ここ最近、”謝罪の仕方で叩かれている人”を良く見る。
名古屋の河村市長
メンタリストのDaigo氏
実業家の西村博之氏は炎上を鎮火させる方法について自身のYoutubeチャンネルで「ひたすら謝り続ける」「毎日謝罪放送をし続けると2週間くらいで文句を言う人がいなくなる」「”質より量”で謝ったほうがいい」とアドバイスをしたらしいが、僕は個人的には”カズレーザー的謝罪”がお気に入りだ。
今や1億総ご意見番状態の日本。
政治家、有名人が問題を起こせばテレビでもネットでもみんな言いたい放題。
「俺が一言、ビシッと本質をついたことを言ってやるよ!」とばかりにそれぞれが別々に同じようなカキコミをするもんだから相当な批判の数になっている。
実際ネットに書き込みする人はネット利用者の数%という研究もあるので炎上に加担している人はごくごく一部なのだが、その数だけ見ると日本国民のほとんどが怒っているような錯覚を覚えてしまう。
そしてその怒りはとどまることを知らず、謝罪があれば「口だけ!心から謝っていない!誠意が足りない!反省していない!ウソ泣き!形で謝っただけ!この人の本質は変わらない!」とさらに逆上してしまう。
まあ謝罪会見を観た人が「ああ、この人は心から反省して誠心誠意謝っているんだな。許してやろう!心を入れ替えてがんばれよ!応援してるぞ!」なんて思うことはまずないんだし、一度問題を起こした人はまた表舞台に出てきたら必ず過去を蒸し返されて叩かれるんだし、それなら謝罪は適当でいいんじゃないかと思うのも当然だ。
だから先のひろゆき氏の発言は実は的を得ていて、そのうち別の人が別の問題を起こして謝罪会見を開き人々の関心がそちらに移るので、しばらく適当に謝っておくというのはあながち間違いではない。批判をしてくる人もいるがしばらくすれば静かになる。
ネットで叩く人たちだって暇じゃない。できるだけホットな話題の、旬な人を叩きたいのだ。
なのでDaigo氏も「謝ってもどうせ叩いてくるやつはいる」と割り切って、質より量作戦、カズレーザー的作戦をするのはいいのかもしれない。
ちなみに先ほどから言っている「カズレーザー的」というのはお笑い芸人のカズレーザー氏の謝罪方法のことで、彼はやたらと説教をしてくる芸人の先輩に対し
「飽きてくるじゃないですか、ずっと怒られてると。こっちも”すみません”しかいうことないんで。だから”すみません”に聞こえそうな言葉を考えてずっと言う」ということらしい。
声「あの動画はヘイトスピーチで差別的です!」
D「すみません」
声「あなたは差別主義者ということを自身でも認めますか」
D「すいません」
声「まさに優生思想そのものです!」
D「(小さい声で)す・・・すいま・・ん」
声「極めて悪質な発言だとしか言いようがありません!」
D「(小さい声で)ささん」
声「あなたの反省と態度はポーズの域を出ていないと言わざるを得ません!」
D「(小さい声で)・・・左遷」
声「権利として生活保護制度があるということの根本的な理解が欠けている!」
D「(小さい声で)・・・推薦」
声「差別扇動と言われても仕方がないんじゃないか!」
D「(小さい声で)・・・Suiside」
声「命の尊厳そのものに対する否定だ!お母さまがこれを聞いたらどう思う?」
D「(小さい声で)・・・相模線」
声「ホームレス襲撃事件などをご存じないんですか!」
D「(小さい声で)・・・サガセン」
声「とにかく、心からの謝罪をしていただきたい!」
D「(小さい声で)・・・水滸伝」
声「そして二度と、このような発言をしないようにしていただきたい!」
D「(小さい声で)・・・垂直線、水平線」
声「あなた!そればっかり!本当に反省してるの?」
D「(小さい声で)・・・車線、三味線」「本っ当~に(小さい声で)スウェーデン」
声「わかったらもう結構です。しばらくは動画も控えたほうがよいのでは?」
D「は、はい、Something」
声「ん?!」
D「いえ、あの、本当に、大変(小さい声で)Sunset.」