたなぁという感じ。

よくぞここにスポットを当ててくれたな、と。
おそらくこれは世界中の映画関係者が思ったことだと思う。

これは観るよ。


時間を作ってね。

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もうキリがないからここらで終わるけど、ここまで書いてきて思うのは

僕も意外に映画を観てたな。

それから僕は楽しい映画が好きなんだな。

やっぱり”娯楽”として映画をとらえているので、見た後にすっきりと、心が晴れ晴れするような映画が好きなんだと思う。


世の中には難しい映画、考えさせられる映画、ただただ暗い映画もある。
それらにもいいところはあるんだろうけど・・・僕は個人的にテンションを上げたいんだな。



これからは映画でも見てみようかな、なんて思ったりもするけど・・・

「いそがしい」「時間がもったいない」「子供の世話をしなきゃ」なんて言い訳をして見ないんだろうな。

よし、映画は生まれ変わったらたくさん見よう。

それこそ大学時代とか、時間がたくさんあるときにむさぼるように見よう。




ただ、Youtubeの映画予告編めぐりは、これはこれで楽しいのでお勧めです。

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お父さんのおならに関する一考察

今、嫁と子供が帰省中なので久しぶりにブログなんてものを書いてみようと思う。

僕は今年後厄を迎えたおじさんだ。

この年になると、なぜか幼い日のことをふと振り返ったりするものである。


僕は酒屋を営む父の次男坊として生まれた。

父は昔、陸上競技でならしたとのことで、背が高くすらっとした体型だった。

それでも毎日重いビールケースやら日本酒の木箱やらをひょいひょいと持ち運び配達していた父は実に力強かった。無駄な脂肪がなく、細身の力強い筋肉を持っていた。

そんな父親だが、僕が子供の頃に思っていたことは、「この人はなんでこんなにおならをするのだろう?」ということだった。

父は本当によくおならをした。

強く、短く、勢いのあるおならを日に何度も放っていた。

それも夜、家族が集まっている中で、これみよがしに屁を放っていた。屁を放つ父に恥じらいなど微塵もなく、むしろ「どうだ!これが大人の屁だ!すごいだろ!」と誇らしげでさえあった。

僕を含めた3人の子供たちは、父がおならをするたびにギャーギャー騒ぎ、

「臭い臭い!」

「屁こき星人!」

「屁こき虫!!」

「おならの大将!」

と父を馬鹿にしたものだが、父は笑って気にすることもなく、また大きな屁をこいては「お~!気持ちいい~!」と悦んでいた。

のちに「お父さんはよくおならをする」というのは決して我が家だけのことではなく、どこの家庭でも共通する「あるあるネタ」だということが判明するのだが、とくかくそのおならのせいで、僕は若いころ父を「だらしない」「かっこ悪い」と思っていた。

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時は変わって、私が大学生の頃。

当時ひとり暮らしをしていた僕は、『ダウンタウンのガキのつかいやあらへんで』をよく見ていた。

今の「ガキつか」のレギュラー放送のつまらなさは目も当てられないひどさだが、当時の「ガキ」は本当におもしろかった。

当時はまだオープニング企画10分、ダウンタウンの立ちトーク20分といった番組構成だったのだが、とにかく松本人志(以下、松ちゃん)の才能にひたすら感服し、腹を抱えて笑っていた。

僕はVHSのテープに毎週録画をし、トークの部分を暗記するほど何度も何度も繰り返し見ていた。


そんな「ガキつか」のオープニング企画に「屁をこいてごちそうを食べる」というものがあった。

架空のお店でおならをするたびに食べ物を注文できるという企画なのだが、ダウンタウンの圧倒的な強さに驚かされた。

第一弾「ヘマチ・ド・パリ」編では、屁をこくたびフランス料理のコース料理を注文できるというルールだったのだが、なかなか屁がだせないココリコの二人をしり目に、松ちゃんと山崎邦正(現・月亭邦正)が順調に屁をひねり出し、サラダ、スープを注文していく。

しかし30分をすぎたころから大本命・浜田雅功(以下・浜ちゃん)が屁を連発。あっさりと松ちゃんを抜いて肉料理・デザートまで堪能したのであった。

第二弾「寿司兵衛」編では、高級寿司をかけて勝負をしたのだが、制限時間2時間ので山崎邦正が屁を5発以上放ち、下剋上を果たしたのであった。


この屁をこいて料理を注文するという企画は、おそらくものすごい批判があったのだろう。
あれ以降、行われなくなってしまったのだが、僕個人としては割と好きな企画だった。

「下品でくだらない」

これこそ昔から男の子が好きなバラエティの王道である。

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さらに時は流れ、僕は42歳。

子供もできて、いわゆる「お父さん」になった。

で、当然というか、自然に「屁をこくお父さん」になったのである。


それでも結婚当初は嫁の前ではおならを我慢していた時もあった。

おならが出そうになると、わざわざ居間から廊下に出て屁をしていたりもした。

夏はよかったが、冬はきつかった。

暖かい居間から、わざわざ半纏を着て極寒の廊下へ屁をするために出ていたのである。

そんな僕を見た嫁は「私は気にしないから大丈夫だよ」と言ってくれた。

今思えば、あの一言が分岐点だったのかもしれない。

それから僕は、嫁がいようが構わず屁を出すようになっていた。

おならは音が大きく、勢いがいいほうが臭いが少ないこともわかっていたので、おならが出そうになると意図的に力を入れて、勢いよく出すように心がけた。

これは別に嫁に嫌がらせをするためではない。

あくまで嫁に嫌なにおいをかがせないために、意図的に大きなおならを出していたのだ。

嫁も嫌がるかなと思いきや、「これで自分も出しやすくなった」とばかりに僕の前でおならをするようになった。

ただ嫁の場合は屁のコントロールが出来ないため、不意に出てしまう。

ありえないほど細くて長い屁をこいたかと思えば、テレビのバラエティ番組を見て「ははははは」と笑いながら小刻みに「プププププ」と出すこともある。

僕は負けじと音と回数で勝負。

男は「ブッ!」と潔く。そして遠慮なく放っていた。


そういえば、35歳を超えたあたりから屁が出やすい体になった気がする。

本当に朝起きてから、通勤の電車の中、会社での勤務中、外での移動中、そして帰宅後の家の中

朝から晩まで屁が生成されていた。

もちろん通勤電車で屁をするようなことはしなかったが、歩いていて周りに誰もいなさそうなら気にせず音を出して屁をこいていた。

少なくとも20代のころはこんなには屁は出なかった。

なのに今では笑ってしまうほど屁が出る。

調べてみると、年を取ると腸の中の悪玉菌が増えて屁を作りやすくなるらしい。

そこに男女差はないため、「お父さんだから屁がたくさん出る」というわけではないらしい。

きっと女性も人知れずどこかで、男性と同じくらい屁を出しているのだろうが

人前でも構わずこいてしまうお父さんだからこそ、たくさんおならをしているイメージをもたれてしまうのだろう。

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さて、話は最初に戻るのだが、

今、嫁と子供が帰省中なので僕は暇を持て余しているのである。

そこで、Youtubeで、昔の「ガキつか」の映像を見てみた。


https://www.youtube.com/watch?v=eU7abw8fO3Y
(↑「ヘマチ・ド・パリ」編)


https://www.youtube.com/watch?v=2EnYwtPRyP8
(↑「寿司兵衛」編)


いや~、おもしろいね。

実にくだらない、が抜群におもしろい。


ごちそうにありつこうと、必死にふんばって屁を生み出そうと苦しんでいる姿が滑稽でならない。



で、なにがすごいかってその30分程度の動画の間に

僕自身が立派な屁を3発こいている


ということである。当時ダウンタウンの二人でさえ2時間くらいかかっているのに。

今ならフルコース食えるな・・・

チキンライス

僕は今、海外で単身赴任をしている。

三度の飯よりテレビが大好きで、子供のころからテレビばっかり見ていた僕だが、南国マレーシアでは日本のバラエティ番組が見られず、仕方なくYoutubeで昔のバラエティ番組を見ていたりする。


そしてたまたま見た、浜田雅功槇原敬之の『キチンライス』という曲にひどく感銘を受けて、一人涙したりしている。

もちろん、『チキンライス』という曲は知ってたが、この曲を聴いていた当時は何も感じなかったし、特に思い入れがあるというわけではなかった。

浜ちゃんのヒット曲なら『Wow war tonight』のほうが話題になったし、松っちゃんが書いた詩なら『エキセントリック少年ボウイ』や『ああエキセントリック少年ボウイ』のほうがインパクトも哀愁もあったような気がした。

http://www.youtube.com/watch?v=UlzhBQ2KU-o
(↑『エキセントリック少年ボウイ』のテーマ)
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しかし僕も41歳となり、子供を持つ身になった。
子供には苦労をかけたくないなと思いつつも、甘ったれのくそ坊主にも育ってほしくない。

そう思うと、この『チキンライス』が妙に心に響くのだ。



僕は酒屋兼スーパーの次男坊として生まれた。

両親は自営業で、朝から晩まで働いていた。

父親は朝5時には起きて仕入れに行き、牛乳配達をし、9時の開店の準備。
営業中は軽トラにビールのケースやら日本酒の木箱やらを積んでパワフルに配達していた。
7時の閉店後も店の片づけ、伝票整理…

母親も営業中はずっとレジに立ちつつ、家事をこなしていた。

もちろん土曜日も営業していたし、正月三が日とお盆の2日以外は連休などなかったから、あんまり遊びに連れて行ってもらった記憶もなかった。

男三人兄弟なので、一人におもちゃを与えるとほかの二人もほしがる。だからおもちゃもあんまり買ってもらえなかった。


そんな両親が3か月に一度くらい、日曜日の夜に外食に連れて行ってくれた。

まさに『キチンライス』の世界だ。

駅前のデパートの最上階にあるレストランがお決まりのパターン。

”一人1000円以内”というルールだったから、親父としては「5000円以内に収めたい」という気持ちがあったのだろう。

”三つ子の魂100まで”とはよく言ったもので、僕は40歳を超えた今でも1000円を超える食事を注文するのが嫌だし、焼肉屋や回転すしで遠慮なく食べている子供を見ると腹が立つ。

あの回転寿司の子供たちは「黄色い皿しかとっちゃダメ」とか「一人5枚までよ!よく選んで食べなさい!」とか言われているんだろうか?

「この前家族5人で焼き肉食いに行ったら1万5千円もかかったわ!」なんて言ってる親は、子供にどうやって”我慢”を教えているのだろうか?

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小学生だった当時の僕は、レストランのショーケースに端から端まで目を凝らし、おいしくてかつボリュームのあるもの、そして”1000円以内”のものを時間をかけてじっくり選んでいた。

兄と弟が「おれ、ポーク生姜焼き!」「僕、スパゲッティ!」なんてさっさと決めて店内に入っても、僕はなかなか決めきれず、15分は食品サンプルとにらめっこしていたのを、通りすがり家族がくすくす笑いながら見ていた。

僕は腕を組み、指をさし、頭の中で計算をしながら慎重にメニューを選んでいたが、その姿が小学生にしてはおっさんくさかったからかもしれない。

小学校高学年くらいになると、食後にパフェだのかき氷なんかも食べたくなる。

が、それを注文してしまうと1000円を超えてしまう。

「かき氷350円を注文するには、食事を650円以内に収めなければならない」

「そうなるとスパゲティとか、サンドイッチとかを単品で頼まなければならないが、夕食にご飯を食べないなんてことは食事を抜いたのと同じだ・・・」(と当時は思っていた)

「以前、雑炊(600円)とかき氷を注文したことはあったが、なんともむなしい食事だったな・・・」


そんな風にさんざん悩んで店内に入ると、弟はすでにスパゲティを食べ始めていたりして、両親が呆れた顔で俺を見ていた、なんてこともよくあった。

で、デザートをあきらめてポークステーキ(880円)を食べたりしていたのだが、

帰り道、エレベーターで1階まで下りると親父は1階にあるファーストキッチンで100円のソフトクリームを買ってくれたりしたのだ。

そのソフトクリームがすこぶる旨かった。

甘くて冷たくてやわらかくて優しくて・・・、なんだかすごく贅沢をしている気分になった。

最上階のレストランで飯を食った後に、1階で食べるソフトクリームがその後我が家の定番となり、

僕ら兄弟は真冬でもソフトクリームを注文するのをやめなかった。

親父は嬉々としてソフトクリームを食べる息子たちを、目を細めて見ていたことだろう。



そんな父ももう後期高齢者の仲間入りだ。

ビールケースを軽々と肩の上まで持ち上げていたその腕はミイラのように細くなり、昔陸上で鍛えたたくましい足は急な坂道が登れないくらい弱くなり、体重は我が嫁を余裕で下回ってしまった。

3か月前に生まれた我が息子を溺愛してやまないのだが、3か月で(しかも母乳だけで)8.5㎏にまでなった孫を10分以上は抱っこすることができないくらい衰えてしまった。

父の残りの人生で、できる親孝行ってなんだろう?

僕にはまだわからない

でも それを考えようとすることがもう 親孝行なのかもしれない


やはり『チキンライス』は名曲なのだ

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http://www.youtube.com/watch?v=nz2ghdBeIbI
(↑『チキンライス』)

ごきぜんだぜっ!!DA PUMP

僕は現在、仕事でマレーシアに住んでいる。

んで、ペーパードライバー歴20年を卒業し、毎日車で通勤をしているのだが、これがなかなか快適なのである。

車の運転は緊張もするが、意外に楽しい。

なんか”自分だけの空間”って感じが実にいい。

大声で歌いながら運転すると、個室カラオケっぽい感じもしてなんとも爽快。

ちょうど僕が買った車にはカーステレオがついているので、お気に入りのCDでもかけながら運転したらそれは気分がいいだろう。

ということで、僕はマレーシアでCDを探すことにした。


が、探してみるとこれが意外に難しいのだ。

僕は10年以上前にもマレーシアに来たことがあった。

その時は、街中にCDやDVDを売る店はたくさんあったし、日本では売っていないようなCDもよく目にした。

Kinki Kidsのシングルコレクションやサザンのシングルコレクションなどは、おそらくマレーシアで勝手に編集して売ってしまっているものだったが、僕にはありがたかった。

BackstreetBoysやWestside、RickyMartinのCDなんかも買ったな。
間違いなくコピー商品だったけど。


で、今回も苦も無く見つかるだろうと思っていたが、これがなかなか難しい。
DVD ショップはあるのだが、CDはほんの申し訳程度にマレーシアのアーティストのものが置いてあるくらい。海外のアーティストはマイケルジャクソンが少しあるくらいだ。

ま、考えてみれば今はもうCDを買う時代ではない。

音楽はダウンロードしてスマホやら携帯音楽器で聞くものだ。

握手券やら投票権やらをつけたって、マレーシアじゃCDは売れまい。

僕もパソコンにダウンロードしてCDを焼ければいいのだが、そんな技術がない。

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すると同僚が「チャイナタウンならあるんじゃないか」という情報を僕にくれた。

確かに、10年前に僕もチャイナタウンで違法コピーモノをよく買っていた。

僕はとある土曜日にチャイナタウンに行くことにした。


チャイナタウンは10年前とちがってきれいに整備され、観光地化されていた。

昔は違法DVDを大量に露店に並べて、パトカーのサイレンの音が聞こえると蜘蛛の子を散らすように消えていき、警察が行ってしまうとまた性懲りもなく違法DVDを並べるという、いたちごっこの光景がよく見られた。

エッチなDVDを物色していた僕はなぜか一緒に逃げた記憶がある。


しかし今はそうした路面店はない。

あるのは時計やカバンのコピー、有名スポーツメーカーのコピー物、土産物屋やTシャツ店といったところだ。

僕は店の奥のほうに目を凝らし、それらしき店を探す。

昔、エロDVDを売っていた露店も、こうした小さい店の奥から商品を出していたのだ。

すると1軒のDVDショップを発見。違法コピー物が壁にずらりとかざられており、さらに日本のAVの違法コピーまで発泡スチロールの箱に詰められすぐに隠せるようにしてある。

店の端ではパソコンで今もコピーを製作中。

店番の女は客である俺には一瞥もくれず、ひたすらケータイ電話でしゃべっている。

僕は女の電話が終わるまで店内を物色していたのだが、どうやら音楽CDはおいてなさそうだ。

女は一向に電話をやめる気配を見せず、こちらに接客をするそぶりすら見せなかったので退却することにした。

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次に、ちょっとガラの悪そうな男が店番をしている店で足を止めてみた。

すると男は「ジキジキ!OK!GOOD!」と嬉しそうに親指を立てる。

”ジキジキ”は隠語で”アレ”を指す。

ようは「アダルトビデオ(の違法コピー)がある」と言っているのだ。

ま、男が一人で歩いていれば当然そうなるわな。

現に10年前なら喜んで買ってたし。

が、僕はすでに妻子のある身。

僕「音楽CDないの?」

男「は?あるわけねーだろ。それより、ジキジキはいらないのか?」

僕は苦笑いをしながら店を後にした。


次に入った店は、日本のドラマの違法コピーを大量に扱っていた。

日本でもそれほどヒットしていないようなドラマまで、TSUTAYA並みにそろっていたので驚いた。

マレーシアにも日本のドラマのファンっているのかな?

しかしここでもCDは見つからず。


もうあきらめようとトボトボ歩いていると、ボロボロで読めないほど古びた看板に「RECORD」の文字を発見。

しかし店の広さは6畳ほど。しかも中華系の歌手のポスターばかり貼ってある。

まあ、ここにはないだろうとは思ったが、一応入ってみることにした。

チャイニーズのおばちゃんに「日本のCDない?」と声をかけると

なんとそのおばちゃんは「日本の?お、あるよ!」と声を返したのだった。

なんと意外な!こんなオンボロの小さなレコード店に日本の音楽CDは追いやられていたのだ。


おばちゃんは棚の一番下の引き出しから、それらしきものを何枚か出してくれた。


広末涼子ベスト
深田恭子ベスト
今井恵理子ベスト
テレサテン ベスト


・・・なんとも渋いチョイスだ。

これ、完全に売れ残りだよな


日本でも探すの苦労するようなCDが、よくここマレーシアに残ってたな。

ただ、深田恭子のベストを聞きながら通勤するというのは・・・どうも思い描いていた海外生活とは違うような気がする・・・

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するとおばちゃんはさらに引き出しの奥から

「これも・・・日本のCDかね?」と僕に差し出したのがなんとDA PUMPのベストだったのである。

僕は思わず「え?マジ!!」と思ってしまった。



というのは、僕はこの1か月、DA PUMPYoutubeで聞きまくっていたのだ。

きっかけはネットの記事だった。

DA PUMPは現在、東京郊外のイオンやスーパー各地で無料ライブを開催している。

全盛期を知る者にとっては寂しい限りだが、メンバーはそれに全力で取り組んでいる。

その姿勢がすばらしい!というものだった。



で、Youtubeでその営業の様子を見てみたのだが、改めてISSAのすごさに驚嘆した。

結成当時からの唯一のメンバーISSAは今年35歳。

しかしまだ踊りのキレは抜群だし、なんといってもそのボーカルのすごさに驚かされる。

あれだけ激しく踊りながらも伸びやかな魅力のあるボーカルは健在、息が切れることなく何曲も歌い踊り続けるのである。

今、日本の芸能界は人数が多いだけのダンス&ボーカルグループやら歌って踊る男性アイドルグループが芸能界を席巻しているが、ISSAの才能を超えるものは一人も出ていない。

彼こそ日本のマイケル・ジャクソンといっていいかもしれない。

そんなエンターテイメントの天才が、地方のデパートで歌っているのである。

DA PUMPの全盛期を知る主婦は驚いただろう。

「あれ?この声?まさか!」と思ってステージにかけよったことだろう。

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で、ぼくも懐かしくなって昔のDA PUMPのミュージックビデオを見直してみたのだが、これがまたカッコいいのだ。

「Live is final liberty」「if・・」「Pain of Rain」「CORAZON」などなど

本当に一生懸命踊っている様子を見てとれる。

ジャニーズばかりの芸能界に嫌気がさしていた当時の僕にとって、DA PUMPのけなげな姿勢が非常に好感が持てたのである。


そんなDA PUMP漬けの1か月を過ごしていた僕に突然「DA PUMP BEST」が現れたのである。

これはもう運命だ。

僕は即決で購入した。

僕とDA PUMPはマレーシアで出会う運命だったのである。


んで、今は毎日DA PUMPを聞きながら通勤しているのだが、これがなかなか

”Feelin' Good”で、僕の車の中は”It's a Paradise”なのである。

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車を運転しよう④ 番外編

マレーシアで車を買うことになった僕は、日本にいる両親からお金を借りることにした。

41歳のドラ息子が、74歳と68歳の親から金を借りるのである。

自分でも情けないとは思うがしょうがない。

「絶対に返すから。なんだったら利子をつけてでも!」と説得し、100万円を送ってもらうことにした。


ただし、僕の両親が住んでいるところはみずほ銀行三菱東京UFJといった都市銀行がない。
みんな”農協”とか、地元の信用金庫でお金を預けている家がほとんどだ。


母はその弱った足腰に鞭を打って近所の郵便局に行ってくれたのだが、「ここでは無理です。もう少し大きい郵便局じゃないと・・・」と言われてしまい、しかたなく自転車でえっちらおっちらと少し離れた大きめの郵便局へ行くことになった。

マレーシアの銀行に送金するには、英語で銀行名やら住所やらを書かなければならない。
母は苦労して申請書類を書き、ゆうちょ銀行からマレーシアの銀行へ送金をしてくれた。

通常なら4~5日でつくという。


不思議なもので、海外送金というのはとんでもなく時間がかかるものらしい。
「日本からマレーシアまで飛行機で6時間半。人の手で運んでも1日で済むのに・・・」
なんて僕などは考えてしまうのだが、そう簡単にはいかないらしい。

ゆうちょ銀行で4~5日。
地方の銀行や信用金庫だと3週間から4週間もかかるという。

別に本当にお金を運んでいるわけではあるまいに。
インターネットで情報のやりとりだけでしょうに。

とにかく、5月16日(金)に送金してくれたというので、次の週には届くだろう。
お金を払って車が手に入れば、夢のカーライフ!
41歳にして初めての車での通勤!
あのわずらわしいタクシー通勤ともおさらば!
車さえ手に入れば僕のマレーシア生活はバラ色に変わるはず!
そう考えるとうれしくなってしまう。

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しかし、水曜日になっても、木曜日になってもお金は届かなかった。
ま、多少は遅れることはある。なんたってここはマレーシア。

来週には口座に振り込まれてくるだろう。

僕にはまだ余裕があった。

しかし、その翌週もお金は振り込まれなかったのである。

カーディーラーからは「ボス!車の名義変更終わりましたよ!」「ボス!エンジンチャックも終わりましたよ!もういつでも乗って帰れますよ!」なんて電話がバンバンかかってきていた。

僕は両親に電話で「悪いけど、ゆうちょ銀行に問い合わせてくんない?」とお願いしてみた。

確かに2週間経っても振り込まれないのはおかしい。

両親はゆうちょ銀行に行き、説明を聞いたのだが「6月22日には確かに日本から海外に送金されている」「ただし、日本円をドルに換え、そのドルをまたマレーシアの通貨に換えるので時間がかかっているのかもしれない」「最近は海外からの送金に対してチェックが厳しくなっている。テロの支援に使われるのではないかということで、いろいろ調べられているのではないか」と言われたという。

いやいや、ちょっと待てや。
16日に振り込んだのに22日まで日本にあったのはそれはそれでおかしい。
おまけにドルに換えて送金し、マレーシアに通貨に換金するって、そんなの頼んでもいないし。なんでそんな二度手間なことするの?マレーシアって、普通に円を換金できる国なのに。

おまけに後期高齢者の我が父がなんでテロ支援をするっちゅーねん。
もっと言うなら、送られた相手(僕)がテロリストかどうか調べたらいいんじゃないの?
パスポートも見せるし、会社に来てもらってもいいし。なんだったら呼び出されてもいいよ。
とにかく早く金を口座に入れてくれ。

このころは毎日朝、昼、晩と、口座にお金が振り込まれていないかネットでチェックするようになっていた。

6月30日、お金を振り込んでから2週間。

僕はマレーシアの銀行にメールを書いた。電話で直接文句が言えたらよかったのだが、英語力に自信がないのだ。

しかしマレーシアの銀行からの返事が届いたのは3日後。

しかも妙にテンションの高い文面で

「いつも○○銀行を利用してくれてありがとうございます!でも海外送金は時間がかかるからね!もっとよく調べますので、送金日、送金機関、金額、氏名、取扱い番号etc教えてください!あと、控えの画像もPDFファイルで添付してね!なにか問題があったらいつでも相談してね!」

みたいなことが書いてあった。なんかイラつくなとは思ったが、とにかくすぐに情報を書き込んでメールを返信した。

しかし、返事が返ってきたのはまたもや2日後だった。
マレーシアはなにをしてものんびりなのだ。

その文面も

「いつも○○銀行を利用してくれてありがとうございます!あなたのケースをカスタマーセンターに報告しました。明日か明後日にはカスタマーセンターから連絡があるから、それまで待っててね。連絡がなかったら遠慮しないでまたメールしてね」

みたいな感じだった。謝罪がないのがいかにも海外である。


僕はカーディーラーに正直に「日本からお金を送ってもらってるんだけど、届かないんだよ。お金の支払い、あと1週間、待ってくんない?」と話すことにした。

するとあれほど愛想のよかったディーラーが「Oh・・・I see・・・」と急にふて腐れたような顔になった。

ちょっと待ってくれ。本当なんだから。悪いのは俺じゃないんだから!
なんで俺が借金の返済に苦しんでる人みたいになってんだよ!俺、そういうの一番嫌いでローンさえ組んだことないんだから。

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と同時に、日本にいる両親も再び郵便局に出向き、話を聞いてきてくれたそうである。
その田舎の郵便局員が言うには

「日本から海外に送金をする際には、一度アメリカに送られる。すべての金融機関がそうである」
「あなたのお金もアメリカまでは渡っていることが確認できた」
「あとはマレーシアの金融機関で止まっている可能性がある」
「もしくは、口座番号一つ違うだけで別の人の口座に送金されてしまうのだが、本当にミスはないか?」
「国によっては、銀行に直接お金が渡るのではなく、国の中央機関に集められることがある。そこから呼び出しがあって、お金を取りに行くこともある」

なんて説明を聞いてきたらしい。
日本からの送金がすべてアメリカ経由なんてにわかに信じがたいが、そうだとしたら「なんでそんなことするの?」「余計なことしてくれるなや!」という感じだ。

僕も両親も、日本からマレーシアに送金をしたのである。それを勝手に、僕らの知らないところでアメリカ経由にしたのは日本の金融機関だ。今はどこにあるかわからない、じゃすまされない。

しかし、その後の追跡調査には「お金がかかる」とまで言うのである。
ちょい待てや!
こっちは手数料を払って送金を依頼してんだから、責任を持って口座にお金を届けるのがそっちの義務だろうが!


6月3日、送金から18日。
マレーシアの銀行のカスタマーセンターから連絡がきた。
ちゃんと個人名で送られてきたがもちろん謝罪はなく、「苦情を訴えてくれてありがとう」みたいな内容だった。

そして「あなたのケースを調査班に依頼して調べてもらってる。わかったらすぐに連絡するから。あと、このメールはよっぽどのことがなければコピーとかしちゃだめよ」みたいなことが書いてあった。

なんか・・・思いっきり”たらいまわし”にされてるみたいなんだけど。
調査なんてそっちでゆっくりしてくれたらいい。とにかく先にお金を入れてくれまいか?

しかし次の日も、次の日も、お金はもちろん、その人から調査結果が来ることはなかった。

夕方6時。

もう銀行は営業時間は終わっているだろう。
だが僕は思い切ってメールに書いてあったその担当者の部署に電話を入れた。

幸か不幸か、電話には誰も出なかった。

そこでもう一度メールを書いた。

もう泣き落としのような文面で「頼むから早くお金を返してくれ!」みたいなことを書いた。

本当は「この泥棒銀行が!人の金を盗んだとネットで言いふらすぞ!」とか書いてみようかとも思ったが、とりあえず「お金がないと困るんだ!」みたいな書き方にとどめておいた。

お金が振り込まれたのはその夜(6月5日)だった。


まるで「こいつしつこいなぁ~。電話までかけてきやがった。しょうがねぇ、こいつの仕事を先にやってやっか」ってな感じで処理してもらったようだ。


おかげで僕は無事にカーディーラーにお金を払い、車を手に入れることができたのだが
今回の件で学んだマレーシアでの教訓は

しつこく催促すると嫌われるが、先に仕事をしてもらえる


ということだ

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